海老原豊

評論家。SF、ミステリ、文学。近著『ポストヒューマン宣言』(小鳥遊書房)

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見えないものへの不安と透明化への欲望--日本SF作家クラブ編『ポストコロナのSF』(早川書房)評

(2021年7月13日シミルボン掲載の再録) いまやすっかり古くなった感もある言葉「新しい生活様式」。 マスクの常時着用、他人との身体接触をさける社会的距離=ソーシャルディスタンス、いわゆる三密の回避、オンライン/リモート化。1年でここまで変わるかというほどに、人々の暮らしと社会の様相は変化した。「コロナが落ち着いたらさ」と枕詞に会話しているとき、「新しい生活様式」はテンポラル(一時的)なものとして了解されているが、ふと不安に駆られることはないだろうか。この生活様式は本当

    • 神話国家日本の作り方--辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)評

      「戦前(の日本)」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。私は太平洋戦争末期の暗い苦しい時代を思い浮かべてしまう。国外では「玉砕」、国内では空襲に本土決戦の準備…。他方、戦前を称揚する--とまではいかなくてもノスタルジー的に参照する--人は、別の時分を切り取るに違いない。思い出される戦前が人それぞれなのは、ひとつは戦前が十分に長いからだ。明治維新から太平洋戦争の敗戦まで77年。77年あれば、そりゃあいろいろ、である。戦前が人それぞれであるもう一つの理由は、私たちの戦前への解像度が低

      • 読んでも読んでも啓発されない自己ってなーんだ-ー牧野智和『日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ』(勁草書房)

        (2022年3月13日シミルボン掲載の再録) 書店にいくと自己啓発コーナーを目にする。私自身は自己啓発書の熱心な読者ではなく、むしろほとんど読んだことはない。一種の麻薬のようなもので、読んでいる間はモチベーションが上がるものの、読み終わったあとには何も残らないのでは? とどちらかといえば批判的にとらえている。(実際に読んだことがないが、批判的なのは、なぜだろう…。)とはいえ、気になっているジャンルでもある。というのも、書店でのコーナーや新刊本の点数をみると、それなりの市場規

        • 神様の苦悩--野崎まど『タイタン』(講談社タイガ)

          (2020年9月11日シミルボン掲載の再録) 時は2205年。人類はあらゆる仕事から解放された。それを可能にしたのが2048年に最初の一体が発表され、以降12体まで作られた人工知能・タイタンである。タイタンは生産から流通までモノを管理するだけではなく、人間がストレスなく生活できるように人間と世界の間のインターフェイスとしても機能する。仕事から解放された人間たちは、実存的不安に襲われるでもなく、ユートピア然とした社会を満喫していた。 主人公・内匠成果は、「趣味」として心理学

        見えないものへの不安と透明化への欲望--日本SF作家クラブ編『ポストコロナのSF』(早川書房)評

        • 神話国家日本の作り方--辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)評

        • 読んでも読んでも啓発されない自己ってなーんだ-ー牧野智和『日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ』(勁草書房)

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          私たちがWEIRDである理由--ジョセフ・ヘンリック『ウィアード 上』(今西康子訳、白揚社)

          上巻を読んだが、面白すぎるぞこの本。メモ的にわかったこと・考えたことを書いていく。 「ウィアード」とはWEIRD「風変わりな」を意味する単語だが、筆者はWestern(西洋), Educated(教育のある), Industrialized(産業化された), Rich(裕福な), Democratic(民主的な)の頭文字をとった人々のことを、指している。心理学などで、「人間の本性」として抽出された心理的傾向が、このWEIRDな人々にだけ見られるものではないか? というのが筆

          私たちがWEIRDである理由--ジョセフ・ヘンリック『ウィアード 上』(今西康子訳、白揚社)

          生きるために生きるのはただ生きるのとは異なるーー國分功一郎『目的への抵抗』(新潮新書)評

          コロナ禍においてジョルジョ・アガンベンの発言が注目を浴びた。もっといえば批判された(炎上した)。ロックダウンは意図的に作り出された例外状態である。例外状態とは「行政権力が立法権力を凌駕してしまう事態」だ。法が法の適用されない領域を内包している事態。移動を含む個人の自由を制限するために「伝染病が発明」された、とアガンベンは言う。國分が取り出したアガンベンの論点は3つ、「生存のみに価値を置く社会」「死者の権利」「移動の自由の制限」。ただ生きる(生存)のみを目的とするなら、食事は単

