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中途半端な乗り物だと思っていた在来線特急が実は旅情の塊だったと気づき大好物になった紀伊半島一人旅の話。

名古屋から紀伊半島を一周して和歌山に至る一人旅をした。紀伊半島が予想以上に巨大だったので、特急列車を3本も乗り継ぐことになったのだ。近鉄特急で伊勢まで飛ばし、そのあとはJRの「南紀」と「くろしお」でコトコトと進んだ。

新幹線、在来線普通電車の中間的存在である在来線特急。中途半端な存在で使い所がよく分からないと思っていた。「急ぎたいなら新幹線か飛行機、近いところは普通電車。特急って何用?」と。

だが、その考えは今回改められることになった。普通電車より快適な車内、新幹線よりもゆったりと流れる車窓。「中途半端」だと思っていたのは、「いいとこ取り」だった。

深い森の合間を縫って、海岸線に沿って。豊かな緑と雄大な海が織りなす最高の車窓。シートを軽くリクライニングさせて、リラックスしながら景色を眺める。

特急「くろしお」の信じられない位美しい車窓

途中、森の中にポツンとあるような、「いや誰が使うねん、なんで作ったん?」みたいな駅にも停車することがある。古びたホームと比較的新しい特急列車の車体がコントラストを生み出す。静かに開く片開きの扉には、荒れた惑星の大地に降り立った宇宙船の扉のような趣きがある。

駅で買い込んだお弁当やお酒を嗜んでもいいし、小説を読んでもいいし、音楽を聴きながらぼーっとしてもいい。思い思いの過ごし方で、目的の駅までの時間を楽しむことができる。それは暇つぶしと呼ぶにはあまりも素敵な時間の過ごし方だ。まさに、「旅情」そのもの。深いため息をつきたくなるような幸せな気持ちで心が満たされる。

在来線特急の旅は、単なる移動ではなく、立派な旅そのものだ。目的にもなり得る。一回あたり2、3時間乗っていたが、目的の駅に着いた時、「まだ乗っていたい」とさえ思った。

思えば、小さい頃は電車大好きキッズだった。それが通勤ラッシュの地獄を体験して、いつの間にか鉄道の良さを忘れてしまっていたのだ。旅行を計画する時にも、電車は移動手段に成り下がっていたと思う。だが、特急での移動というのは快適で、旅情に溢れていて、乗車すること自体を素晴らしい体験にしてくれるのだ。

特急「南紀」はお顔がやや煤けている感じ。

速さでは飛行機や新幹線に、安さでは普通電車や自家用車に軍配が上がるかもしれない。だが、敢えての在来線特急という選択肢も検討の余地ありだ。「時間」「費用」に加えて、「旅情」という第三の評価軸を持ってみよう。在来線特急の旅は、本当に心が満たされる「旅」だった。

#わたしの旅行記

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