何も言えない

「何も言えない」
うちの両親はガソリンスタンドを経営していた。小さい頃から俺はガソリンや油の匂いの中で育ち、顔馴染みのおっちゃん達に可愛がられ、すくすくと成長していつの間にかおじさんに近づいている。
ガソリンスタンドを継ぐことは俺の中では決定事項だったし、ここら辺でガソリンスタンドなんてほとんど見かけないから、ドライバーからしてみれば無くては困る存在だ。ただ問題が一つあった。子どもの頃からあったということは確実に老朽化している。しかも、地下に貯蔵されているタンクの使用期限は法律で決められていて、交換するには600万円が必要だった。これは大きな問題だった。
大学に進んでぼんやりと将来のビジョンを描いていたとき、ふと海外のガソリンスタンドを見てみたくなった。ゾンビ映画でしか見たことがなかったし、何かヒントがあるのではないかと思ったのだ。
それは同時に、何かあった時のために続けていた500円玉貯金箱を開ける日が来たということだった。
総額40万円。タンクの改修費用に使ってくれと言うつもりだったが、学費にしろと言われるだろうと思って両親には内緒にしていた。
俺は未来のために使うことにした。

旅行はあっという間だった。
初めてドイツに行った。サッカーは素晴らしい。スタジアムは声が響くように設計されていて、スポーツが芸術の一部であることを感じさせた。ついでにガソリンスタンドを見て回ったが、まぁ汚いこと。店員も無愛想だし、居心地がいいとは言えない。
でも、日本と違って軽食を食べることができるのは大きなヒントだった。
「そうだ。小型のサービスエリアを作ればいいんだ」と閃いた。
しばらくすると、自分と同じレプリカユニフォームを着たおじいちゃんがやってきて、気さくに声をかけてきた。ドイツ語は全く話せないから、カタコトの英語とボディランゲージでコミュニケーションをとったが、こういう繋がりが必要だと思った。サッカーでなくても、地域の情報が得られるような場所ならかなり便利ではないだろうか。
ガソリンスタンドを後にし滞在先のホテルに帰る最中のこと。夢に胸をときめかせていたら盛大に転けてしまい、膝から血が止まらなくなった。焦った俺は近くの公園に行き水道を探したが、そんなものはどこにもなく、あるのは木製の遊具だけだった。
膝から血を流しながらも血眼になってハァハァ言いながら見回ると、ブランコに乗ってるアジア人女性が見えた。まるで家族が死んだような暗い顔をしていたので思わず「大丈夫ですか?」と声をかけると「あなたこそ大丈夫ですか?」と言われ、ポケットティッシュをくれた。
恩人に感謝をし、簡単に自己紹介をすると彼女はお菓子の留学でドイツに来ているが行き詰まってしまって悩んでいるのだという。
血を拭いながら「そうですかぁ」と相づちを打ちするしかなかったが、彼女の話を聞いてサービスエリアに客を呼ぶには目玉スイーツがあったらいいのではないかと閃いた。いい加減なことは言うものではないけど、沈黙を埋める話もないし、俺は小型サービスエリア構想を彼女に話して連絡先を渡した。
じゃあと言って足を引きずって帰った。別にかっこよく見せるつもりもなかったし、なんだか感覚もなかったから限界だったのだろう。
ドイツへ来てから、足を伸ばして風呂に入っている時が一番のリラックスタイムだったのに、傷口を手のひらでおさえながら、ゆっくりと地獄みたいな声を出して入らなければならないなんてと、ダサい自分を呪って旅行は終わりを迎えた。

日本に帰ってアイデアを実行に移すには資金もそうだが、衛生上の問題が立ちはだかった。そこで近所のパン屋のご主人に移動販売車を出せないかと持ちかけて、試しにやってみたらアレヨアレヨと大繁盛。役所から老人会の広報紙なんかを余分にもらって置いておいたら、じいちゃんやばあちゃんが来てくるようになった。少し余裕が出てきたので、WiFiを設置したら十代の学生も来るようになった。田舎には刺激がないのでこのエリアを周回しているクレープの移動販売車にアポを取り、ぜひうちの近くでも売ってくれと言ってみた。田舎町にクレープ屋がやってくるということで、女子高生にばかうけだった。
うちのスタンドが売ってるわけではないのでこの分の儲けはないが、移動販売車が定期的にガソリンを給油してくれるので顧客の確保はできた。フードコート作戦はとりあえず成功だった。
次にテコ入れしたのは自動販売機の設置とカプセルトイのコーナーだった。田舎町のおもちゃ屋や大規模な商業施設はほとんど潰れてしまい、ガチャガチャがほとんど見当たらないことが以前から気になっていた。しかもガチャガチャは電気を使わないので維持費がほとんどかからないというメリットもあった。商品については顧客の年齢に合わせてチョイスする必要があったが、人の顔を思い出すのが楽しかったので面倒とは思わなかった。

