建築の進路を選んだきっかけ

こんにちは。夜だけど。


最近始まったことではありませんが、昔からブログでもTwitterでも、建築の進路を選んだ理由や、きっかけを聞かれることがあります。


何度か記事や質問箱で答えた事があるのですが、このことだけでちゃんと記事を書いたことが無いような気がするので、こっちに書いてみることにしました。
※ブログとかTwitterとか質問箱とかSkypeとかnoteやってるので、正直書いたか書いてないか覚えてない・・・


まず、僕が自分の進路として建築学科を選んだ理由は、単純に人生の軌道修正をしたかったからです。


なんかインパクトの無い理由ですね。


高校生活で全く勉強せずに遊び倒した結果、人生に大きな欠陥ができましたので、心機一転して勉強することを決めたのですが、なんせほとんど目標を持って勉強したことが無かったので何を勉強して良いか分からず、結果


「あ、そうだ、一級建築士になろう!一級建築士になれば、僕も良い人生送れるぞー!」


と思ったのがきっかけです。決意表明的なものではなくて、すごく気まぐれな思い立ちです。


今の日本の建築界隈のポジションとか労働環境の雰囲気からすると、「え?なんで?w」とか思うかもしれませんが、僕が小さいころ、生活していた海外の価値観では、建築家は非常に尊い立場だったんです。


高校生まで頭や感覚の進歩が完全に止まっていた僕は、時代背景とか日本の経済状況とか全然知らなかったので、その当時も「医者と建築家と弁護士は高等な職で、社会的立場もよく、給料も良い」と思い込んでいました。


劇的ビフォーアフターとかで「先生!」みたいに扱われている1級建築士呼も見ていましたし、とにかく建築士=医者とかと同等レベルの高等職という認識だったのです。


時代的にITやWeb、電子制御関係の進路も考えた事はあるのですが、この時仲良かったIT関係の勉強している友達がいわゆる「天才」の部類の人間で、そいつと勝負して勝てると全く思えなかったので当時は僕の進路の候補から外しました。また、バイクに乗っていたので機械とかバイクとか触る仕事も良いなぁとも思っていましたが、当時仲の良かったバイクの改造とかやってた友達があまり稼いでそうに無かったので、それも乗り気になれませんでした。


一級建築士は国家資格ですが、医師免許や司法試験のようにお金や時間が沢山かかるわけでもなさそうで、更に独学で資格を取得する人も居るとちらほら聞いていました。


医者はなるまでに金かかるし難しそうだし、弁護士は司法試験の合格率とか見ると難しそうだし・・・建築士しかねぇな・・・


という安易な考えで


「よし!僕も一級建築士を取って豊かな人生送るぜこのやろう!」


と半分気まぐれで進路を選びました。


要するに医者、弁護士、建築家の3つの中で個人的に一番簡単そうだった建築を選んだわけなのです。


学生の時の周りの「建築を選んだきっかけ」とか、他の人の記事とか読んでいると


「OOの建築家がデザインしたOOに衝撃を受けて」とか

「一度入ったOOの空間に魅了されて」とか

「OOさんの著書を読んで感銘を受けて」とか・・・


色々と書いてありますが、僕にはそんな理由はこれっぽっちもなく・・・笑


もちろん、多少はデザインとか創作とか、モノづくりとかに興味はありましたし、美術館に行ったりセレクトショップを見たりするのは好きでしたから、昔からある程度良い物(一流のもの)を見てきたつもりです。


けど、専門的な部分とか、建築家の名前とか作品とか、この当時は全然知りませんでした。


建築学科に入ったころ、僕が知っていた建築家は黒川紀章さんくらいでした。安藤忠雄さんのことも「名前聞いたことある」くらいにしか知らなかったと思います。このころ、安藤忠雄さんの建築には何度も行ったことがあったんです。けど、安藤忠雄さんという名前を知らなかったのです。


良く美術品を見に行っていた兵庫県立美術館が安藤忠雄さんの設計だと知ったのも相当時間が経ってからです。


黒川紀章さんを知ったのも、「訪れた建築で感銘を受けた!」とか「著書を読んで共感した」とか、そんな立派なものではありません。


僕が進路を考えている最中にたまたまテレビを見ていて、黒川紀章さんの訃報が流れていて


で、作品云々とか考え方に興味を持ったというより、高級外車に乗って女優さんと結婚して、すげぇ資産が残っているみたいな報道だったので、それ見て


「やっぱ建築家SUGEEEEEEEEE!」


ってなったのをきっかけに知りました。


そういうこともあって、世間知らずな僕は、わくわくさん状態で建築学科に入学しました。


「僕も勉強して即効一級建築士取ってバンバン建物建ててがっぽがっぽ儲けるぞ!」


ってね。


それが、僕が建築学科に入ったきっかけです。


入学当初も建築学科で「個性の無い商業建築群にメスを入れるんだ!」みたいなとんがりかましてやろうとか思ってなかったし、変に穿った見方もしてなかったし、無知だったこともありますが、純粋に


