全部そこそこ

Twitterで書くには長くなりそうだけどブログ用に編集するのが面倒なのでnoteで書きますが、「全部そこそこ」って聞くとポジティブに捉えらえます?ネガティブに捉えます?

簡単に言うと運動そこそこ、勉強そこそこみたいな。

僕は「1点集中するよりは全部そこそこやってる方が他人と競合しにくい」と、わりとポジティブに捉えています。

世の中には1つの事で凄い人山ほど居ますし、それがネットですぐに分かる時代です。僕が何かを極めても(たと思っていても)、その業界の1番に勝てる確率が非常に低いわけです。

なので「これがやりたいんだ!」っていう変な固執で、常に後追いで誰かが極めた物を極めようとするよりも、全部をそこそこでやった方が結果自分が提供できる価値が増えると思っています。凡人だから。

建築は普通に建築関係者と話が出来る程度。全国区のコンペ取ろうと思ったらいつでも取れる程度。CGは気が向いて書こうと思えば(か、時間かければ)大体なんでも描ける程度。PCは特に問題なく仕事出来る程度、やろうと思えばプログラミングが出来る程度。仕事は自分の生活が余裕で成立する程度・・・

と、これら部分最適をしようとすると、必ず自分よりも能力の高い人が居るわけです。

建築の事、オタクばりに知ってる人が居る。コンペ僕より取ってる人が居る。ハリウッドとかでCGやってる人が居る。ザッカーバーグのような天才が居る。金余って余って仕方が無いような大富豪が居る。

このうち一つを極めようとしても、全部誰かの後追いになってしまうので、僕は部分最適するよりもこれらを全体最適化していくことを常に考えています。

これは学生の頃からずっとそうで、例えばコンペや設計課題にしても「模型そこそこ」「CGそこそこ」「図面そこそこ」「コンセプトそこそこ」けど、コンペ勝てるし、設計課題も大体上位っていう状態です。
※ここでは、「コンペ取るの良い悪い議論」は置いておきましょう。

逆にめちゃくちゃ模型が精巧でデカくても、CGが(素人のわりに)めちゃくちゃうまくても、コンセプトが哲学書並みに崇高に構成されていても、プロ並みに細かい図面が描けていても、結果出ない人は出ないのです。

昔は部分最適のプロフェッショナルが重宝されていたと思います。間違いなくそれだけで3番手4番手、はては10286番手とかでも全然飯が食えたと思います。

けど、今はネットがあり、Youtubeがあり、本が山ほどあります。それらを独学で学ぶだけで、昔のプロフェッショナルくらいの”スキル”は身に付きます。現に僕はYoutubeだけで勉強したスキル使って仕事取れたこともあります。

どのラインがプロフェッショナルなのか明確な定義はありませんが、仕事取る程度ならYoutubeで勉強すれば十分でしょう。

簡単な住宅くらいの設計図なら、見栄えする程度のCGなら、簡単なプログラミングなら、小学生でも出来る時代です。つまり、部分最適で勝とうと思うと、常にその最先端にならなければいけないわけです。

で、その最先端というのは、もう世界トップクラスの猛者が陣取っている状態で、後追いでどれだけ部分最適を極めようが、勝てる確率は非常に少ないです。

さて、それを踏まえて少し自分の経験を書きますが、例えば僕は仕事をそこそこやっていて、文章力もそこそこです。ガチでやってる新聞記者やプロのライターと比べたら僕が書いている記事は誰かからお金が取れるものでは無いかもしれません。

けど、仕事をそこそこしかやっていないので、時間があり、僕が記事を書いているこの時間にも例えば不動産の仕事からお金が入ってきますし、株・為替の取引きをしているのでそこからもお金が入ってくるし、記事を公開すれば多分広告料も入ってる。

本業として極めた人たちみたいに、僕は記事を書くことで大量の読者に記事を届け、月数十万ほどのサラリーを貰えないけど、僕が記事を書いても一応生活が成り立つ程度のお金は入ってきて、かつ一定数の読者が居て、読んで喜ぶ人も一定数居ます。

僕はハリウッドで通用するようなCGスキルを持っていないから、そういう人たちみたいなサラリー・報酬は貰えないけど、建築の知識がありますので自分の想いを建築で表現する手段としてそこそこのCGを使えば、全国コンペで賞金がもらえます。大学の頃にモデリングやグラフィックの制作を頼まれてお金もらったこともあります。