クレーム対応で一番多いのはガソリン臭いというものだった。当たり前だし仕方ないのだが、考えてみれば確かにそれが解決できたらさらに来てくれる人が増えるかもしれないと思った。そこで思いついたのが電気自動車の充電スタンドだった。こんな田舎町では無用の産物であることは重々承知だ。ただ、時代の流れを考えると一台分のスペースは設けておいたほうがいいのではと思った。
設置してみると面白いことに、近くに住んでいる住民の中に電気自動車を購入した老夫婦がいた。電気自動車を充電するには時間がかかるので、たいていの場合は自宅で充電することが多い。ご本人に話を聞くと充電が気になってドライブするにも遠出できないし、ここにできてくれて助かったと言われた。まだ電気自動車を受け入れる社会が整っていないようだと気付き、その夫婦が快適に過ごせるようにと、雑誌や本を充実させることにした。

順調ではあったけど、600万円という金額は決して小さなものではなかった。それに、もし改修するとなると工事の期間は営業ができなくなってしまう。その間に顧客が逃げるということも考えると、別の場所にもう1店舗を設けて、こちらをクローズするのが自然な考え方だった。つまりはさらに予算が必要になるということだ。
頭を悩ませているある日のこと、信用金庫の人間がうちを訪ねてきた。試しに相談してみたら是非と回答してくれた。どうやら地方ではうちと同じように、改修の問題で潰れてしまうスタンドが多く、ガソリンや灯油などの供給が断たれてしまうことが少なくないという。嬉しかったのはうちが潰れてしまうと、普通のガソリンスタンドよりも多くの人が困るだろうと言ってくれたこと。勇気というか責任感というのが芽生え始めた。
それからは一気に忙しく、それでいてあっという間だった。
新しいガソリンスタンドの隣にはドライブスルーもできるドーナツ店を作った。四桁の借金のことを考えると気分が重くなるのでやめることにし、今を充実させれば何の問題もないと思うようになった。ちょうどその頃にドイツで会ったティッシュをくれた女の子から連絡があったので、ティッシュをくれたお礼にここで働きませんかと持ちかけたら是非ということになり、さらにここの常連だった学生たちも働きたいと言ってくれて、従業員の問題はクリアできた。
問題は規模を拡大したことに見合う収入を確保できるかどうかだった。過疎の地域なので予想外の客が来ることはほとんどないと言っていい。慎ましやかに暮らす人が多いから、必要最低限の消費行動しかしない。だからこそショッピングモールは潰れたのだ。気を引き締めて業務にあたることにした。
オープンしてから数日が経った時に、市の職員がやってきた。いつものように新しい広報紙を持ってきてくれたのかと思ったら、それに加えて市営バスの停留所の設置を相談された。学生の要望は以前からあったが、老人会の要望もあり巡回バスのルートに加えたいとの話だった。
利用者にとっての利便性が向上するのだからこれはうちにとってもプラスになる。二つ返事で了解した。こういうこともあるんだなぁと思っていたら、客層に変化が起きていることに気づいた。時折、海外からの来客があるのだ。
意味がよく分からなかったが、ドイツ語も堪能な彼女の働きでインターネットを活用した広告で知らず知らずのうちにリーチが伸びたらしかった。こうした見えない活躍にもちゃんと気づかないと簡単に潰れてしまうと感じ、給料に反映するようにした。そのせいか以前よりも職場の活気が出てきた気がした。経営というのは見えないものにも目を配る必要があるのだと勉強になった。その頃からだろうか、経営学を独学で学ぶようになった。

それはまさに転機だった。投資家からしてみれば過疎地域というキーワードはマイナス要因でしかないのだろう。事業者からしてみても、人がいないところに店を構えても儲かるはずはないと考えるはずだ。ではなぜうちが存続しているのかというと競争相手がいないからだ。これはもはや最強であることに気づいた。しかも、市役所や信用金庫までも応援してくれている。過疎地域ではサラリーマンはやっていけないかもしれないが、ニーズに合ったものであれば生きていける。この恵まれた環境を活かして地域に貢献しようと考えた。
朝は学生が昼食を買いにやってくる。昼になると老人たちがランチを食べながら病気の話をして、夕方になると園児や小学生がガチャガチャを回して帰る。夜になると客層はまばらだった。
その中でバイトの女の子が勉強しながらご飯を食べれるスペースを作れませんか?とアイデアを出してくれた。たしかに、テーブルにノートを広げている学生は少なくない。彼女の言う通りにスペースを設けることにした。それほど大きなスペースは取れないが、これが結構好評だった。お昼の時間になると、老人に混じってたまに男性が来るのだが、その人が少し前に取材のカメラが入るけどいいですか?と了承を求めてきた。何を言っているのか分からなかったのだが、彼は漫画家で密着取材を受けているのだという。店の宣伝にもなるし何の問題もないと答えた。一人用の席を用意したことを教えると気に入ってくれたようだった。
しばらくすると、ネットの特定班が騒ぎ出しドイツ娘の広告ページの閲覧回数がおかしくなり、週末になると近隣の市や町からちびっこが集まるようになった。

場所を作ると人が集まってドラマが生まれる。この循環がだんだん面白くなってきた時のこと、老人会の人々は俺に嫁がいないことが心残りだと騒ぎ出し、あんたはドイツ娘と結婚しろと言い始め、実は自分の中にある恋心に気づき、告白したら遅いよと言われ、なんだかんだで結婚するという今に至るのであった。

最近、酒の席で友人に一連の昔話をすると、お前の人生は順風満帆すぎてつまらない。何か挫折したことはないのか?と聞かれ、ドイツで転けたら嫁ができたと答え、従業員に手を出したスケべな店長だろと返され何も言えなかった。
#小説

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