「建物の設計の勉強するゾ!」


と、希望にあふれていました。


建てない建築とか、哲学的崇高な空間とか、この若手がアツい!とか、全然知らなかったし、建築学科の労働環境とか界隈の経済事情とか、ビルダーとかゼネコン、組織が建てる建物と建築家の建物の区別も付かなかった。


だから、ずっと僕の中では「ビルダーとかゼネコン、組織が建てる建物と建築家の建物」どちらも「建物」で、作品ではなかったんです。心から区別(どちらが良い悪いという区別ではなく、「違う」という事が分かるという意味)がつくようになったのは、学部の基礎カリキュラムを全て真面目に終了したときくらいです。


建築家の作品も全然知らないし、デイヴィッドチッパーフィールドはデビッド・カッパーフィールドのパロディ建築家だとわりと本気で思っていました。それほどまでに、ただの建築童貞でした。


そんな理由もあって、僕は邪な気持ちなく、純粋に木造住宅の部位の名前を覚えるのに必死になったり、RC・S造の基礎を一生懸命勉強したり、歴史上の有名“建造物”の名前を覚えたり、T定規や製図道具の使い方を学んだり。


こんな時代に、ものすごく”青臭い”勉強をしていたと思います。


周りの学生が「建築鑑賞」とか「建築家の講演会」とか「オープンデスク」とか行って、よくわかんない小難しい議論展開している間にも、ずっと基本中の基本中の基本ばかり勉強していました。


時代はCADだよ!とか言われている時にT定規とか製図版で手描き図面をひたすら綺麗に描く練習をしていました。


幸運にもPCの扱いだけは自信があり、大学入学時にはすでにCADもCGも使える状態で、学内に飾ってあった4年とか修士の図面見て「へぇー、建築のCADや画像加工、CGってこの程度でいいんだー超簡単てへぺろ」とか思っていたので、逆にやる意味なさそうなアナログの技術向上にも集中できたのかもしれません。


ほとんどの建築学生は大体途中で、商業的デザインがどうとか、アナログ図面は今後無くなるとか、これからの時代はアンビルトがどうだとか、旧式の教育システムからどんどん脱線(脱線というより、旧式を踏まえずに進化?)していきますから、今の時代にこれほど真面目に「大学が組んだ旧式建築学科の教育プログラム」を何の疑いもなく受けた建築学生って少ないと思います。


ただ、そこから周りの環境にも恵まれて、どっぷり勉強するようになり、幸運にもいろんな建築家にお話しを聞かせていただく機会に恵まれ、結果色々な事を知りました。


やっぱり、建築って勉強しているととっても面白いんです。何も勉強したことなくて、何も考えてないようなやつが「良い生活してぇ~」くらいのきっかけから始めても、どんどんハマっていって、深堀してしまうくらい奥深いものだと実感しています。


算数とか哲学とか、工学全般、芸術全般を単一で勉強する時期があると思うんですが、そこからもう少し理解が深まると、さらにそれらの複合体の奥にもっとすごいものが沢山あって。


一応「建築」っていう名前がついているんだけど、それがぼんやりとしかつかめない。その周りにあるものたちの理解を深めていくと、また関連して色んなものが増えて行って、ただただぼんやりしてくるのです。机に向かうだけではなく、日常生活の中で見る景色とか現象からも様々なヒントを見つけることが出来て、さらにそこから理解が深まっていくのです。


自分で書いていても思うことですが、建築学科を卒業した今から「自分が建築学科に進んだきっかけ」を振り返ると、振り返るというか他と比べると、なんとなくお子様っぽい理由だなぁと思います。


学生の時も「コンペは金もうけするための手段」と言っていましたし、今は今でそこそこ良い生活をしているので、未だに「建築を学ぶ目標に経済的豊かさを据えている」と、周りの人に勘違いされることも多いです。


「高度経済成長が生んだ都市空間と息苦しい規制に嫌気がさした」とか「OO氏の素材を使った巧みな表現に魅力を感じました」みたいな理由やきっかけがではなく、


「羽振りよさそうだったから単純に憧れて・・・」


と言うとなんだかパっとしない理由のような気がして。


ただ、建築家が羽振りの良い人生を謳歌している風景を見たっていう単純な動機だったとしても、その動機から建築の勉強を真面目にやったのも事実ですし、色んな建築家の方に会えたのも事実です。それがきっかけで、自分が見た事あるだけの建物の名前を調べたり、出来た経緯を調べたりするようになったのです。


また、今も「OOさんがデザインしてるから、これは良い建築」と、そういう評価では無く「誰が作った建物か知らんが、格好いいぞこれ」とか友人の部屋見て「お前の部屋、カッコいいな。狭いけど」とか思う事も沢山あります。


金儲けの建築に否定的な人が建築界隈に多いように見えますが、広い家、金かけてこだわって設計された宿、入ってみたことあります?めっちゃ良いですよ。「これは一部の金持ちのために作られたから・・・」「建築はもっと広く大衆に・・・」云々かんぬん・・・


いや、とりあえずうだうだ言う前に行ってみれば良い。旅行先で良い泊まったって普通のサラリーマンが1か月頑張ればなんとかなる。で、その程度の金額で泊まれるなら、泊まってみたら良い。ほんと、圧倒されますよ。「うわぁすげぇ!」ってなりますよ。どんだけ斜に構えて見てても、実際行くとそうなりますよ。それで良くないですか?簡単で純粋な感動で良くないですか?


