現実は小説より奇なりの登場人物とトリックについての考察

先ほどからTwitterのタイムラインをめちゃイケ関係のTweetが流れていく。内容に全く興味はないが、そのTweetをする人々にはとても興味がある。
例えばそうだな、経済動物の問題を挙げてみたい。生きたまま皮を剥がれるアンゴラウサギが絶叫する動画が世界でシェアされ、それまで何の興味を示さなかった人の中に「正義」が芽生えたり、波打ち際にうつ伏せのまま事切れている幼児の写真を見て、ある日突如として「正義」が湧いてくる。
大衆というのは感情移入できるかどうかで価値を決める気持ちの悪さを持っている。怒りを焚きつけられれば戦争をし、悲しみを覚えれば慈愛に満ちた言葉をかける。
気に入らない芸能人が問題を起こせば罵詈雑言の石飛礫を投げ、知らない政治家の差別発言や巨額の横領、大企業の粉飾決算には彼らの「正義」は反応しない。

つまり、社会的制裁の重さの判定はこうなる。
1.怒りを焚きつけられるほど重い
2.政治家、官僚、大企業などの組織犯罪に対してはイメージが至らないので反応は鈍く、知名度の高い個人ほどターゲットになりやすい
3.自分が怒っていなくとも「みんな」が怒っていれば参加する
4.「みんな」は存在しない人間やbot、根拠に基づかない印象論であっても構わない

⒈は思慮の浅い直情的な人間ほど正義の陪審員に向いていることを意味する。
⒉についてはよく該当アンケートなどで見かける「どちらともいえない」に丸をつける人であり、洗脳にうってつけの人材である。
⒊は集団的自衛権を合憲だと言い張る人間で、論理破綻しているドン・キホーテに連なって風車でミンチ肉になることに滅びの美を感じる人間。
⒋は従順な人で無理を強要されても仕方ないと言って奴隷に使える。

以上の見解の目線は「大衆をどうすれば操れるかを考える人間」である。
つまり、多くのテキストをあらかじめ散りばめbotでリアクションして拡散し、大衆の怒りを焚きつければとても重い社会的制裁を加えることが可能になる。
大衆は自分の正義が犯罪だなんて微塵も思ってやしないし、その正義の証明もできないのだ。

あなたは〇〇さんを殺しましたか?
→殺していません。
あなたは〇〇さんを精神的に追い詰めましたか?
→いいえ。これは正当な批判であって、私以外のみんなもやっていました。犯罪だなんて馬鹿げています。
→みんなとは?
→他にもいるでしょう? 私以外にも書き込んだ人が。
→人…ですか。いずれにせよこの裁判はあなたの裁判です。あなたのことを聞いています。
ただ、共犯者ということなら話は別です。みんなとは面識があるのですか?
→いいえ。面識はありません。
→そうですか。では、話を元に戻します。
あなたはその正義を行使する際に、一度でも相手のことを考えたことはありますか?
→その亡くなった有名人が私のことを考えてくれたこともないでしょう? それと同じですよ。
→なるほど。まとめますと、あなたは自分の正義感から正当な批判をしただけで罪とは考えてないと?
→ええ。
→自分以外にも誹謗中傷を…あなたの言葉でいうところの「正義感に基づいた正当な批判」をした人間はたくさんいたと。
→ええ。
→いたからどうなんでしょう?
→正義ということですよ。大勢の人がそう言っているのだから正しい。
→みんなが言っているから自分はそれに従ったということですね。
→そうです。そろそろいいでしょう? これ以上は時間の無駄です。
→実は私もなんです。
この裁判はネットで中継されているわけですが、先ほどから「殺せ」だとか「死刑で良くね?」というコメントがとても多く、アンケートの結果もそう出ています。
→⁈
→判決を言い渡しましょう。
「パーン!」

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