折時成

あの頃の俺はひたすら路上で歌を歌っていた。
曲を作って、歌って、会場が抑えられた時はフライヤーを作って、チケット売って、歌って、励ましあって、また曲を作って。そんな繰り返しだった。生活はカツカツで、ろくなものを食べていなかったけど、周りにも同じようなやつらがいて今しかできないことをやっている充実感があった。
二十九にもなってろくな生き方をしていない。ちゃんと働けと両親に何度も言われたけど、ろくでもない社会で真面目に働くことほどブラックなジョークはないと思っていた。それでも、だんだんと周りの仲間が足を洗って就職していくのを目の当たりにすると内心穏やかではいられず、なんだか心細くなっている自分がいた。
そんな不安を振り払うようにガムシャラに歌う毎日。あいにくその時には音楽業界の路上ミュージシャンブームは過ぎ去っていて、足を止めてくれる人は減っていた。辞めていくやつらは時代の流れを読み取って賢い選択をしていたんだ。
ある日のことだった。
「君さ、何で誰も聞いてくれないのか考えたことあるかい?」と身なりの整った、一見、金融証券マンのような五十代の男性から話しかけられた。
「暗いんだよ」
「暗く見えます?」
「そう。君の声はいい声だと思うけど、歌ってる歌が暗いからみんな通り過ぎるだけなんだよ」
自分なりには上出来だと思っていたけど、そう言われてみれば歌う曲はテンポが遅めのものが多く、バラード曲も多かった。
「でも、他人の歌を歌うのは気がひけるんすよ。一応、オレ、プロ目指してるんす」
俺は自分のスタンスを回答した。
「いいかい? 歌を歌う人間のことをシンガーっていうの。だからね、プロになりたいならどんな歌でも歌えないとだめなのよ」
自分の歌をいかに上手に歌えるかだけを考えていた俺にとって、この助言は目からウロコだったし、それは「他人の歌を歌ってはいけない」という呪いから解放された瞬間だった。
男性は俺の肩に手を置いて「応援しているよ。頑張って」と告げると、足早に去っていった。
「あの人はきっと、俺のことをずっと見ていてくれたんだ」
そう気づいてから、俺は目をつむって歌うことをやめた。時間帯によって歌う曲も変えるようになったし、誰もが知っているような曲も歌うようにもなった。
自分の曲を歌うよりもお客さんが集まるのは正直気分がよくなかったけど、人の群れができていると自然に足を止める人が増えた。中にはやめたやつらのファンをやっていた人もいた。
カヴァー曲を歌うようになってから思ったよりもお客さんが集まったので、もっとリーチを伸ばせないかと俺はネットに動画を投稿するようになった。
その時の生活リズムは朝起きて、録音して、動画を投稿して、夜のライブ告知をして、現場で歌って、だいたい夜中の三時頃に帰宅していた。驚くことに動画は結構な再生回数を記録し、それは今まで俺の歌を聞いてくれた人数とほとんど変わらないぐらいだった。多くの人に歌を届けることができるのは単純に嬉しかったし、ストリートで「動画見ましたよ」と声をかけてくれる人もいた。
あの男性に会ってから何から何まで順調だったから、もし見かけたらお礼を言おうと思いながら毎日歌っていたが、タイミングが悪いのか一度も会うことができなかった。それでも、ずっと歌っていればいつか会えるだろうと思って、俺は歌い続けた。
そんな時、思いもよらない出来事が発生した。
なんと、カヴァー曲で広告収入を得ているのを理由に権利団体が著作権の侵害を訴え、動画投稿サイトの運営は俺のアカウントを削除したのだった。今まで積み上げてきたものが全て否定された気がした。俺は法律に詳しくないからどうすることもできず、泣き寝入りするしかなかった。
その日以来、他人の曲を歌うのは恐怖でしかなくなり、精神的に不安定になりストリートで歌う回数も減っていた。
それは前と同じだった。自分の中のフラストレーションを吐き出すために歌うだけ。前と違うのは若さが無くなり、前よりも暗い歌を怨念を込めて歌っていたこと。
「久しぶりだね。動画やめちゃったの?」
ふと、顔をあげるとそこには俺の運命を変えてくれた男性が立っていた。
「お久しぶりです! 以前はお世話になりました!」
「赴任先が海外だったから君の声を聞くことができなかったんだ。でも、君が動画をアップしているのを見つけて元気でやってるんだなって安心してたんだよ」
「見てくれたんですか。ありがとうございます」
「だいたい全部目を通したよ。でも、やめたのはどうして? 毎日アップしてたから疲れたの?」
「いえ、実は…」
俺はその理由を話すことにした。
「んっ⁉︎ それはちょっと違うんじゃないかなぁ。僕の知り合いに弁護士がいるからもし時間が空いてたら相談しに行こうか」
「ホントですか? ぜひ、お願いします」
俺は男性に弁護士を紹介してもらい、サイトの運営会社と何度かやりとりを重ねて、なんとか自分のアカウントと動画の復旧をすることができた。
「本当にありがとうございます」
ファンとのつながりの場でもあったので、復旧した時は思わず涙が出てしまった。
「いやいや、カヴァー曲をやってみろと言ったのは僕のほうだし、君のせいじゃないよ。それとね、これは相談なんだけど、一人じゃ何かと大変だろうからサポートしてあげようか?」
たらればを挙げたらきりがない。どんどん仲間が居なくなり、それに比例して心細くなり、誹謗中傷されながら動画をアップし続けて、ようやく自分の居場所ができた。偶然通りかかったその男性が事務所の社長になるなんて、路上で歌っていなかったらあり得ない話だろう。これがオリジナリティーというものなのだろうか。
#小説

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