蝉時雨

ある晴れた昼下がり、父親が息子を連れて殺風景な公園を散歩していた。
「ねぇ、お父さんこの穴なぁに」
少年が指差したのは小さな穴だった。
「ああ、そうか。お前はまだセミを知らないんだね」
「セミ? セミってなぁに?」
「セミという虫は何年もかけて土の中で過ごすんだ。なかには7年もの間、土の中で過ごす種類もいるんだよ。この穴は、そんなセミたちが掘った地下トンネルさ」
「へぇー。そうなんだ! お父さんあっちにも… あっ!こっちにもあるよ! 見て!穴の大きさが違うよ!」
「種類によって大きさが違うから、穴の大きさも違うんだよ」
「ふーん。それでセミはどこへ行ったの?」
「土から出た幼虫は高いところに登って、変身して羽を広げて飛んでいくんだ。でも、大人になると少しの間しか生きていられないだ。だから、セミを見つけてもイジメちゃだめだぞ」
「うん!ぼく、セミを見つけてもイジメないよ!」
「お前はいい子だな。どこかに抜け殻があるかもしれないから探してごらん」
父親は我が子の成長とセミを重ね合わせて、なんだか息子が大きくなったような気がした。
しかし、抜け殻は見つからなかった。
「お父さん。抜け殻なんてどこにもないよ」
「いや、そんなことはないだろう。木の枝とか、車止めのポールとか植木の周りにあるロープにあるはずなんだけどなぁ…」
親子はセミの抜け殻を探したがやはりどこにもなかった。
「お父さん、ここ何もないね」
公園の出口で親子がようやく見つけた立札には、子どものケガを防止するために遊具が取り除かれ、害虫発生を防止するために木が伐採され、不良の溜まり場とならないようにベンチが撤去され、衛生管理のためにゴミ箱が撤去されたことが書かれていた。
晴れた青空の下、親子がいなくなった公園には、セミの鳴き声も子どもの声もせず、ただ無数の暗い穴だけが空いていた。
#ショートショート #小説

✳︎追記
2017-08-01 放送にて採用されました。
https://www.tbsradio.jp/169799

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