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「ありのまま」が情けない。

家に戻ってきてから、まるで家の床に磁石が仕込んであって、そして僕の背中にも、外にいるころにはすっかり忘れている鉄板が埋め込んであるんじゃないかと思う。それくらいにいちど床に倒れこむと起き上がれない。みんなそうなんだろうか。それとも僕だけそうなのだろうか。

家に帰ってくると自分が何者でもなくなったような気がする。世界にはがんばっている人がたくさんいて、自分はすっかりそこからはじき出されてしまったような気持ちになる。そうしてじっとしている自分が情けない気持ちになったりする。

そうしていても次の予定があって外に出ると、そこには変わらない日常があって、自分が会う人はそうしてすっかりつまはじきにあったような気持ちでいた僕など知らない様子で僕を迎えてくれ、いつしか僕もそこに馴染んでいくのだ。家に帰ってきて、もう何度感じたことか数えきれないこの気持ちを抱くたびに自分は変わっていないなと感じる。

梅雨のあいだの少しだけ冷たくてかわいた朝。昨日から続いている鹿児島の状況はどうだろうなんて思いながら本を読んで過ごす。ずいぶん前に買ったままになっていた小説だ。僕はほとんど小説以外は読まない。昨日の夜から続くように、床に寝ころんだまま本を読み、まぶたが重くなってきたらそのまま眠り、また意識が戻ってきたら本を読む。そうして今日は2冊の本を読んだ。

昨日の夜から入れっぱなしだったこの数日間の洗濯物を洗いながら本を読む。吊るすものだけあの四角に洗濯バサミがぶら下がったやつに吊るして、あとは縁側の外にある手すりに開いてかける。夕方には乾くだろう、けれど縁側は暑くなってきたから畳の上で本を読むことにした。

午後になって思い立ったように実家の風呂に入りにいき、追いだきボタンを押して、本を忘れたことを思い出して読みかけの小説を持ってきた。あったかくなった湯船につかって、風呂ブタを胸のところまで引き寄せて、そこから手を出して本を読む。のぼせるタイミングで風呂を出て、髪が濡れたまま、また畳の上でウトウトしながら本を読んでいた。

ときどき網戸に、そこがとおれるものだと思っていたトンボがポツッとぶつかったり、庭にある僕が生まれた時に姫路市からもらったという木にハトがとまっているのを見つけた。ハトはどうやら巣づくりのための枝を物色しているようだ。ひとつ加えてはまた戻ってきていた。そんなことを眺めながら少し首がいたくなってきたので座って本を読んだ。

手すりに干した服をひっくり返して、まだ湿っているやつはそのままにして、残りをたたむ。こないだ吉本ばななさんが洗濯をしてそれを干して、たたみ入れることにはきっとなにかとくべつな意味合いがあるというようなことを書いていたことを思い出しながらいつもより丁寧に四角くたたんだ。

今夜は家族でごはんに出かける。姉ちゃんがボーナスが入ったからご馳走するよと家族のLINEに入っていた。仕事から帰ってきた姉ちゃんに「どこがいい?」と聞かれ、どこでもいいよと寝っ転がったまま答えたらおかんと相談してみると実家のほうに歩いていった。どうやら今夜は僕が行ったことのない焼肉屋にいくようだ。

明日の朝にはウチを出て大阪へ車で向かう。この旅を終えてからのひと月半で家で寝たのは3日間だ。明日からまたしばらく戻らない。明日の朝、出かけていくときはどんな空だろうか。まだ朝焼けが終わらないくらいに、まだぼおっとしたままの頭できっと出かけると思う。

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