ワンチャンハッピーエンド

宝くじなんてどうせ当たらないと分かっているから、生まれてこのかた一度も買ったことはなかった。そんな俺が宝くじを買ったきっかけは部長の一言だった。
「諸君、有川さんのお母様が大病されていることは知っていると思う。そこで私が部長として宝くじを一人につき十枚奢るから当ててくれ」
小さな会社の小さな部署で、五人の部下を前に部長は突飛なことを言い出した。正直俺は宝くじを買うなら積み立てて寄付したほうがいいのではないかと思っていた。しかし、部長はその気になっていて否定的な意見を言える雰囲気ではなかった。
「では、軍資金を配布する。名前を呼ばれた者から前に出てくるように。まずは浅田」
「はい」
「頑張れよ! 次、浅野」
「自分、運強いんで当てちゃうかもしれませんよ」
「期待してるぞ! 次、有川」
「母のために、あっ、ありがとうございます」
「うんうん!涙は当たった時のためにとっておこう! 」
「はい!」
「ハッハッハ! 次、有森」
「部長、オレ分かりましたよ」
「何がだ?」
「連番で買えばいいんですよ」
「連番?」
「そうっす!連番で十枚買えば絶対に一枚は当たりますし、前後賞も狙えますよ!」
「お前頭いいな。よし、その作戦で行こう!」
確かに有森の言うとおりだ。宝くじは三千円で三百円を回収するシステムに違いない。だからこそ胴元が儲かるのだし、それがギャンブルってやつだ。
「最後、田中」
「はい…」
全員の視線が俺に集まった。入社以来、俺はこの疎外感に悩まされてきた。自分以外の社員は全員名前があから始まるのに、自分だけはごく普通の田中という名字。違和感を感じるなというほうが無理な話だ。
「せいぜい頑張ってくれよ」
個人的には堅実な選択をしたい。一万八千円で宝くじを買うよりも全額を有川さんに寄付すべきだと思う。でも、考えようによっては、これは俺にとっても全員を見返すチャンスだ。宝くじを当ててヒーローになり、有川さんに貸しを作ると同時にお母様に気に入られれば… ワンチャンあるな!ワンチャンあるぞ!
「部長!みなさん!頑張りましょう!」
「よし!ではすぐに着替えてチャンスセンターへ出発だ!」
「おー!(一同)」
柄にもなく意気込む俺を見て触発されたのか全員が拳を上へ突き上げた。
その勢いのまま身支度をして、俺たちは宝くじを求めて師走の街へと繰り出した。
「いやー、混んでますね」
浅田はズラリと並んだ人の群れを見渡しながらそう言った。
「買うのにも一苦労ですね」
有森がそう相づちをすると、有川さんは何だか申し訳なさそうな表情をした。
「部長、見てくださいよ!」
「うん? 何がだ?」
「ほら、あの帽子を被った人。こんなに分厚い束で買ってますよ」
ニコニコしながら分厚い宝くじの束を紙袋に入れて立ち去る紳士を見て、浅野(自称運の強い男)は面食らったようだった。
「金持ちが宝くじを買うなんて夢がないですね」
連番提唱者の有森は毒づいた。
確かにあの紙袋の中に宝くじの束が入っているとすれば、相当の金額をつぎ込んでいるのは間違いない。そんなお金があるなら、投資信託で運用したほうが堅実であるし、十分の一に減ってしまうドブ金システムを分かっているなら、孤児院に寄付するとか、クラウドファンディングで直接的に資金を必要としている人に貸せばいいと俺は思う。
「まぁまぁ、そう言うな。金持ちだから必ず当たるわけじゃないし、誰が何を買おうと自由なんだ。誰でも手軽に夢を買える。それが宝くじってやつなんだよ」
部長のその一言はどこか哲学的に感じられたが、腑に落ちなかったのは言うまでもない。
「あっ、そろそろですね」
浅田が指をさした。
今や宝くじは年末の風物詩だ。少しでも当選確率をあげようと有名なチャンスセンターには多くの金の亡者たちが集まる。それに対応する窓口の担当は流石で、長蛇の列はあっという間に捌かれた。
「あれじゃないっすか、さっきのジジイのせいで時間かかった臭くないっすか?」
「浅野さんって口悪いですね」
浅野の好感度が下がったのは棚ぼただった。仮に浅野が当選したとしてもハッピーエンドはないだろう。
「よーし!各自、気合い入れていけよ!買ったあとは一旦、後ろに集合して最後に近くの神社にお参りするからな」
