皆勤賞

「皆勤賞」
僕の家から中学校までは十二キロあって、毎朝その道のりを自転車で通学していました。
というか、それしか方法がないのだから仕方なかったのです。担任の先生はそれを知っているせいか、エライねとしばしば褒めてくれました。
雨だろうと風が強かろうと学校に行かなければならないから、悪天候の時に遅刻することはあっても、僕は学校を休んだことはありません。身体が丈夫なのもあるけど、毎日の通学がいつの間にか偉大な記録への挑戦に変わっていて、休むことは負けるみたいで嫌だったのです。
台風が来た時なんて、僕が必死で学校に着いたらその日は休校になっていたことがありました。その時の徒労感は強かったです。でも、そのあとに校長室に呼ばれて雨風が弱まるまでお茶とお菓子をご馳走になったのは僕だけの思い出です。
校長先生も学生時代は家と学校が離れていて、通学には苦労していたと話してくれました。
僕はそうやって毎日を過ごし、中学校の三年間を皆勤賞で終えることができました。これは僕の誇りです。
通学途中に見える錆びたガードレール、薄暗い雑木林の緑の匂い、あいさつしてくれた商店のおじちゃん、僕が来るのを知っていて最後まで横断歩道で待っていてくれたPTAのお母さん方。本当にありがとうございました。
中学校で過ごした記憶を僕は一生忘れることはありません。
親に心配をかけたくないから、イジメられていることを隠していましたし、家が離れているのを知った上で彼らは僕の自転車をパンクさせました。それは一度や二度ではありません。
教室の中で仲間はずれにされることには慣れていましたが、暴力を振るわれている私と目が合いながらも、見て見ぬふりをした担任の先生の顔が忘れられません。廊下に設置されている目安箱にイジメられていることを告白したこともありましたが、校長先生は僕がイジメられていることを知っていたのでしょうか。
知っていたから美味しいお菓子をくれたのでしょうか。お菓子を食べたらイジメは終わるのでしょうか。
数学の時間にコンパスの針で刺されたことがあります。音楽の時間に吹いているリコーダーを押されて口を切ったことがあります。体育の授業で靴紐をほどかれて捨てられたこともありました。
なぜ僕がイジメられなければならないのかを教えてくれる人は学校にいませんでした。
だから僕は学校に火をつけたのです。
#小説

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