当時勉強したこともないようなアホ高校生が単純に憧れるわけですから、その力は本当にすごいものなんだと思います。今はインスタやSNSもあるから、どんなものであれ、建築には間違いなく色んなタイプの人々が熱狂する要素があると思います。


本も沢山読むようになりましたし、専門書に大金を払うようになったのも、建築が面白いからです。


勉強し始めた当時の黒川紀章さんに対する憧れの対象は、単純にその派手な振る舞いで、作品性やロジックじゃなかったけど、そこから何年か経って、しっかりと勉強してみると、それはそれでぐるっと回ってやっぱすごいなぁと思っています。


中銀カプセルタワービルの解体かなんかで今話題にもなっていますが、あれが空間として美しいかどうか、解体されようがされまいがどうでも良く、ただあれをあの時代に作った事実を残したことが、本当に秀逸だと思っていますので、一周回って「やっぱり黒川紀章さんすげぇ」と今も僕は思っています。


考えも秀逸で実行力もあるうえ、無学の若者を惹きつけるだけのわかりやすさも持っている人物は、今の建築界隈にはほとんどいないと思っています。


今や、分かる人にしか分からないような崇高なメッセージやロジック、何が書いてあるかわからないような巨匠気取りのスケッチと、汚い字と意味不明な矢印。それを見て歓喜して意味不明な発言する取り巻き達。


シュールな光景が多すぎる気がしませんか?


実感として思うんだけど、もう少し何も学んでない人にも分かりやすくしたらいいのに。そしたら、ただ格好良さとか、美しさとか、人間を惹きつける本来の建築の魅力にどっぷりハマる人も沢山出てくるのではないでしょうか。


僕は自分のきっかけを通して、もっと単純な興味とか憧れから建築を楽しむ人が増えてほしいなぁと思っています。


建築学科を出て、設計の仕事をしなくても、デザインの仕事をしなくても全然いいと思うんです。僕も全然違う仕事していますから。


ただ、建築を勉強していれば、どのジャンルにも役に立ちますよ。ちょっと興味を持つだけで世界は広がっていきます。すごく役に立ちます。あの建物かっこいいなとか、自分ってこういうところに住みたいなぁとか、ほんとに簡単な入り口だと思います。簡単なのは入り口だけではなくて、実は出口も簡単です。


「自分の部屋かっこよくしたいなぁ~」くらいカジュアルなきっかけで興味持って勉強しはじめて、部屋がかっこよくなって興味無くなったらやめればいい。


かっこいい部屋が出来たら「ちょっと建築の勉強してみて、自分なりに部屋かっこよくしてみたんだ!」って友達に自慢すればいい。そうやって周りに興味を持つ人を増やせばいい。


だいぶカジュアルな層が増えてきたと思うけど、まだまだ小難しい発言とかやり取りで溢れ返っているように思います。


部屋の壁紙の色を変えて「自分なりに部屋かっこよくしてみたんだ!」というと「う~ん、ここはもうちょっと・・・」とかいちゃもん付ける建築界隈人が居るのも事実しだけど、そんなのほっとけばいい。


個人的な好みで色々と思うのは全然いいんです。けど、良い理由とか評価の正当性を小難しく語らないとダメっていう空気は無くなってほしい。


家の模様替えとか、マイホームとか、DIYとか楽しいですよ。小難しく見えるかもしれませんが、もっと簡単に考えると入り口は相当広いですから。


僕なんて建築を大学の学部で勉強して、大学院まで首突っ込んでいるけど、違う方向の商売しているし、今は建築士の資格取る気もそんなに無いし、今後設計職に行かなきゃいけないなんてさらさら思ってないですよ。


ただ、仕事で何かをデザインするとき、モノだけではなくスケジュールとか、仕事のフローとか、そういう物を考えるときにも建築学科で学んだ事が役に立ちますし、旅行行けば専門知識を持って色んなものを見ることが出来るので行く先々の地域に対する見識も深まりますし、日常生活で楽しめることも沢山あります。


自分が気軽なきっかけでこの界隈に足を突っ込んだ身ですので、もっとこう簡単に興味を持って"楽しめる"人が増えたらいいし、内々でもロジックがどうとか労働環境がどうとか、設計の対価がどうとか、そんなことより「建築面白れぇー!」って楽しめる人が増えればいいと思っています。


ほんとにね。


難しすぎると頭を抱えたり、アホみたいなことで言い争ったり、徹夜とか重労働したり、低賃金で苦しむのではなく、作り手、利用者、として”楽しめる”人の方が多くなる日は、いつになったらやって来るのでしょうか。


・・・


・・・。






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