カメラの向こう

小学四年生になる息子の誕生日に何を買ってあげようかと夫婦は悩んでいた。
「カメラなんてどうだろう?」
それは父親の提案だった。
「写真を見れば普段どんなところで遊んでいるのか分かるし、大人になったらつまらなく感じるものが楽しかった記憶があれば将来役に立つかもしれないよ」
「そうね。あの子、空の雲を見てるのが好きみたいだから、案外喜ぶかもしれないわね」
夫婦は息子にカメラをプレゼントすることにした。
「わぁ、パパ、ママありがとう」
「喜んでくれてよかったよ。パパの部屋のプリンター使っていいから」
「はいはい、二人とも早くご飯食べちゃいなさい」
息子は思いのほかプレゼントを喜んでくれたので夫婦は満足した。
それからというもの、息子は毎日写真を撮った。
「おっ、今日は猫の写真? 子どもが撮ったとは思えないね。こりゃ、将来はカメラマンかなぁ」
「もう、あなたったら親バカなんだから」
息子と一緒に過ごせる時間の少ない父親にとって、冷蔵庫に貼られた写真は我が子の成長を感じられるものであったし、夫婦の会話のきっかけにもなった。
それからしばらくすると、小さなカメラマンは奇妙な写真を撮るようになった。
「ただいまぁ。今日はね、お花撮ったんだ」
「へぇ、そう。じゃあまたパパに見せてあげようね」
「うーん」
帰ってきた息子は父親の部屋にあるプリンターで写真をプリントアウトし、それを妻が冷蔵庫に貼る。それはいつもと変わらない日課だった。
「あっ、ほんとだ」
そこには息子の言ったとおりに綺麗な花が写っていた。かなりの至近距離で撮ったようで、ピンぼけのものもあったがピント調節がオートで行われる機能がついているため子どもでも綺麗な写真が撮れるのだった。
「なんて花だろう」
ふと、他の写真に目をやると見知らぬ女性が写っていた。その女性は多くの写真に写っていて、トートバッグを肩にかけた大学生ぐらいの女性に見えた。にこやかに微笑んで息子に手を振っていた。
「ねぇ、このお姉さん誰?」
「わかんないけどね、最近よく会うの」
「ふーん」
悪そうな人には見えないので母親は気にとめなかったが、次の日も、その翌日も女性は写真に写っていたので流石に気になったので夫に相談することにした。
「大学生の女性ねぇ… お前の言う通り悪そうな人には見えないし、それにさ、今の時代、子どもを見守ってくれる大人は有難いよ。同僚のとこなんて保育園が決まらなくてホント大変らしいし」
「そういえば、そういう話テレビでもやってた」
「じゃあさ、明日にでもお前ついてって挨拶してみれば?」
「挨拶?」
「うん。いつも息子がお世話になってますって。まぁ、野暮ったいかもしれないけど、そういうのが重要だと思うよ。子どもは一人じゃ大きくなれないし」
「わかったわ。じゃあ明日はついて行ってみるわ」
「ありがとう。もし買うものがあれば俺が帰りに買って帰るからさ」
母親は学校から帰ってきた息子と一緒に近所を散歩した。
「ねぇママ! ほらあの猫だよ!」
息子の指差す方向には写真で見たことのある猫がいた。
「あーほんとだ。可愛いねぇ。なんて名前かしら」
「うんとね、友達のみんなはノラって呼んでるけど、あそこの家のおじさんはミケって呼んでたよ」
「ふーん。そうなんだぁ」
息子は少しずつではあるが、着実に世界の広さを学んでいるのが分かった。
そうやって指差し確認を繰り返しながらしばらく行くと、いつも大学生がいる風景に近づいた。
「いないようね」
「あっ、ママ!お花だよ!お花!」
「はいはい、走らないの!」
息子の前にあったのは道路に置かれている花束の群れだったーー
「こら!やめなさい!撮っちゃダメ!」
「なんで?」
そういいながら息子は母親にファインダーを向けた。
「縁起でもないからやめなさい」
「はーい」
とは言ったものの、息子はどこか釈然としなかった。
「ただいまー」
「おかえりー」
二人の扉を開けると一足早く父親が帰宅していた。
「言われてたもの買っておいたから。あと、てきとうにお惣菜買ったよ」
「ありがと、助かるぅ」
「でさ、この炊飯器どのボタン押せばいいの?」
「わかった。あたしやるよ」
「ママ、手洗いうがいしないとダメだよ」
いつもより父親は早く帰宅して、いつもとは少し違う食事をした。息子にとっては少し新鮮な一日だった。
「はいこれ、パパに。ぼくお風呂入ってくるね」
「今日の写真だな。ごゆっくりどーぞ」
妻はその一言で思い出した。
「行ったけどさ、この間あの子が撮った花の写真あるじゃない?」
「あの綺麗なやつ?」
夫はパラパラと写真をめくる。
「そうそう、あれさ、ご供養に置かれた花束だったの。すぐにやめなさい!って言ったんだけど」
「事故でもあったのかな。それで大学生の娘には会えたのか?」
「近くまで行ったんだけど見かけなかったなぁ」
写真をめくる夫の手が止まった。
「なんだよぉ、居るじゃないか」
「えっ、何その写真っ⁉︎」
それはまさに息子を叱りつけた瞬間の自分と、その後ろに女性が写っている写真だった。
「気づかないほうがおかしいだろ?」
「誰もいなかったよ!絶対に!」
妻はその不自然な写真が信じられなかった。
「ほんとか?」
「だって、そのあとすぐ帰ったんだから誰かいれば気づくもの…」
「あれっ…ちょっと待てよ。前に撮った写真あるか?」
「すぐ持ってくる」
夫の表情がおかしいのを妻は察知した。
「はいこれ…」
「あっ!やっぱりだ!おい!これ見ろよ!」
夫がいきなり大きな声を出したので妻は一瞬ビクッとなる。
「なによっ!」
そこには笑顔の大学生が写っている。
「よく見ろよ!この人、ずっと同じ服を着てるんだよ!」
「ハッ!」
妻もそれに気づいた。
「この娘、亡くなった娘なんじゃないの?」
「まさか…」
そこへ風呂上がりの息子がやってきた。
「ママ、帰るときお姉さんの足踏んだでしょ? お姉さん怒ってたよ」
子どもは大人の世界を知ることができるが、大人は子どもの世界を知ることができないのだった。
#小説

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