          生きるために生きるのはただ生きるのとは異なるーー國分功一郎『目的への抵抗』(新潮新書)評

          人はコストではなく価値の源泉であるーー渋谷和宏『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』(平凡社新書)

          TBSラジオ森本毅郎スタンバイや、YouTubeポリタスTVでよく聞いている/見ている渋谷和宏が本を出したというので、読んでみた。ずばり『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』である。筆者はかつて『日経ビジネス』などのビジネス誌の編集に携わり、さまざまな企業の管理職や社員への取材経験が豊富である。 「なぜ?」には「なぜならば」という答えが用意されている。筆者によれば、バブル崩壊、金融危機と90年以降、日本経済が直面してきた危機を、日本企業はリストラ(人員削減)、無駄の削

          人はコストではなく価値の源泉であるーー渋谷和宏『日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか』(平凡社新書)

          恐怖の(という)表象--戸田山和久『恐怖の哲学』(NHK出版新書)

          恐怖とは? アラコワイキャーである。アラは認知、コワイは感覚、キャーは行動。運転免許の講習で、運転に必要なのは認知・判断・操作だと習った。これと似ているようで、実はけっこう違う。車の運転は、操作する人(ドライバー)と操作される乗り物(車)にはっきり分かれている。人間の感情も精神(ドライバー)と身体(車)に分かれている、と考える一派もいるが、筆者が恐怖/ホラーを入り口に深く掘っていく情動の哲学は、そのような身体反応→認知→恐怖の行動、と外見と中身にくっきり分かれるモデルを採用し

          恐怖の(という)表象--戸田山和久『恐怖の哲学』(NHK出版新書)

          1982年生まれの私が読んだ『1973年に生まれて』--速水健朗『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍)

          私より約10歳上の人が書いた80年代、90年代、2000年代、2010年代の振り返り。1973年ごろに生まれた有名人の活躍や、時代時代の社会問題・事件、テクノロジーの変化を紹介する。私は、さすがに80年代の記憶、とくに「大人のこと」である社会問題等はうすぼんやりとしか覚えていないが、90年代以降は「あるある」ものとして読めた。 筆者は50歳(去年の本なので)、私も40代にさしかかり、でてくる有名人(の若いころ)はけっこう年下なので、有名人と比べてもしょうがないと思いつつ、今

          1982年生まれの私が読んだ『1973年に生まれて』--速水健朗『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍)

          抽象と具体のモノサシのどこに位置しているかを考えると世界がクリアになる――細谷功『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』(dZero)

          (2020年1月28日シミルボン投稿の再録) まずは抽象的な話から。 私たちが言語・数字・図を使って、普段なにげなくおこなっている抽象化は、実は極めて私たちの知性に特徴的なものである。言葉をもたない存在は、目の前にある個別具体的なものを認識しても、それ以上、広げようがない。が、言葉を介して抽象化を行うことで、私たちは個別具体的なものから、一般的な法則を生み出す。この法則は、また別の具体的なものへと当てはめられる。 という抽象的な話だけではピンとこないと思うので、次に具体

          抽象と具体のモノサシのどこに位置しているかを考えると世界がクリアになる――細谷功『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』(dZero)

          学校は退屈しかし/だから大切な場所ーー広田照幸『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』(ちくまプリマー新書)評

          タイトルが刺さったので手に取って読んでみた。「学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか?」 筆者は、学校の退屈さを率直に認める。この姿勢は正直である。筆者は研究者で大学で講義もしているので、自分のものもふくめ「学校の授業」が学生にとっては時に退屈で仕方がないものだとわかっている。なぜ退屈なのか。退屈であることを認め、しかし/だから大切でもあると筆者は言う。なぜ大切なのか。 筆者によれば、学校が退屈なのは、子供たちの日常的な経験と切り離された知を学ぶ場所だから退屈なのだ。「これって日常

