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避難所でのコーヒーが生み出すもの。

電気が無くなった。
信号はただ交差点に何もあかりを照らさず立つ。

ホームセンターやスーパーの前には行列ができ、ガソリンスタンドの前には車が並び、つなぎを着たスタッフが手押しポンプなのかハンドルのようなものをグルグルと回しながら給油をしていた。

コンビニはどこもドアに大きく「臨時閉店」と張り紙をしていて、セイコマートや少数のコンビニだけがお店を開いて、小さな端末を使ってレジを打ちながら営業している。パンやオニギリのようなすぐに食べられるものが並ぶ棚はすっからかんで、僕は数日食べられるようにパスタなどを買い列に並んだ。

電気が無い以外にはなんにも変わらないんだ。
外を飛んでいる鳥も、そこに広がる青空も、そこに吹き渡る風も。
それでも、僕をふくめた多くの人はどこかに不安を抱えて、いつもと少し違う姿でそこに居る。

かえって人の声は生まれていた気がした。
不安のなかで、自分の気が急くなかで、人と人が顔を合わせるときには声が生まれる。

「いつになったら電気が来るんでしょうね?」

それは悲しい現状かもしれない。お互いの不安を少しでも減らしたい行動なのかもしれない。けれど、この震災という共通経験はその起こったことの善し悪しではなく、人の心のつながるひとつのピースになっている気がした。


僕に何ができるのだろう。被災地まではまだ遠い。
旅なんか止めてしまって、被災地に駆けつければいいか?どっちが大事なんだ?そんなことを思いながら走っていたら日がちょうど沈んでいくところだった。


地平線に沈む夕日を眺めながら、ふと自分のコーヒーのことを思い出した。
そうだコーヒーを淹れればいい。コーヒーを淹れるために被災地に向かおう。

コーヒーは生きるためには必要ない。けれども自分にだってできることがある。僕は仲間が住む小清水町の簡易避難所に自転車を走らせた。




「みなさんこんにちは!コーヒーを淹れながら旅をしているものです!みなさんに少しだけでもホッとしてもらいたくてコーヒーを淹れに来ました!飲んでくださるかたいらっしゃいますか!?」

数名の方の手がスッと伸びた。よし、これでコーヒーを淹れられる。
「じゃあお手伝いしてくれる若者募集!」
声のトーンをあげながら続けると、女の子が手をあげてくれた。

簡易避難所では、行政が炊き出しと、住民向けの電源の貸出をしていた。
家でも電気がないので、被災状況や電気の復旧情報などを必要としてやってくる人たちもいた。

女の子に続いて、避難所にやってきた子どもたちが順々に手伝ってくれる。最初は興味本位でやる彼らも、1杯ごとに慣れてきて、どんどんと手付きも表情もたくましくなっていく。


いっちょ前にコーヒーを淹れられるようになった男の子たち。

ちょっとシャイな彼女は、コーヒーを淹れる代わりに看板を書いてくれた。

コーヒーを通して、香りと味をとおしてコミュニケーションが生まれていく。僕にできることは些細なこと。けれどもきっと届くこと。


みんなが少しずつ帰っていく夕方。彼女はお母さんのためにコーヒーを淹れてあげた。

夕食の準備をすすめる地域のボランティアの方々。

小さな女の子からの贈り物。

自分の人生を実験台にして生きているので、いただいたお金はさらなる人生の実験に使わせていただきます!