被災地で僕が見つめていたこと。
この夏の北海道胆振東部地震。
いまの自分だからできることはなんだろう。
停電のなか、被災地に向かいながら考えた。やっぱりコーヒーだった。
Facebookでの呼びかけに全国からコーヒー豆が集まった。
たくさんのお手紙とともに。
被災地に入ってからのイメージはまだない。
こんなにも空が青くて、日差しがまぶしい。
どこかまだ現実じゃないような、いのちの重みのようなものを想像することもできないまま被災地のむかわ町に入った。
数日前、この町の法成寺というお寺に友人が炊き出しに訪れた。
「ご住職にコーヒー豆を託しておくからね。受け取って。」という友人からのメッセージをたよりにお寺へ。
ちょうど子育て世代の親子を集めたカフェの真っ最中。ご住職が家にいても余震の不安などがあるし片付けだけでは気が滅入る。少しでも居場所をつくってあげたいと、お寺で物資の配布やサロン活動をされていた。
「西川さんこのあとはどうされます?」
むかわの道の駅が避難所として利用されているそうだ。
自転車を停め、そのまま中へ。受付のところでコーヒーの炊き出しを申し出て、なかの人たちにコーヒーを淹れたいとバッグを持って避難所に入った。
昼間だから、仕事、家の片付け、子どもは学校に出かけているようだ。
避難所には高齢者の姿とともに、お留守番している小さな子どもたち。
いたずらっ子たちをつかまえて「仕事するよ!手伝って!」と言うと、お母さんに聞いてくる!とダッシュで走り去り、また笑顔で戻ってきた。「よし、これからここにいる人たちにコーヒーを一緒に作ってあげるよ」
昼間で人が少ない避難所の寝るスペースにはあっという間に配り終えた。
けれども彼らは止まらない。コーヒーの入ったポットと紙コップを持って、今度は受け付けにも、ボランティア炊き出しチームのところへも走ってく。
そんな彼らを見ていて気づいた。そうか、彼らには被災された方、支援に来られた方の壁って最初っから無いんだ。役場の人も、警察官も、自衛隊も、ボランティアも、そして避難されている方も。彼らにとってはおんなじ場所にいる人同士。これが大きな気づきだった。
避難所で生まれている少しぎこちない雰囲気、ピリピリしたもの。
それはどこか腫れ物にさわるような、気づかい思いやりなんだけれども、どこか踏み込みにくい空気だったんだ。それを子どもたちが軽々と晴らせていく。笑顔を生んでいく。
僕がここでできること。それを見つけた瞬間だった。
朝、昼、夜の炊き出しにもカフェが加わった。自分の食事を終えた子どもたちが僕のところにコーヒーを淹れに戻ってくる。多い日だと150杯ほど淹れただろうか。
子どもたちがコーヒーを手渡す瞬間が好きだ。
少しだけそわそわしてるのが手の動きから伝わってくる。
「ありがとう。おいしい。」
そのひとことが、魔法のように彼ら彼女らの表情を崩していくんだ。
帰りの彼らはどこかほこらしげな顔をしてる。
朝、避難所に行くと、もう彼らは待ってる。
夜、寝る前まで寝るところに戻らず、明日は何時からだと聞いてくる。
毎日ともだちが増えてくんだ。コーヒーを飲みに来る人もふえていく。
「わたしさ、ブラック飲めなかったのに!いまなんてもう大好き!」
「お兄さん!お友だち連れてきたよ!」
「明日もいてくれる?」
日に日にね。かけてもらう言葉も笑顔も増えていく。
お寺のサロンの日。もうなんにも言わなくても子どもたちはコーヒーを淹れ、当たり前のことように余裕たっぷりふるまってる。
厚真の避難所へはお寺チームとともに入った。ここでも避難所の子どもたちがコーヒーポットとともに走り回ってた。
「明日から炊き出しは避難所のなかの方のみになります。」そんなアナウンスが流れた。日に日に少しずつ避難所の人が減っていく。避難所のために仕切られた空間が閉鎖されてまとまっていく。
今日で最後にしよう。なにかひとつ自分の役割が区切られた感じがして。
いつものようにコーヒーを手渡しながら、明日出発するね、とみなさんに伝えた。
出発の朝。学校に行く前の男の子が目をこすりながら自分の家族のためのコーヒーを淹れていった。中学生のあいつは、学校に行く時間ぎりぎりまで来た人のためにコーヒーを淹れてくれた。でっかくなれよ。いつかまた会おうな。
今回の北海道胆振東部地震で出会ったすべての方、そしてコーヒーを提供してくださったみなさまに心からの感謝を込めて。
また今回もほんとに多くの学びをこの場所で、出会ったみなさんからいただくことができました。ほんとうにありがとうございました。
自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!