みつなべあ

書きたい時に書きたいだけ。エスケープ。

みつなべあ

書きたい時に書きたいだけ。エスケープ。

最近の記事

久々に自分の投稿を見返すと、このアカウントはネガティブのエスケープとしての場になってるのがよくわかった。笑

    • 悲しいより不可解が上回った出来事

      *微グロ注意⚠️ネガティブ注意⚠️ 苦手な人はそっ閉じ推奨です…! * * * * * 職場で妙な出来事があった。 基本的に室内ワークのため、頻繁に人が出入りするわけではない。 なので、たまたま、早めに発見した、という感じだった。 一人が外へ出ようとし、扉を開けてすぐ、足を止めた。 そのまま、中にいた私のことを呼び、知らせてくれた。 スズメが… 玄関先ど真ん中で一匹のスズメが息絶えていた。 先に見つけた人と土に埋めてあげようという話に至り、2人で手を合わせた。

      • 漏斗胸?マルファン症候群?

        唐突ですが、私は『漏斗胸(ろうときょう)』という疾患を持っています。 胸骨の変形で、胴体が赤血球みたいにくぼんでいる、って言うとわかりやすいですかね? 昔からずっと漏斗胸には変わりないんだけど、服着てりゃ周りからはわからないし、言いふらすことでもないなと今までは思ってて。 しかし、なぜか急に思いたって、改めて調べて、「マルファン症候群」というものを知って怖くなり急激に悩んだので…笑 とことん悩み抜いてみました!!(成果は画像にて!) もし、同じような症状で悩んでいる人の参考

        • 2019年という一年

          「まさか、こんなことになるとは」 なんてセリフは、案外ありふれているけれど… それにしても、昨年の今頃は誰一人として予期していなかったはずの未来が、現実に起こってしまっている。-- ……と、なんとなく壮大な書き出しで始めてみました📖笑 そうなんです。 昨年の今頃、真面目で従順な会社員として働いていた人が数ヶ月後には仕事を辞めて学生になっているなんて"誰も"想像していなかったんです。 当の本人でさえも。 (※自分語り「受験エピソード」の章、幕開け🏇💨) いやまあ、新

        久々に自分の投稿を見返すと、このアカウントはネガティブのエスケープとしての場になってるのがよくわかった。笑

          反省文

          以前、正職員1年目に受けた研修の一部に 「思い込みに気をつけよう」 ということを学べるものがあった。 講義にはテキストが用いられた。いくつかの事例が記述されているものだ。 それらの事例を読解して班ごとにディスカッションする形式。 どの事例も「〜ということで新人Aさんはミスをし、注意を受けてしまいました。Aさんの何がいけなかったのでしょうか」という具合。 それらの模範解答の大多数は「このぐらい大丈夫だろうと思い込んでしまったのが原因」というものであった。 講義の終わりに

          ‪心ある人になりたいなっていう憧れがある。でもそれは、身を削ってまですることじゃないのが本来の大前提。線引きは簡単じゃないけど、お互いにとって大事なこと。‬ ‪いざ自分が助けてもらう側になった時も、そこんところ気をつけたい。「してもらう」が当たり前になった生き物は、怖い。‬

          ‪心ある人になりたいなっていう憧れがある。でもそれは、身を削ってまですることじゃないのが本来の大前提。線引きは簡単じゃないけど、お互いにとって大事なこと。‬ ‪いざ自分が助けてもらう側になった時も、そこんところ気をつけたい。「してもらう」が当たり前になった生き物は、怖い。‬

          無題

          「自分のことばかりすみません…」と思いつつ、自分周辺の無害に安堵せずにはいられない(・_・) 被害、ひどい地域は本当に無残。 でも、冷酷なことを言うようだけど、どう"考えた"って画面越しに見る光景は他人事でしかない。 実感しなきゃ、重大さは"わからない"。 "わかった気になる"ことはできるかもしれないけどね。 そして、「わかった気でも何でも良いから行動してくれ」って思う部分もあるんだけどね。 #災害 #理解 #持論 #今だから残せる

