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世の中にはこのふたつしかない。

「どうしてそんなに前向きなの?」
「悩んだりしちゃうことってないんですか?」

友だちや、SNSを見てくださっている方に、こんな風に聞かれることがあります。正解は、僕はよく悩むし、前向けないときもたくさんあります。自分で区切りをつけたつもりの出来事でも、ちょっと心がモヤモヤしているときに、また思い出してしまって頭がグルグルするときもあります。

そんな僕だけれど、やっぱり自分には見つめたいものと、行きたいところがあって、そこに行くためにはずっとずっと頭や心をこれらのマイナス(とりあえずはこう置きます)なことで埋めていてはいけないことも知っています。

そんなときにこそ、だれか他の人に愚痴をこぼしたり、本や誰かのアドバイスを求めることよりも【自分でまずは気持ちの区切りをつけてみる】ことが必要だと思います。頭や心がいっぱいになってしまっているときには、そこに隙間がないので【自分にとって必要な答えがそこにあったとしても、それを自分に取り入れるだけの余白がない】ということになってしまって結局は解決しない。

僕はこういう状態から抜け出すときの考えとして、まずは【自分で都合よく解釈してしまう自分なりのコトバ】のようなものを持っていたらいいと思うようになりました。

この旅で出会った富士市のお寺のご住職は
「この世で起こる全てのことは完璧なシナリオのもとに起きている」
とおっしゃいました。彼も人生設計が崩れ、最愛の家族を亡くし、なんにもないところからお寺の住職になることになり。ほんとに波乱万丈の人生を過ごされてきた方でした。

また、去年の秋に東京で「誰かお茶しよう!」とSNSに書き込んだときに、仲間のレキくんから「じゃあダライ・ラマの話を聴きにいこう」というビックリな返信が来て、日比谷音楽堂までダライ・ラマの話を聴きに行ってきました。彼はしきりに「楽観的に行こう。何事も定義しすぎてはいけないよ。」と言っていました。

あれはこう!これはこう!自分はこうだから!あの人はこうだよね!
そうやって決めていく(定義していく)ということは、一見世界をクリアにしそうだけれどそうではなくて、そうして決めていく分だけ世界は分断されて狭くなっていってしまう。それは心の中も同じ。
僕はダライ・ラマはこういうことを言っているのだと思いました。

ものごとの【正しいかどうか】
自分が【合っているのかどうか】
これらのことを決めてしまう前に、まずは自分の心に余白を少し持てるようにすることが大事かと思います。そのことをキチンと見つめる心のキャパがあることがそのスタートラインです。それがないときにはどうしても「これがあったからうまくいかなかった!」「なんであの人はわかってくれないんだ!」「自分なんてどうせ・・・」みたいなことになりがちな気がします。

僕も今朝ちょっとだけ心が沈むことがありました。この夏に企画している子どもたちを海外に連れてともに自転車で旅をする企画のことです。気持ちが持っていかれそうなときに、自分に浮かんできた言葉はこうでした。

世の中にはふたつのことがある。
【いいこと】と、
【思い通りにいかないこと】のふたつだと。

普通は【いいこと】【わるいこと】みたいに思いがち。
けれども思い通りにいかなかったことを、わるいこと、と思う必要はないなと思いました。そう思ってしまったら、せっかく作ろうとしていた心の余白がモヤモヤしたものでまた埋まってしまう。そうしたら、そのことで頭がいっぱいになって、きっと見ている風景のトーンが下がってしったり、イライラしたり、人に当たってしまったり、そんな日になってしまう気がします。

大切なのはもしかしたら

これはこう。と世界のものや人に良し悪しをつけていくことよりも

心のなかに心地のよい余白を持って生きることかもしれません。

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