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子どもたちの考えを読み、選ぶだけで自分らしい生き方ができるのだろうか考えてみた。

「自転車冒険家西川昌徳さんの生き方から学ぼう」
というタイトルで、群馬県前橋市の中学校1年生に向けて職業講話をさせていただいた。つまりは、職業もふくめた自分の人生について考えるきっかけにしようという授業なのだけれど、僕なりに感じることがあったのでまとめてみる。それはなんとなくで、しかも大勢じゃないから社会的な意見ではないんだけれど、僕なりに今の中学校1年生の職業や人生についての考え方おぼろげながらに見ることができたような気がする。

多くの人が、これから社会に出ていく彼らになんらかしらのきっかけを伝えたいと思っていると思う。
「子どもたちに自分らしい生き方を見つけてほしい」
「社会で活躍できる人になってもらいたい」
これらの言葉は教育現場で毎日耳にタコができるくらい聞こえてくる。しかし、その相手が「いまどきの子どもたち」であるならば、彼らに対する想像力を持つ努力を僕たちが怠ってはダメだと思う。今回のお仕事はそういう意味で僕にはいまどきの彼らを想像するひとつのヒントをもらった気がした。


僕の職業講話の前にこんなプリントが渡されていた。

1.自転車冒険家とはどんな「職業」「仕事」か考えてみよう。

2.映像を見て考えたこと、質問したいことを考えてみよう。
(ホームページにあるいくつかの映像https://www.earthride.jp/movie/)


(1)自転車冒険家とはどんな職業だろうか。
貧しい地域などに行ってボランティア活動をする、という解答が最も多かった。
それに次いで世界を自転車で走ったり冒険するというもの。確かにそのとおり。そこにくっつくようにYOUTUBEで発信、写真展をしたり写真集を出す。つまり世界の魅力を伝えるというようなものが多かった。(1)については、もちろん彼らの多くが聞いたこともない職業だろうし、想像で語る範囲としてだいたい予想通りというような感じがした。僕がなるほどと思ったのは(2)に書かれた解答の内容についてだ。

(2)質問したいことを考えてみよう。
海をどうやって渡る?ずっと自転車?食事はどうしてる?のような一般的な質問は置いておいて、職業というものにおける子どもたちの考えが出ているキーワードがいくつか出てきた。

どのくらい稼いでいるのですか?
その仕事のメリット・デメリットはなんですか?
どうしてその仕事に就こうと思ったのですか?
旅をして何をするのですか?
どうやってお金をもらうのですか?
休みの日はあるのですか?

これらの質問のいくつかは講話のあとの質問タイムでも出てきた。そのあと学校から感想文が送られてきて、それとともに全生徒の質問シートも入っていたので、それらを読んでこう感じた。

「子どもたちにとっての仕事は、その社会にすでにあるものが前提で(つまり選択するという頭しかなく自分で仕事を生み出せるという視点はない)、そしてそこに組み込まれている給料、条件、良いこと悪いことを総合的に判断して【自分がやりたいこと】として決めているんじゃないだろうか」

そりゃそうでしょ。と聞こえてきそうだけれど、ここにちょっとした違和感を僕は感じる。

仕事の大前提って「誰かの」「社会の」ためになることだと思っているのだけれど、先ほどの質問欄を読んでいて「現在の社会が◯◯だから」というような、その【仕事と社会との接点】のような部分に対する想像力が抜けてしまうと仕事は「選ぶもの」つまり、誰かが用意してくれるものであって、その仕事でやることも全部うえから指示されて、みたいな思考から抜け出せないんじゃないかなと思ったりする。

接客業ならその店にくるお客さんのニーズがあるし、ものづくりなら「こういうものがあれば喜んでもらえるんじゃないか」みたいな視点がある。けれども【誰のためのどんなこと】ということを置いてけぼりにした職業観がもし子どもたちの多くに根付いていったとしたら、

・マニュアルだけをこなし目の前の人は気にならない
・大変なことが職業説明欄になるべくない仕事を選ぶ
・最小限の労力でたくさんお給料が選べるものを

みたいに仕事を考えるようになっても不思議はない。そしてそういう人たちのことを「最近の若者は・・・」と僕らが言っていたとしたら、完全に負の連鎖だ。それはもう彼らの責任じゃなくて、子どもたちの持つ仕事観をうまく導いてあげられなかったオトナの責任なんじゃないかと思う。

中1の子たちだと、13歳か。そしたら大学を出たとしたら彼らが社会に出るのは9年後。9年後に仕事につく彼らに現在の「職業リスト」だけをもとに「夢(職業)を決めよう!」と言うのはあまりにナンセンスだと思う。だって、10年前にスマホは世の中に現れてあっという間に僕たちの生活を変えてしまったのだから。

だから僕は子どもたちに職業観も含めた人生を考える機会を持たせるならば、いまの社会や世界に目を向けるようなアプローチがもっとあったらいいなと思う。いま世の中にある仕事はそれを「必要」とする人がいるからだ。つまり今あるニーズに対して、仕事が生まれている。

だったら9年後社会に出る彼らが見つめた方がいいのは、現在の職業リストよりも、いまの、そして9年後の社会についてじゃないだろうか。そんなことを思ったりした。

けれど、職業講話のあとの感想文を読むと嬉しくなるようなことがたくさん書かれていた。

悔いのない人生をあゆみたい
いままでなんとなく生きてきたが・・・
次こんなことがあったらあきらめることなく・・・
思いを行動にうつす
人任せではなく自分で決めて・・・

そうそう。社会も人生も「自分」ごと。
みんながそう思えば、きっと社会は僕らの思いがカタチになっていく場所になるだろうと思う。そして自分らしく生きられると思う。




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