いのちと、いのちが繋がるとき。
「あぁ、美味しい。ほんとに嬉しい。」
青森駅前。会社帰りにコーヒーを飲んでくださった彼女はこう言った。
「じつはずっとごはんが食べられなかったんです。」
そう彼女が続けたとき、赤ちゃんを抱いた若いお母さんがこう返した。
「もしかして拒食症でした?実はわたしもそうだったの。」
堰を切ったように話し始めたOLの女性。ひとつひとつに、分かるよと返すお母さん。僕ができることは、一歩うしろに下がって、ただじっと見守るだけだった。
話は、いのちのこと、に繋がっていった
だいじょうぶ。わたしもこうしてお母さんになれたもん。
旦那はだいぶ歳上だけどね。
きっと彼女にはこの慣れ慣れしい言葉遣いのほうが、そのひとことひとことが、すうっと心に染み込んでいったんじゃないだろうか。僕はそんなことを思いながら続きを見守る。
わたしもしあわせになれるかな。
そう言いながら彼女はしずかに泣いていた。
だいじょうぶだよ。
赤ちゃんをあやしながら、彼女はそう返した。
うん。
すっと手がのびて、それがしっかり繋がった。
なんだかそれは、いのちのやりとりのように、
思いのバトンタッチのように僕には写った。
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