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いまの高校生って、昔の小学生くらいかも

「西川さんのこと絶対に学校に呼びたいので、校長先生に直訴してきます。」

去年の夏のことだった。地域の教育に携わるNPOをしている友達から「うちに来ている学生たちとお話してもらいたい」と喫茶店で2時間ほど話した。そのときに来ていた高校生がくれたメッセージだ。確かこう返した。

「オッケー!応援してるよ!もし先生から依頼が来たらタダでも講演に行くからね!ほんまありがと!」

秋ごろ依頼が来て、僕は旅に出ていたので、帰国後の3月に実施となり、先日その徳島の高校に講演をしに行ってきた。直訴してくれた女の子は卒業したあとだったのだけれど、友達を誘って学校に来てくれていた。

ここで講演することになった経緯を話し、彼女がくれたこの機会、そしてそこにいる600名弱の時間をいただくことに対して持てる限りで話すことを約束し、トークがスタートした。会場の体育館のサイズも、プロジェクターの映りも問題なし、マイクは拾い方にちょっと癖があるけれど、そこは熱量でカバーだ。

ここ最近でいちばん跳ね返りが少ない・・・。顔が下を向いてる数が多いから伝わり方を肌感覚で感じながら、話を進めていくことができない。こんなときには、少しひるみそうになる。話が伝わりにくいのかと、ついついトーンを落としてなだらかな説明調の話し方に持っていきそうになる。けれどそこで駄目ならずっと駄目。「こういうことをしている人」ということが分かりました。という感想で終わるだろう。

思いを込めた。感情を込めた。だんだん熱が返ってきている感覚がわかるようになってきた。こうなればあとは走るだけ。最後の最後まで、走りきって終えたとき、少しずつ大きくなっていく拍手じゃなくて、バーン!と同時にはじまる大きな拍手をもらえてホッとした。とりあえずよかった。

校長先生のご厚意で、講演の終了後に自由参加の座談会が持たれた。会議室に入ると十数名の学生が席についていた。僕の講演のきっかけを作ってくれた彼女もいる。「いや〜お疲れ様でした。さっきまでの講演の空気は忘れてざっくばらんにいこうね!」そうして会がはじまった。

・学校でやっていることに興味が持てない。

・進路を決めていたはずなのに、自信がなくなってきた。

・友達と合わせている自分、ほんとの自分にギャップを感じる

・夢とはお金がやっぱりかかることじゃないのか

・ほんとにツラいとき、どうやって乗り越えているのか

話しているあいだに涙がポロポロこぼれてしまう子が何人もいた。それでも彼女たちは、涙を流しながら自分の言葉で思いを語ってくれた。他の生徒たちの前で、先生がいる前で。

帰りは雨だった。土砂降りのなか自転車で走って帰ってきたのだけれど、ものすごく余韻が残っていた。じんわりとした、けどしっかりとした熱量のあるもの。

なんだか自分にとって新たな居場所が見つかったような、そんなどこか温もりのある感情がずっとカラダに残っていた。

当日は、講演時間が押したので、質問の時間を削ってしまったことを謝り、「SNSでも何でも連絡してきて!」と話していたのだけれど、まさかの20件以上メッセージが届いた。こんなのはじめてだ。そこには、座談会に出れなかったから、人前では話す勇気が無くて、と前置きがあり、そこから彼らの思いが綴られていた。

僕はずっと小学生・中学生を中心として授業や講演活動を行ってきた。彼らにはまだ簡単に自分の殻を破れる年代だし、さまざまな価値観や考え方に触れてどんどん世界を広げてほしいから、とまわりにも言い続けてきた。

しかし今回、高校で話し、彼らの感想や質問が届いて驚いた。少したくましくなってきている年代だと思っていた高校生たち、しかしその内面はすごく不安があったり、イメージができる年代になったことで、より悩みが具体的になってきていたり、【進路】というものが人生に及ぼす影響について悶々と悩み続けている。

僕が感じた現代の高校生への印象はこうだ。

「自分がこれからの人生に対して持とうとしているイメージや、在り方に対して実体験に基づく経験値が圧倒的に足りていない。」そんな、アンバランスさを話したり、メッセージを読みながら感じた。

話している限り、情報としてはほんといろんなことを知っている。テストでも恐らく優秀。けれど話していると、すこーし【答え】を外に求めているような感覚や、頭でっかちになって自分のほんとの心の声に耳を傾けづらい感じ(それでも、私は○○な性格なので・・・みたいな話はたくさん出てくる)が印象として入ってくる。

もう少しカラダが動けばいいな。ゆーらゆらしたあとに戻ってくる、もともとの自分みたいなのを見つけていく(作り上げていく)ための動きがあればいいなと感じた。

出会い。経験。それは何も自分の興味の延長線上だけにあるのではない。

思いもしない出会いや、出来事から新たな自分を発見すること、しっくりくるものが手に入ることだってたくさんある。だからこそ、時には、効率の良さ、「これしたらこうなれる!」みたいなものだけでない、自分を広げていくためのアプローチみたいなのをしてもらえたらいいなと思う。


小説家の友人に、今回の講演のことや高校生と話してみた印象について伝えた。彼女のファンだという高校生も座談会に来てくれていたからだ。

「今の高校生は昔の小学生くらいの幼さだから、そういう気持ちで語りかけるとちょうど合う気がします」というメッセージがかえってきた。

これからの社会で輝けるオトナを(効率よくというニュアンスあるよね)育てよう。教育現場でそれこそげっそりするほど聞こえてくる言葉。

けれど、僕はやっぱり人って、さまざまな体験や出会いから来る経験があってこそだと思う。それがその人を作っていく(見つけていく)ひとつの大きな要素になると思っている。

自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!