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3のスタートよりも0から1が嬉しい。


6月に入ってひと通り予定していた講演や学校授業を終えたあと、車に乗ってお仕事をしていた関東から関西に向けて少しずつ走ってきた。
毎日そのときどきで動いているので、そのとき顔が浮かんだ方々に連絡をとりつつ、うまくご縁がつながるタイミングであったらお会いしてお礼を伝えたり、一緒にご飯を食べたり、泊めていただいたり。
そうしているうちに、少しずつだけれど、まだしっかり言葉ではつかんだという感覚とは遠いところにいるんだけれどこの旅を自分なりに見つめ直すことになっている気がする。

旅を自分なりに振り返ることもそうだけれど、そのことを誰かに話したりしながら、それがうまく伝わったり、伝わらなかったり、それだったらと言葉や例えを置きかえてみたり、それから逆に質問されたり。そうしながら自分にとっての旅日々のなんとなく香ってくる余韻のようなものの解像度が少しずつくっきりはっきりしてきて、なんとなく自分のモノになっていくようなそんな気がしたりする。
気がするばっかり書いて責任逃れをしているようになってしまっているが、それは書いて読み直しているいまあちゃー相変わらず僕には成長もなんもないなと凹んでいることに免じて許してほしい。

(気を取り直して)

その再会でもまた、僕はコーヒーを淹れさせてもらう。
挨拶しながら「コーヒー飲みます?」と聞いて、道具を出しながら軽く近況報告をして、僕はもう考えることもほとんど必要ないその手順と動きでコーヒーを淹れる。
すごく自然だねとか、おてまえ(お点前)を見ているようとか言っていただきながら、僕はこの1年で、そのときどきは「1回きりの出会いとコーヒー」なのだけれど、動作として積み重ねてきたことを自分で感じられたりする。

コーヒーもお茶もそうなのかもしれないけれど、なんとなく常識みたいなことがある。それは僕もそうだったのだけれどそこにはあらかじめ正解があって、それを習うことでその動きの意味を理解したり、全体の流れを感じたり、その所作というか動きの質を高めていくことを味の向上とともに求めているようなのがお茶やコーヒーっぽい。

今回の旅や今回のご挨拶ツアーでコーヒーを淹れながら「コーヒーの淹れ方や焙煎のやりかたってどこで習ったの?」と言われるたびに、いえいえ毎日繰り返しながら、ああでもないこうでもないとやりながら今のカタチに収まったんですよ。と答えている。

そのことを振り返りながらふと思った。もしかしたら習ってしまうよりも、まず(道具はありきとして)やってみながらどうやったら流れとしてうまくいくのか、もっとおいしくなるのかを考えていくことって結構豊かなことなんじゃないかって。

それは例えば習い事をならったり、解説書を買ったり、いまみたいにYOUTUBEとかを見ながらコーヒーを淹れはじめると(そのウンチクも含めて)10がゴールとしたら3ぐらいからスタートできる気がする。
けれど道具だけあって、自分でああだこうだと考えながらとりあえずやってみて、それが美味しくなかったり、全然美しい動きじゃなかったりすることも含めて「さあどうすんべ」と考えるのって、どっちかというと自分で0から1にしているような結構おもしろいことなんじゃないかなって思う。

そうして考えること、試行錯誤をくりかえしながら質を高めていくことって、なんだか世界の秘密をちょっとだけ覗き見しているような気持ちになる。
自分が「あ!」と思ってやってみたことや、自分で考えついた流れが解説として書いてあったりしたらもうガッツポーズものじゃないだろうか。

そうやって、モノゴトってもちろんそこには正解や現時点での「よきもの」みたいなのがあると思うし、そこに行き着くすべというものは今の時代だったら調べたり観たりしたらすぐに見つけて自分のものにできると思う。

けれどそれはゲームのRPGでストーリーを読み解きながら次に自分が行くべき先や会うべき人を見つけていくことと、最初からガイドブックの指示に従いながらそのダンジョンに入っていったり、どこにどんな宝が入っているかをあらかじめ知って宝箱を開いて中身を手に入れ先に進んでいくことと似ている気がする。

僕はどちらかというと「ものごとのなりたち」みたいなものを見つめてみたいほうが多くなってきた気がする。空を写真に収めようとして見つめる雲の動きや、サーフィンで波待ちをしながら変わっていく波のカタチのように、人もモノもモノづくりや料理のようなことを日々やりながらそこに見えてくるもの。
それを見つけたときに自分の心が跳ねるようなことを見つけていったりしてみたい。

それはHOW TO本を読むことより、小説を好んで読むことにも関係があるのだろうか。レシピを見て料理することよりも、あの時食べたあの味を思い出しながら調味料を並べて料理することにも似ているのだろうか。そんなことを思いながら見つめる世界というものは、少し違って見えてくることもあるのかもしれないなと思ったりする。

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