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お互いの「たまたま」が必然になる理由

世界一周をしたあとしまなみ海道のサイクルツーリズムに関っている先輩を訪ね今治に来た。ここに前回来たのは東日本大震災の年だから8年ぶりになるのか。現在運営されているゲストハウス「シクロの家」を訪ねると変わらず人懐っこい笑顔の先輩がいた。

20分ほどのあいだに、お互いの空白の時間を埋めていく。
そこは何だろう、すでに信頼関係ができあがっているからというか、少々説明をすっ飛ばしたとしてもそこを埋めてもらえる感覚があるからどんどん話せる。
少し落ち着いたところで、この宿の若いスタッフを彼が紹介してくれた。

「うちのフレッシュなスタッフ!東京から来てくれたんよ!八王子だっけ?」

「そうすか!ぼく八王子も講演に出かけるので結構馴染みあるんですよー!」

けどなんでまた東京からはるばるこんな愛媛に?ここの前にはニュージーランドに住んでたって?と聞くと、先輩がひとこと「あの東京の西川くんも行くとこあるやろ?あそこのマネージャーの」

「え!?もしかしてMさんの息子!?えー!!!」

そのまっすぐな眼差しと柔らかな雰囲気を持つ彼のオカンは、僕のめっちゃお世話になってきた人だった。前々回の旅を終えたトークライブを聴いてもらったときに、なんでか当時は分からなかったのだけれど、尋常じゃない突き放され方をして、理解ができなかった僕はそのまま疎遠になってしまったのだけれど。

「お母さんが西川さんのことをよく家で話していたんですよ。それずっと聞いてたからこうして会えるなんて…。メキシコで強盗にあったときのトークのことも家で話してました。」

そっかぁ。Mさんすごく怒っていたけれど、そのことも家族に話されていたんだな。そのことを知って、冷たい態度に自分の心がとても耐えられそうになくて足が遠のいた日々のことを思い出していた。

彼はここでキャリアを積んで、それからは世界を自転車で旅をしたいのだそうだ。いまとここを生きることにまっすぐ向いていて、そしてなにかを見出そうとしている彼の心はまだまっさらで、そこにどんなものを描いていくのかが素直に楽しみな、そんな可能性を感じる人だった。

僕は昨日ほんの思いつきで、先輩を訪ねた。あと10分到着が遅れてたら会えなかったからそのまま帰っていただろう。

そのときのタイミングにいられたこと、そしてそこで彼に出会えたこと。

それは単純に彼との出会いだけではなくて、僕の心のはじっこのほうに引っかかってかたくなりかけていた部分をほぐしてくれるものだった。そして、彼も僕との出会いと交わした会話を必然として受け止めていた。

お互いの偶然がかさなり、けれどその偶然の交差点をお互いが必然と思ってる。

この人生で起こることは、そのすべてがシナリオ通りである。

この言葉って人によったら重たい言葉だと思う。とくに受け止めるのが難しい出来事に出会ってしまった場合には。けれど、どんなときにも何かが起こったときには、それがいいことであったとしても、そうでなかったとしても、それがある現実を見ていかないといけない。

そのときにどんな自分でいられるのか。どんな自分でいるべきなのか。
それはそのままそのときの自分の思いが、目の前に現実に溶け込んでいくのだ。

だからこそ僕は現実を都合よく解釈してしまうことが、つまり自分はラッキー!と思い込むことはその人の見ている現実を少しだけ照らすものになるだろうし、逆もしかりだと思う。

起こることが必然である。と思うこと。
起こったことを自分のラッキーだと思うこと。

このふたつは自分が見ている世界の輝度を少しあげる魔法の言葉だ。
この言葉をくださった富士山の見えるお寺の住職のことを思いながら。


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