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煙の行方②

ばあちゃんが死んでから、100日が経った。

2022年10月18日 ばあちゃんの百箇日

2022年10月18日 私、24歳の誕生日

今日の朝までの、私の誕生日という未来とばあちゃんの死という過去が交わった瞬間の断片を残しておきたくて書く記録。



2022年7月14日(木)通夜式後、奈良にて

正体も所以も分からずじまいな、でもとにかく厳かな恰好で、正体も所以もわからずじまいな、でもとにかく厳かなお経を読んでばあちゃんを向こうの住処に送り届けてくれたお坊さんが残していった『中陰通夜表』なるものを親戚みんなでのぞき込んで納骨の日の予定を口々に言いあっていたその横で、私はその通夜表なるものに釘付けになり、思わず声を漏らした。

「これ、この日、一緒…」

みんなが静かになった。叔母さんと母親が静かに言った。

「あんたの誕生日、向こうで祝おうとしてくれたんかもねえ」

親戚はみんな関西の人で、父の転勤で20年前に千葉に出た私の家族以外は皆、京都・兵庫・奈良で生きてきた。母は千葉に来てからももちろん家の中では関西弁で、大阪出身の父は会社でもサッカーコーチをするときでも常に大阪弁だった。私たち家族のために仕事で忙しかった父と、家を守る役目を徹底してくれていた母。母と過ごす時間の長かった私には自然と、奈良訛りの関西弁がネイティブランゲージになった。

そんな私にとって親戚たちが使う「あんた」という二人称は、標準語で言われるときに感じる冷たさはまるでなくむしろ毛布のような暖かさをまとって私の耳に届いた。そして彼女らの言葉の意味を嚙みしめてまた少し、泣いた。


2022年8月28日(日)満中陰、大阪にて

例のお坊さんを見たのは当たり前にこの日を境に最後になったわけだが、

クーラーはおろか扇風機も設備されていない、なんだかサマーウォーズのあの迫真のシーンを思い出すような大広間で、ばあちゃんの満中陰の儀式があった。「この宗派ではね」と、正体所以知らずで厳かな雰囲気から一変、課外授業に連れ出してくれた先生のようにお坊さんは、餅を切って食べるという慣習を教えてくれた。腰痛持ちの私は、けれどその部位がいい!と主張するなどできるはずもなく、右腕に見立てた部分を、隣に立っていた兄とちぎって分けて、食べた。

「こんな集まるなんて今時珍しいからね」切なそうに微笑むお坊さんにぞろぞろと続き、外に出た。お葬式の日とは打って変わって、痛いくらいに日差しの強い猛暑日だった。ばあちゃんのお墓を皆で囲んで、納骨を見守った。蝉の痛ましいくらいに全力な大合唱の中、ぞろぞろと、お焼香をした。私の後ろに並んでた遠い親戚のおばさんが、「タイツ。伝線しちゃってるかも」と教えてくれた。なぜか、ばあちゃんが自分の脚を「象さんみたいやろ」と自虐して笑うのにどう返せばいいか分からず力なく笑った時の笑みを、その時返してしまった。



2022年10月15日(土)実家のごちそう、千葉にて

少し早い誕生日祝いを両親がしてくれた。遺影の中のばあちゃんは、いつもより大きく口を開けて笑ってお祝いしてくれている、ように見えた。

誕生日当人である私はというとそんなばあちゃんと同じくらい大きく開けた口でこう叫んでいた。

「23歳、ほんまなんもしてへんて!!!」

父親にふっと息を漏らされた。それが呆れからなのか心配からなのかは目を見てなかったのでわからなかったのだがこの数日後、「あんたはもっと自分のこと自信満々に話してええのにな、ってパパとお兄やんと話してたで」とコーヒー淹れながら母がさりげなさを装って伝えてくれたから、やっぱり父、心配してくれていたのかもしれない。

でも自分に対する自分の評価は、y軸正の方向にこそ、他人からの言葉では引き上げられづらいものなのだ。全くもっての私的見解なので異論しか認めない。こういう遠回りな表現するとこ、もまた私なのだ。私は私のこういうところが案外気に入ってたりする。評価の一端。



2022年10月18日(火)二度寝しないという決意と闘いながら、布団の中にて

24歳最初の予定は、病院。24歳にして椎間板ヘルニア、しかも今まで見たことない椎間板の飛び出し方のヘルニアが歳を重ねるのと同時にいらっしゃった。こういうタイミング悪いとこ、もまた私なのだ。私は私のこうi以下略。

まあとにかく、

そんなに幸先はよくないのかもな~と、歯磨きしながら間抜けな顔の自分と向かい合う。それにしても慣れない早起きをすると、どうも時間を持て余してしまう。柄にもなくコーヒーなんか淹れちゃって、でも飲む時間と歯磨きのタイミングすっかり忘れてほら、今歯磨きしちゃってる。自分の朝の機嫌と段取りの悪さが一挙手一投足に現れていることを自覚し、なかなかに反省点ばかりの朝である。

でも今日はそんな気持ちも吹き飛ばせる。吹き飛ばせるのだ!

ばあちゃんの遺影の横にお線香を立てる。桜の香りだ。ばあちゃんは花が好きだった。なによりばあちゃん自身が花のような人だった。
いつか何かの物語で読んだけど、人が事切れる時、パッとその人を表す花が大きく咲いて散るのだというショートストーリー。ばあちゃんには一輪で大きな存在感のある花が似合う。

瞼を閉じて、手を合わせる。

―――24歳でヘルニアなんてかなんなぁ。(笑) 24歳は二度寝せんと毎朝ばあちゃんとここに喋りに来るね。


飲み忘れてたコーヒーを牛乳のように飲み干して、ばあちゃんと、二階で洗濯物を干す母に、ばあちゃんと同じく花が大好きな母に、聞こえるように深呼吸して久しぶりに大きな声を出す。

「いってきまーす!」


玄関のドアを開ける。秋を感じさせる風がひんやりと、頬を撫でる。




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