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祈りを込めて

ネパールのドラカ地方の村から夜に戻ってきた。ブログだブログ。いやnoteを書くのだ。

3.11の黙祷を村の高台からさせていただいた。なんのニュースも見なかったので、日本の2時16分に合わせてしまった。30分早かった。7年の歳月というのはこういうものなのだろうか。けれど真剣に祈った。

7年前のあの日は実家にいた。テレビに速報が流れ、切り替わった災害放送から津波の様子が映し出され、ダイヤが乱れた新幹線に乗った親父を迎えに駅に向かった。

まだ、震災の状況を知らない親父に震災のことを伝え、たくさんの遺体が海岸に流れ着いていることを伝え、

「どうして僕じゃなくて、東北の人たちなんだろう?」

と聞いた。確か親父は「その人たちは自分の命をもって、僕たちに大切なことを伝えようとしてくれたんだ。」と話していた気がする。

それから3週間も経って僕は現地に入った。雇用されていたことを理由に、家族と上司に止められたことを理由に、現地入りしなかった3週間。あれほどツラい3週間を僕はもう二度と経験したくないと思った。

生まれてはじめて、自分と他の人との優先順位が完全に入れ替わり、どうやったら少しでも被災された方の思いに、気持ちに寄り添う活動ができるかと24時間考えた日々。大しけの日に堤防の亡くなった海に近づいていったこともあった。たくさん励まされ、たくさん笑顔をもらい、いまもその土地と繋がって、いまの僕がいる。

命のリスクについて聞かれることがある。旅のなかでのトラブルとそれを乗り越えた経緯について、どうしてそこまでして・・・と言われることがある。

僕のいまのところの思いはこうだ。

まだ、僕に役割が残されているなら生きているだろう。もし、その役割を終えるときが来たなら、この世にさよならを告げることになるのだろう。

あれから7年。たしかに何度か死んでもおかしくないことがあったが、いま僕はこうしてまたネパールに来て、時に一生懸命動きながら、大半は仲間やこちらの家族とゲラゲラ笑いあっている。


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