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皆さん「ご縁」を大事にしてますか。…東大寺大仏殿のご朱印のこと。

これってひょっとしてタブーなのかも知れませんが、ご朱印をいただく際に少し逡巡することがあるんです。それは…ズバリ、

誰に書いてもらうか

ということ。
つまり、大きなお寺だと、ご朱印を書いてくださる方が3人とか4人おられるので、誰に書いてもらうか(誰の列に並ぶか)を決めるというプロセスがあるわけです。どこの列に並んでも、書いてある文句自体は同じなんです…ケド、

当然、書く人によって文字の雰囲気やデザインが、かなり違う。

最近は、ご朱印の写真をSNSに上げている方も多いので、お寺に行く前に見たりもします。カッコいいなぁ、なんて思いながら。

でもね、

実際に行って、何気なく並んで書いていただくと、

アレー?

写真と全然違うよね…ってときもあるわけです。こりゃまあ、書く人が1人に固定されてるワケじゃないから、当たり前なんですけど。

そんなこんなで、さっき、逡巡と言いましたが、具体的にはこういうことなんです。↓

こういうのは縁のものなんだから、選ぶんじゃなくて、自然体で、あいた窓口で貰うのが良いんじゃないか?

と言ってくる自分と、

いや、何度も来れるワケじゃないんだし、あの、写真で見たカッコ良い字体のやつが欲しい!

と言う自分がいるワケです。

で、結論から言いますと、僕は、

その場の気持ちで決めます。

つまりその場に来て、カッコいいのが欲しいと思った時にはガマンせずに、書いていただく人を選んじゃいます(といっても、何気なくその列に並ぶだけですが)。だって、やせ我慢した結果が、アレー?ってなったら、何しにお参りに来たのかわからないから。

気分良くなるためにお参りに行ってるんですから。

今回お参りした東大寺大仏殿でも、まさにこの逡巡が。

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ここは、4人で書いておられました。
それで、ボクは上手い下手じゃなくて、力強そうな太い字が好きなので、それっぽい感じの方の列に並んでました。結構並んだんですね。10分くらいかな。
で、ボクの番になったんですが、

なんと!

ちょうどボクのときに、書き手が交代。

うわっ、このタイミングか。

と思ったのですが、しかし、その交代された方のご朱印が素晴らしかった。これです。

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「華厳(けごん)」。

選んで書いてもらったワケじゃないのに、

… 美しい。

逡巡を経て、

図らずもこの瞬間、ご縁を感じました。

こういうことが起こると、やはり、自然体で、ご縁を大事にするということが、心を豊かにしたりするのかな、なんてね、

そんな風に感じた出来事でした。

(追伸:お寺によって、それぞれの書き手に列を作る場合と、コンビニの会計のようなフォーク形に並ぶ場合があることを考えると、前者は暗に、選んで良いよといっているような気もします)

新撰組ゆかりの壬生寺のご朱印はこちら。

空也上人像の六波羅蜜寺のご朱印はこちら。

それでは、またー!

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