          学校は退屈しかし/だから大切な場所ーー広田照幸『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』(ちくまプリマー新書)評

          ハンバーガーから見えてくる多文化主義――鈴木透『食の実験場アメリカ ファーストフード帝国のゆくえ』(中公新書)評

          (2019年10月25日シミルボン投稿 の再録) 私たちの体は私たちが食べたものからできている。物理的に。私たちは何もない無から生じたわけではない。私たちの体を作っているもの=食べ物が、どうやって口に入ったのかをたどることは、私たちのルーツを考えることでもある。食べ物ができる過程というのは、ものすごく短期的に見れば、皿から口までだ。少し時間をのばすと、店(スーパーやレストラン)から調理を経て口まで。さらには農場・市場での生産から流通・調理を経て口までとなる。 本書は、食べ

          ハンバーガーから見えてくる多文化主義――鈴木透『食の実験場アメリカ ファーストフード帝国のゆくえ』(中公新書)評

          ネットは強い絆、リアルは弱い絆――東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎文庫)

          (2019年11月13日シミルボン掲載の再録) 良い本。東浩紀とネットとの関係を理解する一冊。 ネットにはなんでもある。ただし言葉(記号)で表現されるものだけ。またそれについての知識(検索ワード)をすでに知っている場合のみ、アクセス可能。この二つの条件が、ネットからその万能性を奪いつつ、同時に不完全なネットを万能であるかのようにユーザーに感じさせる。 知っているもの・知りたいものを調べる。その結果に満足する。ネットは記号的構築物であり、記号的構築物であればメタゲームの入

          ネットは強い絆、リアルは弱い絆――東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎文庫)

          歌は物語を伝える――鈴木晴香『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)評

          (2019年3月14日シミルボン投稿 再録) 先日、ミュージシャン・俳優の某有名芸能人が薬物所持の疑いで逮捕された。 彼はラジオ番組でレギュラーを持っているのだが、逮捕翌日のその番組では、相方の女性パーソナリティーが、彼の事件について、彼との仕事について、彼のことについて思いを話していた。続けて紹介したのが、吉田拓郎の「全部だきしめて」であった。この曲は、彼女と番組スタッフから、留置所の中にいてこの番組を聴くことはできないだろう彼へのメッセージになった。 ラジオがいいな

          歌は物語を伝える――鈴木晴香『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)評

          唯物論的宗教の誕生――マーク・オコネル、松浦俊輔訳『トランスヒューマニズム 人間強化の欲望から不死の夢まで』(作品社)書評

          (シミルボン2019年12月29日投稿の再録)   トランスヒューマニズムという思想がある。 本書は、トランスヒューマニスト(主にアメリカ、主にシリコンバレーや西海岸のITスタートアップがあるところにいる)たちを追跡したルポである。筆者は、最初から最後までトランスヒューマニズムに懐疑的である。が、追跡対象を論難するわけでもなく、いったい彼ら(ほとんどが「彼ら」だ)が何を思っているのかを掘り下げていく。もちろん、所々に鋭いツッコミを入れることも忘れずに。 トランスヒューマニ

          唯物論的宗教の誕生――マーク・オコネル、松浦俊輔訳『トランスヒューマニズム 人間強化の欲望から不死の夢まで』(作品社)書評

          テクノロジーが原因の問題をさらなるテクノロジーで解決できるのかーーエリザベス・コルバート『世界から青空がなくなる日』(白揚社)書評

          怖いものは好きだ。SFパニック映画も、ホラー映画もけっこう見る。でも、怖さにはいつしか耐性つき、たんなる「まんじゅう怖い」的な、怖いと言っておきながら実は怖くもなんともなく、好んでしまう。その程度の「怖さ」かもしれない。本当の怖さは、しかし、SFにもホラーにもなくて、現実にある。本書のサブタイトルは「自然を操作するテクノロジーと人新世の未来」である。人間の地球上での活動があまりに広範囲・影響大のため、地質学的に新しい区分に入ったのではないかと主張する論者がいて、その新しい名称

          テクノロジーが原因の問題をさらなるテクノロジーで解決できるのかーーエリザベス・コルバート『世界から青空がなくなる日』(白揚社)書評