見出し画像

三千世界への旅 ネアンデルタール 5 滅亡とホモ・サピエンスの関与

結局ホモ・サピエンスとどこが違うのか


レベッカ・サイクスは『ネアンデルタール』の中で、石器やその他の道具、生活様式、食事、愛情、美的感覚、死生観など色々な角度から、ネアンデルタール人の文化を紹介していますが、こうして見ると、年代的な古さの分だけその後のホモ・サピエンスの文化より素朴ではあるにしても、本質的な違いはそんなにないのではないかという気がしてきます。サイクスが言いたいのもおそらくそういうことなんでしょう。

『ネアンデルタール』の英語版のタイトルは「Kindred」つまり親類です。ネアンデルタールは、ホモ・サピエンスとアフリカで50万年くらい前に枝分かれした、親類のようなものだと彼女は考えているようです。


どのように滅んだのか


最後にサイクスはネアンデルタール人がなぜ、どのように滅んだのかについて考察しています。

彼らの痕跡はおよそ3.5万年のものが最後だとのこと。この時期は、今のところ地球最後の氷河期の初期にあたります。彼女は気温の低下もネアンデルタール人の滅亡に関わりがあるだろうと考えているようです。

彼らはそれまで何度も氷河期を乗り越えてきたんだから、寒さが滅亡の一因と考えるのはどうなんだろうと素人の僕は思いますが、彼女によると、ただ気温が低下しただけでなく、より温暖な地域にはアフリカから進出してきたホモ・サピエンスが勢力を広げていたことが大きく作用したのではないかとのことです。

サイクスは学者ですから、多くの考古学的証拠を検討しながら複雑な推論を展開しているので、彼女の説をあまり単純化するのは良くないかもしれませんが、彼女の推測をまとめると、次のようになります。

ネアンデルタール人は、それまで温暖期にはユーラシア大陸全域でのびのび暮らし、寒冷期が始まると南部の比較的暖かい地域に移動して徐々に寒さに適応し、南部まで寒くなる頃には、トナカイなど寒冷地の動物を狩りながら生きることができるようになっていたのではないか。

それが最後の氷河期は、南部にホモ・サピエンスが広がっていたために、避難地域がなく、彼らは寒冷化が進む地域との境目あたりで徐々に少なくなっていく食物で飢えを凌ぎながら個体数を減らしていき、やがて最後の個体の死によって地球上から消えた。


ホモ・サピエンスとの闘争はあったのか


そこで気になるのは、ホモ・サピエンスとの戦いはあったのか、ネアンデルタール人は彼らと戦って負けたのか、殺戮はあったのかということです。

『サピエンス』の中でユヴァル・ノア・ハラリは、ホモ・サピエンスが地球上に広がっていく過程で色々な人類の先輩や多くの動物が絶滅していることを挙げて、闘争や大量虐殺の可能性があるとほのめかしています。彼は人類の原罪を告発する思想家ですから、そう考えるのは当然なのかもしれません。

しかし、先史時代の考古学者であるサイクスは、ホモ・サピエンスによるそうした攻撃や支配・征服があったとは考えていないようです。集団的な殺戮を思わせる痕跡が今のところ発見されていないからでしょうか。

彼女はホモ・サピエンスの方が大規模な集団による組織的な狩りや採集ができた分、同じ地域にいるネアンデルタール人より優位に立っただろうとは考えているようです。

そのとき飢えたネアンデルタール人はどうしたんでしょうか? 凶暴になってホモ・サピエンスの集団を襲撃したりしなかったんでしょうか?

サイクスはそれについて語っていませんが、ネアンデルタール人からの攻撃があったとも考えていないようです。

ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりマッチョで身体能力に優れていたけれども、性格は優しかったため、飢えても我慢しながら衰弱し、早めに生を終えていった。あるいはホモ・サピエンスの中にネアンデルタール人と融和する人たちが現れ、飢えたネアンデルタール人に食べ物を与え、彼らの社会に迎え入れたといったことがあったのではないかと、サイクスは想像しているようです。


ホモ・サピエンスとの交配


ホモ・サピエンスの集団に迎え入れられたネアンデルタール人の中には、ホモ・サピエンスとの交配によって、人類の中に遺伝子を残す人たちもいました。

『サピエンス』によると、2010年にヒトのゲノム解析が行われ、中東と欧州の現代人のDNAの1〜4%がネアンデルタール人と一致していることでがわかったとのことです。あまり大した数字ではないようにも思えますが、3.5万年以上経過した年月を考えると、当時はそれなりの数のネアンデルタール人がホモ・サピエンスと交配し、共通の子孫を残したと考えることはできるかもしれません。

つまり、ネアンデルタール人が気候の変化と、ホモ・サピエンスとの競争に負けたことで減少していった中で、ホモ・サピエンスと交配することで人類の遺伝子の中で生き残ったのだと考えることもできるわけです。

競争によって勝敗が決したことと、敗者の一部が勝者の社会に迎え入れられ、交配して子孫を残したことは、説としてどちらかしか成り立たないわけではなく、両方が起きたと考えることもできるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?