部長は自らが出資した一万八千円の行方が気が気でないに違いなかった。一万八千円あったら何が買えるだろうかーー。
もしかしたら、部長のお子さんはクリスマスに携帯ゲーム機が欲しいと願ったのかもしれない。まさか今年サンタさんが来ないなんて夢にも思わないだろう。いや、こんなことを考えるのはやめておこう。全ては俺のワンチャンハッピーエンドの為にーー
「連番で十枚お願いします」
「はい、こちらになります。三千円ちょうどお預かりします。ありがとうございました。次の方どーぞ!」
全員が宝くじの購入を終了すると、言われた通りに後方に集まった。
「連番って選べないじゃないすか!」
「オレも知らなかったんだよ」
有森に浅野が詰め寄った。
「自分の運っつーか窓口のおばちゃんの運じゃないすか!」
「まぁ、怒るな。神社の神様がなんとかしてくれるから」
もめてる二人を部長がなだめて、一同は近くの神社へと向かった。
日本の宗教観は滅茶苦茶だと俺は思う。宗教とは生きるうえで心の支えになるべきものであって、ランプの魔人みたいに持ち主の願いを叶えてくれるわけではない。神というものは生物に対してランダムに幸福と不幸をもたらす存在であって、決して人間の言うことをきくような存在ではないのだ。利己的で歪な宗教観で本当にいいのだろうか。
神社が近づくにつれ、私利私欲にまみれた俺は自分のワンチャンハッピーエンドさえ叶えば何だっていいと思い始めた。
「ここだな」
「あれっ、部長。何か貼り紙がありますよ」
有川さんが貼り紙に気づいた。
「なんて書いてあるんだ?」
「んーと、夜間の参拝は地域住民の方の迷惑になるのでお控え下さい。神主よりって、ダメじゃないっすかぁ!」
「ぶちょー!」
有村&浅野ペアは謎のテンションで部長をなじり始めた。
「部長をプギャーみたいに言うなよ!」
浅田のツッコミが冴える。
「いやぁ、迂闊だったな。世知辛い時代になったもんだ。中には入れないから、とりあえずここから祈って解散だ。みんなありがとう」
「私こそ、皆さんの心遣いに感謝します。宝くじのことはまだ母には内緒にしておこうと思います」
「そうですね。もし当たったらきっとお母様もびっくりなさるでしょう」
我ながら気持ち悪い一言だった。
もし、俺が善人であればお母様の健康を祈ったはずだ。実際は当たるかどうかも分からない宝くじの為に心の中で土下座していたなんて有川さんに言えやしない。
そのまま解散したあと、家に帰った俺はすぐにネットで風水について調べることにした。どうやら家の西側に黄色いモノを置くと金運がアップするらしい。
急に黄色モノと言われても困るが、とりあえず黄色いニット帽の中に宝くじを入れて、西側にある本棚に置くことにした。
次の日、出社すると皆考えることは一緒で自分と同じように家の西側に宝くじを置いていた。これには思わず笑ってしまったが、自称運の強い男、浅野に至っては宝くじは暗室を好むという聞いたことのない説を唱え、西側に移動させた冷蔵庫の中に宝くじを保管したというのだから驚きだ。師走の忙しい時期ではあったが、宝くじの話をしている時は不思議と職場の雰囲気が和んだ。
そのまま仕事納めを迎え、大晦日が近づくにつれて何とも言えない胸の高まりを感じるようになった。来年には自分の人生が変わっているかもしれないのだから当然と言えば当然か。
12月31日に電話が鳴ったーー
「はい、もしもし田中です」
「あー俺だよ」
「部長どうかしましたか」
「いよいよだな」
「ええ、当たるといいですね」
「それだけじゃなくてな、昨日、有川から連絡があってーー」
「はい…」
「お母さん無事に退院されたそうだよ。家で一緒に抽選を見守ると連絡があった」
「退院されたんですか。一緒に年越しを迎えられてよかったですね」
「まだ年越ししてないぞ」
「あ、そうですね」
一瞬、訃報かと思ったので焦ってしまったが、何はともあれあとは当たるだけだ。
「連絡はそれだけだ。じゃ、あと数時間しかないけど良いお年を」
「はい、良いお年を〜」
電話を切ると俺は何だかシャワーを浴びたくなった。欲を落としたくもあったし、ソワソワするのも疲れたらしい。
スマートフォンのラジオアプリを起動させてからジップロックに入れて、服を脱ぎ湯船に浸かりながら年の瀬の混雑している道路状況と、賞味期限の切れたクリスマスソングが流れるのを耳にしているうちに心は落ち着き、それを通り越して眠くなってしまった。面白いテレビ番組もないし、抽選までは時間がある。一眠りすることにした。
