人は機械に仕事を奪われるのか?

【2030年には、全世界の雇用の半分である20億人の雇用が消えるだろう】

というオックスフォード大学で人工知能などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授の論文がある。僕でさえ耳にしたのが3年位前だから、もうとっくに時代のトップランナーである人や企業では当たり前のこととして、これからのことを考えているのだろうと思う。

僕が出ている教育委員会の会議でさえ、先生方の発言のなかで出てくるので学校の先生も含めて知っているのだと思う。

21世紀を生き抜くチカラ。クリエイティブな人材。グローバルな人材。

まさに僕の知らないこれからの社会を生きる子どもたちを育てる教育現場でもこういう言葉がたくさん踊る。そうして、これらの言葉が発せられる現場で、聞こえてくるのが「人の仕事が機械(や人工知能)に置き換わっていく」という言葉だ。

この言葉を大抵のひとは「大変なこと」「やばい」「このままじゃいかん」みたいな感情とともに発する。つまりは人間がこれまで担ってきたことが、機械に奪われてしまうよーどうするー!?と言いたいのだ。

僕もそうなのかなーぐらいには思っていたときがあった。けどいまは違う。

「人が時間と労力の切り売りのようにしてきた職業(労働)が機械に置き換わるとしたら、人はもっと役割意識を持てることを仕事(労働のようなもの)をできるようになるのではないか。」

というのが僕が考えていること。社会がどんどん広がってきて、仕事は分業化され、扱うものの規模が大きくなり、例えば工場のようなところで、個人が担当している仕事から「いま自分がやっていることが誰のどんなことのためになっている」という意識がなかなか持ちにくくなってきたことが、僕はこの社会が成長したことのなかでひとつの「課題」になってると思う。

例えば村のような、みんながとりあえず村の人の顔は知っていて、誰が野菜を作っていて、誰々は家を作ることができて、誰々は仕事はあんまりしないけど、みんなのことをいつも楽しませている。みたいな僕が生まれた小さな村のようなところ。もしこの村のなかである程度自給自足しながらみんな生きていると考えたら、たいていの人のやっていることは「いま誰のために、何をやっている」という認識を持てるはずだと思う。

僕はいまのところこの「役割意識を持って生きる」ことが人の生きている実感や意味につながっていく本質的なものだと勝手に思ってる。この考え方でいけば、いまのところ僕が自転車で旅してきた(時代をタイムスリップし続けるような)国々での人の生きる姿や、その人達に出会った時に自分が心で感じたものを、ある程度時代や宗教観に左右すること無く理解することができる。

話を戻す。つまり何が言いたいかというと。

目的意識を持ちにくくなった単純作業や相手の顔がイメージしにくいような仕事を機械が担うようになるならば、人間はもっと役割意識を持てる分野で働くことができるようになるだろう。ということ。

僕はどんなに時代が進んだとしても、やっぱりお店にいるのは「ひと」がいい。料理を作ってくれるのも「ひと」がいい。家にいてくれるのも「ひと」がいい。町を歩いているのも「ひと」がいい。

じゃあ生活するためのお金は?みたいな話はここでは話していないけれども、【2030年には、全世界の雇用の半分である20億人の雇用が消えるだろう】という2030年には、ひとはもしかしたら今よりも時間の切り売りという労働から開放されているかもしれないと思う。

世界はもう少し、優しくなっているかもしれないよ?と思っている。


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西川 昌徳

旅するように、生きること。

自転車で地球を走りながら、生き方の冒険をしています。旅のなかでの気づきや、日々生まれる思いを、なるべくありのまま綴ります。