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逃げるは恥だが役に立つ、とは

言わずとしれたヒット漫画及びドラマのタイトルである。
元はハンガリーのことわざを和訳したものであり、「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」「自分の戦うべき場所を選べ」という意味らしい。
自分なりに解釈するならば、「今の地位や立場に固執しなくていい、時に逃げることも選択肢に入れておくべきだ」あたりだろうか。
ちなみに件の漫画とドラマ、どちらも見ていないのでその辺りについては言及しない。

これに限らず、逃げるという言葉を使ったことわざや格言のようなものは他にも幾つか挙げられる。

”逃げるが勝ち”
”三十六計逃げるに如かず”
”戦略的撤退”

いずれも逃げるという一見ネガティブな行為が結果として正解だった、という意味合いをもつ。
これらの言葉の通り、逃げることを選択肢に入れると人生は随分と楽になる。時と場合によることが大前提だが、『逃げ』が最適解な可能性があることは否定はできない。
時に思い返して、あの時逃げて良かった、正解だった、ということはあるだろう。命の危険性がある場合などは特に。
逃げることは罪ではない、というこのことわざによれば、しかし恥ずかしいことではあるらしい。

恥ずかしいのは誰にとってだろうか。
相手だろうか、世間だろうか。
もちろんそれらもあるだろうが、一番は自分にとってではないだろうか。
「逃げる」という言葉の持つネガティブな面がどう言い換えても払拭できないので致し方ないことかと思う。

時に立ち向かうべき困難や壁にぶつかった際、誰もがそれに打ち勝てる訳ではない。
もちろん勝てるなら、乗り越えられるならそれに越したことはないが、引き換えに心や体の健康を損なってはいけないし、何をもって勝利とすべきか曖昧な場合も世の中には沢山ある。

逃げることを恥と感じ、情けなさに消えてしまいたくなるときもあるだろう。
その恥の思いは忘れなくて良いと思う。努力して忘れられるものでもない。
たとえ自分が忘れたとしても、見ないふりをしても、物事の結果は確実に事実としてそこに残っているのだから。
忘れちゃえ、と安易なアドバイスは決して良策ではないだろう。
感情がそう自在に操れるのならば世の中にこれほどまで自己啓発本があふれるはずもない。

ただ、オリンピックではないけれど、立ち向かうことに意味がある、と思いたい。
たとえ負けて逃げても何かしら得るものがあるなら、と。
逃げたあと、その結果を放置せずちゃんと飲み込めたなら、恥はいずれ「経験」に昇華されるのではないだろうか。

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