睡魔が来る前に有川さんに退院おめでとうございますとメールを送っておいた。
そこからしばらく記憶はなく、気がついたら二日の昼になっていた。とりあえずテレビをつけたら新しい干支の動物がフューチャーされた番組が流れていた。
「やっべ!」
まさかの爆睡で反応の鈍った頭は宝くじのことを忘れかけていたが、思い出すなりアドレナリンが吹き出して汗が止まらなくなったのを覚えている。
「ハァ、ハァ、ハァ…」
黄色いニット帽の中から宝くじを取り出すと、すぐさまパソコンで当選番号が記載されている銀行のホームページを開いた。
震える手で番号を照合するとーー
十枚のうち一枚が四等の下三桁 三八二番と一致していた。
「シャーーーー!」
そして、もう一枚は三百円が確定している。
残念ながら一等にはかすりもしなかったが一万三百円が当選したのだ。期待と不安に見合うだけの収穫は得られたと言って過言ではない。
スマートフォンに目を落とすと部長からの確認メールと、有川さんからの返信メールが来ていた。
宝くじの写真を撮って部長に送ると鬼の早さで電話がかかってきた。
「部長、連絡できずすいませんでした」
「ああ、いいよそんなことは。田中、お前すごいじゃないか!絶対に失くすなよ!」
「分かってますとも!」
「いい年になりそうだな」
「それで部長は?」
「三百円のみだったよ」
「いや、それでも出資者の功績は大きいですよ。部長ありがとうございます」
「じゃあ、仕事始めの時に持ってこいよ」
「はい、失礼します」
俺は興奮が収まらなかった。
たった一枚の紙切れが一万円札に変わっただけで、上司よりも優位な立場に立てた気になれた。しかも上司だって俺の功績を認めている。
「田中という名字だというだけで、どうして笑われなきゃならないんだよ。そもそも、あから始まる名字の密集率がおかしいんだよ。採用者がおかしいんだよ。バーカ、バーカ、バーカ!」
自分の黒い部分が部屋に飛び出てしまった。ストレスが溜まっていたに違いない。でなければ、爆睡なんてできないだろう。 「一等は当たらなかったけど、この一万円で美味しいものでも食べてよ」
俺は有川さんにそう言って渡すことにした。
「結果発表!まずは浅田から」
「三百円でした」
「次、浅野」
「三百円と三千円当たりました!」
「やったな!次、有川さん」
「三百円でした」
「はい、有森」
「全く浅野と同じ。三千三百円です」
「ラスト!田中!」
「三百円…と一万円です!」
「マジかよ!スゴくね!」
仲がいいのか三千三百円×2が口を揃えてそう言った。
「なかなか当たらないと思うなぁ。おめでとう」
三百円の浅田の呟きが心に刺さる。
そうなのだ、自分だけが一万円を当ててこそ価値があるはずの場面で、自分の他にも二人が三千円を当てたのは計算外だった。
「田中くんおめでとう。浅野さんも有森さんも当たるなんて、よっぽどチャンスセンターの人の運があったのね」
ヒロインは身もふたもない一言をサラッと口走った。
「そうすると合計で…一万七千八円? ほとんど元本回収できたことになるな。いやぁ、何はともあれ有川くん、これでお母さんと美味しいものでも食べてくれ」
「えっ?ホントにいいんですか?」
「当たり前じゃないか。皆んなそのつもりで買ったんだから」
有川さん以外の誰もがコクリと頷いた。
「では頂きます!みなさんありがとうございます」
「パチパチパチパチ…」
誰からともなく拍手が起きた。
「オレ、オススメの店知ってるから後で教えるよ」
「わぁーいいんですか。嬉しい」
「さぁ、宝くじの話はおしまいだ。各自気を引き締めて仕事に取り掛かってくれ」
そうして全ては終わった。
これは一体なんだ。確かに俺は一万円を当てたのに手元には何も残らない。それどころか俺が言うはずのセリフまで部長に取られてしまった。好感度を下げたはずの浅野が店を紹介して親密度を上げているというおまけ付き。
ワンチャンハッピーエンドの夢はプラマイゼロの現実に換金されたのだった。
#小説

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