そこにお金が発生するということは、一応誰かが喜んだという事で、そこそこの建築知識とそこそこのCGスキルを使って誰かを喜ばせたんだと思います。

まぁ記事書いていようが、為替・株を取引きしていようが、CG作っていようが図面描いていようが、結局どれもPCの画面眺めてマウスクリックしてるだけで、やってる事は同じですし・・・。

僕には有名人みたいに講演会やトークショーをしてお金が取れるほど知名度はありませんが、Skype雑談をしたり、Youtubeに動画を公開すれば一定数見てる人が居ます。その間、別の場所からお金は入ってくるから生活は成立していて、かつそれを見て喜ぶ人も一定数居るわけです。

再生回数が100回とかだとYoutuberとして飯は食えないんだろうけど、無名の演者の講演会としてはそこそこで、講演会としてお金が取れなくても、生活には全く困ってないのです。

実際に会う企画やイベントをやれば、それはそれで自分のTwitter、ブログで告知すれば外注しなくても人が集まるので、何かイベントやろうと思えば自力で出来ます。

その際、集客・イベントビジネスとしては成立しないかもしれないけど、他に色々とそこそこやってるので、最終的には黒字なわけです。

不動産を販売する際に、その上の建物も提案します。建築をそこそこ勉強しているので、基本設計くらいは出来ます。それがほぼそのまま建ちますので、一応設計の仕事も出来ます。設計料は貰えなくても、不動産営業としての歩合とか、保険代理店としてのマージンで、生活は成立しています。

非常勤の人たちが、教えたくて大学に行っているのか、生活がアレだから大学に居るのか知りませんが、僕も「エスキスしてぇ~」とか「何か若い人に伝えてぇ~」とか思えば、自分のTwitterとかSNSで教える(おこがましいですが・・・)ことが出来ます。

実際、数字だけ見ると一般的な大学の設計とかの授業1回分よりも多くの人数にリーチ出来ていると思います。その間、色んなところからお金が入ってきます(どれだけ少なく見積もっても大学で非常勤してるよりは入ってきます)ので、別にそれそのもので必死こいてお金稼がなくてもいいのです。

全部そこそこで、その道のプロと比べたら全然ですが、幸せに生活が成り立ってて、かつ今のところうまく回っているので、更に材料を増やしつつ、全体最適をしていこうと思っています。

各スキルは僕の表現の一部で、全体というのは自分自身という感覚です。

それが恐らく最終的に「何者」っていうアイデンティティになるのだと思います。

一昔前までは「建築の人」「不動産の人」「投資家」「CG描く人」「技術者」「大学教員・先生」「Youtuber」「ブロガー」「プログラマー」・・・

とわかれていましたが、今はそれらは一部の超エリートの物で、それ以外はそうなれない(自称ならできるけど)気配がもう10年近く前からずっとしています。

それら単一の仕事は一部の超エリートに集中し、その他に振られるのはそれそのものの「価値」が求められる仕事では無く、安さとか速さとか。

エリートに集まる仕事は上に上に昇華していきますが、その他に振られる仕事は最終的に「タダでクオリティ高く速く」に収束していく確率が高いです。

「え?そんなことないよ」って思っちゃう場合はちょっと考えてみて下さい。

今のYoutuberの動画編集って動画編集ソフトがすごく優秀なんですけど、あれっておそらく一昔前のプロフェッショナルがやってたことが素人に出来るレベルまで”動画編集ソフト”が優秀になったって思いません?

CGもレベルが上がってきたのはCGの”ソフト”で昔のプロフェッショナルがやってたことが簡単に素人でも出来るようになってきたって思いません?

エクセルめちゃくちゃ優秀ですよ。今や「就活の最低条件=エクセル使える事」ですが、昔のプログラマーがすごい労力でやっていたことがエクセルのおかげで一瞬で出来ますから。

そんな時代にそのソフトを素人と同等レベルで使えるって人に「動画編集お願いします!沢山お金払います!」って頼むと思います?

その道のトップの人たちはどんどん上のステージに行きますが、その他もろもろが衰退するのは目に見えてないですか?

それがもう何年も前から分り切ってる事ですので、どうしても能力に自信があれば部分最適をやれば良いし、凡人は色んなものを混ぜて全体最適をやって、最終的なアイデンティティを確保すれば良いと思います。

※この記事で書いている「全体最適」の考え方についてはけっこう前に詳しく記事を書いているので、それを見ると分かりやすいかと思います。

■ 盲目的努力をしないための努力

注:この記事を書いたとき、年も若くて調子こいてたので言葉遣いが悪いかもしれません。すみません。




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