誇り高く生きること。
長崎県の佐世保から南にくだったところにある川棚町こうばる地区。
佐世保からは海岸沿いに道路が走っていて、路肩も狭いしトラックも多いのだけれど海側には緑の木々がブロッコリーみたいにモコモコと生えた島があったり、大村湾の対岸にはうっすらと建物が浮かんでる。
川棚町に入ったところで国道から外れ、山側にのぼっていくと、先っちょのとんがった山とその谷間に流れる川が見えてきた。この先がこうばる地区だ。
この場所のことを知ったのは3年ほど前。東京で僕がときどきうかがう、さまざまなフィールドで活動する人たちが集まる勉強会のようなところで、patagonia日本支社の辻井さんのお話をうかがったときだった。
「ここで起きていることは、きっとさまざまな地域で起こっていたこと」
「明確に反対を打ち出すだけでは状況は変わらない」
「対話を、考えることを、生みだすアプローチ」
それは単にダム反対運動としてではなく、
「ひとの生きる場所と自然を引き継いでいくこと」
として僕のなかに入ってきた。それは人が生きる姿だった。
こうばる地区と石木ダムについては僕が語るよりもこちらを見てください。
https://www.patagonia.jp/protectors-of-firefly-river.html
そこにあったのは、政治的アプローチを企業としてしようとするpatagoniaもそうだけれども、辻井さん自身がひとりの人として思いを馳せ行動している思いがたくさん詰まっていて、このときに僕はpatagoniaを着て旅をすることと、いつかこのこうばるを訪れることを決めた。
フリーコーヒーをさせていただいたpatagonia福岡のスタッフさんからこの地域に関わる石木川守り隊の松本さんを紹介いただき彼女がこうばるにいらっしゃるタイミングで訪ねた。
ちょうど子どもたちの自然観察会を終えたあとのこうばる地区の公民館に彼女はいた。公民館のなかには大きなダム反対の横断幕がかけられていて、まわりにはここを訪れた人たちの寄せ書きや40年以上にわたってこの地を守るために反対運動を続けてきた住民のみなさんの写真が白黒で写っていた。
松本さんにご挨拶をし、自然観察を終えたみなさんと一緒にコーヒーを飲みながら旅のお話をして、それからダム運動の中心的メンバーである岩下さんにご挨拶にいくことになった。
山の少し道路からあがったところにあるお家には、たくさんの花が咲いていて、岩下さんは芝生に座って小さな草を抜いておられた。イテテ!カラダがすっかり固まっちゃったよ!と膝に手を置きたちあがった岩下さんと家から出てこられた奥さまとともにおうちに入ってコーヒーを淹れさせていただくことになった。
コーヒーの準備をしながら、少しこのフリーコーヒー自転車旅のことと、僕がこうばるを知るきっかけになったことをお話すると、奥さんが「今晩どうするの?テントもいいけど、うちに泊まっていってもいいわよ」と声をかけてくださり、甘えさせていただくことにした。そして、翌朝からの座り込みに同行し現地でコーヒーを淹れさせていただけることになった。
翌朝、かずおさんの運転する軽トラにコーヒーセットを積み込み現地に向かう。農道から墓地に続く細い道に入り、そこから下っていくとゲートが見えた。現在の座り込みの場所は工事現場のなかだ。
慣れた手つきでゲートのロープを外して、座り込み用の椅子が入った倉庫を開けて、みんなでお茶するときに使う湯を沸かすための薪を燃やしはじめたかずおさん。8時をまわるころには、地元の方々、佐世保からの支援者のみなさんも元気に挨拶をしながらいらっしゃって、それぞれ椅子を持って座り込みをはじめられた。
「あ!自転車とコーヒーの人ね!」と声をかけてくださるかたもいた。誰かが僕のことを話してくださっていたのだろうか。「久しぶりの若者だから、おばちゃんたちが放っておかないよ!」なんて声をかけてくださる方もいる。
工事現場に入ってきた車にも、作業員にも手をあげ挨拶するかずおさん。手をあげて挨拶を返す人、すーっと通り過ぎる人、止まって話をしていく人もいた。もうほとんどの人は顔見知りなんだろう。世間話をしているのか笑顔でじゃあと言い合っていた。
座り込みの様子も終始なごやかだ。おしゃべりグループがそれぞれあるのか男性、女性ともに数名グループを作って椅子に座りながらおしゃべりをされている。焚き火のところでは、お茶やお菓子の準備に、差し入れのゆでたまごを作るお母さんたち。僕はその横でコーヒーを落としては数杯ずつお盆にのせて配りにいった。
34名。全員にコーヒーが行き渡ったところでひとやすみ。
ぼくも一緒に座りながらお話をさせていただいた。みなさんほんとに明るく冗談も交えながらお話してくださった。僕が思っていたのよりも、笑顔も話し声も数段明るいトーンであることに少しだけ心の緊張感をほぐしてもらいながら。
あっという間にお昼になり、座り込みのみなさんが帰っていく。
いまは座り込みは一日中ではなく、お昼までと決めているのだそうだ。この座り込みが終わったあと、昼休みの時間を終えてダンプが自由に往き来するようになり工事が進むそうだ。
住民のみなさんはお弁当持参。それを一緒に食べていたときに岩下さんの奥さんがフッと息を吐き出すようにこう言われた。
「みんな笑っているでしょ。けど心のなかはグチャグチャなんだよ。」
その言葉がすべてだった。
笑い、冗談を言い合う彼らは、すでに何十年も自らが生きる土地を守るためにその人生の多くの時間を費やしてきた。
裁判となり、負けて、座り込みから家に戻った夜中に工事のための重機をゲート内に運び入れられて、そうしていまは工事現場内で座り込みをする。
それは心が踏み潰されるような思いだったに違いない。
それは彼ら自身の人生だけではなくて、その親御さんや、子どもたちやいろんな顔が浮かぶなかでの出来事だったのだろう。
その想像力は僕には一生持ち得ることができない。
岩下さんの家に戻ってから、畑に出かけた。
柚子胡椒を作るためのトウガラシ、茄子、パプリカにキュウリ、一緒に畝をおこしたところにはひまわりを植えて、その奥にはカボチャを植えられるそうだ。
おうちではたくさんお話をした。たくさん食べた。
少しぶっきらぼうで言葉少ないかずおさんは、家のなかにいる子猫たちといるときだけびっくりするくらいの穏やかで明るい声で子猫たちを呼び、ヒザに抱いて昼寝をしていたりする。彼の手のひらに包まれてじっとしている猫とかずおさんを起こさないように、僕は庭に出てコーヒーを焙煎した。
彼らの旅行の話も聞いた。インドへの仏教聖地めぐり。トルコ。このあいだはまたネパールに行かれたらしい。次はどこに行かれるのだろうか。裁判で工事が進まない間をめがけて旅行に出かけるそうだ。
旅の話をしながら、お母さんがふとこう言われた。
「別の人生もあったかもしれないなって思うこともあるよ。毎日毎日座り込んでね。老後の楽しみだってあったかもしれないのにね。」
お母さんはそこからは語らない。いつだってふたこと、みこと。
けれどそこに彼女の思いと時間が詰まってる。
僕が生きるより多くの時間をこの土地を守ることに費やしてきた人たちを訪ねて分かったことなんてひとつもない。僕がこの問題とこの土地に生きる人々について語れることなんてないかもしれない。
けれどたったひとつ。
彼らの生きる姿は美しかった。助け合いと感謝を忘れず生き、その土地を代々受け継いできたおとぎ話に出てくる民族のような誇り高さを感じた。
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