          自分が在ること

          自在 =自(おのれ)が在る =おのれのまま =我が儘(ワガママ) 「ワガママな性格」と聞くと、マイナスなイメージを持たれることが多いように感じる。 けれど、「私のままでいる(在る)」「素のままの自分である」というニュアンスで捉えると、途端に印象が変わってくるのではないだろうか? …そうでもないか?笑 唐突に、ここで 「他人に迷惑をかけるのが怖い」という人に言いたい。 「ワガママ」=「ちょっとしたお願い」として考えれば怖くないよ。 むしろ「頼ってもらえた」「助けに

          自分が在ること

          誕生日

          ある日いきなり、最近知り合ったAさんからプレゼントをもらった。 「誕生日おめでとう!」 「え、私?誕生日ぜんぜん違うんだけど…?」困惑する私。 「あれ、いつだっけ?」 まあいいじゃん、受け取ってよ、とAさんは笑顔を向けてきた。 いや、まあ、嬉しいんだけどね。ありがとう。 思い返せば、滅多に他人に誕生日を教えない私はAさんにも誕生日を教えたことはなかった。 しかし、あたかも一度知った情報のように「いつだっけ?」と聞かれれば、何の気なしに反射的に答えてしまっていた。

          メモ:8050、行く末

          メモ:8050、行く末

          差し伸べられた手に気づけなかったとか、気づいてたけど掴み返したくなかったとか、そもそも掴み返すことを知らなかったとか…色々あるけど、なんなら掴んじゃいけない手も紛れてたりするから本当にややこしいんだけど。 色んなあやふやなものの中で、紛れも無い事実は、選んだのは自分、だからね。

          差し伸べられた手に気づけなかったとか、気づいてたけど掴み返したくなかったとか、そもそも掴み返すことを知らなかったとか…色々あるけど、なんなら掴んじゃいけない手も紛れてたりするから本当にややこしいんだけど。 色んなあやふやなものの中で、紛れも無い事実は、選んだのは自分、だからね。

          こだわり。

          弁解したい。とても弁解したい。 誰かに触れられた話ってわけでもないから、弁解というのもおかしいかもしれないけど。 ただ、 「組織の一員としての私」は知っていても「プライベート時の、何でもない私」をあまり知らないがために、 組織モードの時の私を、プライベートモードの私とまるっきり同じだと認識して欲しくはないのです。 突然ですが、 誰しも、二面性も何面性も持ってますよね? 歳を重ねれば重ねるほど。笑 私だって一緒なのです。(たぶん) 私の場合、 自分のこと(他人が絡ま

          他人を傷つける意図で放つ皮肉は無駄だと思う。でも、クレーム電話を「ハッピーコール」と呼ぶのは、皮肉というよりかは人生を愉しむ工夫に感じる。そういうポジティブ転換は大切だと思う。

          他人を傷つける意図で放つ皮肉は無駄だと思う。でも、クレーム電話を「ハッピーコール」と呼ぶのは、皮肉というよりかは人生を愉しむ工夫に感じる。そういうポジティブ転換は大切だと思う。

          不思議体験。

          今年の3月の頭、とある日に、自室でギターを鳴らして 「あ、このコードの並びいいな〜」 などと遊んでみた。気分転換だった。 それを、とりあえずスマホのメモに残しておいたのだ。 そのまま、時は過ぎ去り… つい先日、4/24(水)の朝、 起きがけに夢の中で誰かが歌っていた。 サビらしい部分で、歌詞もメロディーもはっきりと聴き取れた。 起きてすぐ、忘れぬようにと録音を試みた。 しかし、歌ってみると歌詞はラストの部分しか覚えておらず、 メロディーも、少しだけ途中が曖昧になってしまった

          不思議体験。