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8.侍女のおりん

城外にはあちらこちらで篝火が見えている。それは天守に上らなくてもわかる。大坂城で淀殿に付き従う侍女のおりんは、もう不安で仕方なかった。さきほどから炊事場では「蕎麦焼きを作るよう」に申しつけられるも、下女たちは皆、監視の目を盗んで城から逃げ出そうとしているのだ。

しかし、秀頼の家臣である竹田永翁がその侍女たちに「心配ないから逃げたりするな、城外に出ることの方が危険である」とつとめて説得にあたっている。

ふと、おりんが周囲を見渡すと、もう侍女のおきくの姿が見当たらない。すでにおきくの荷物を見て逃げ出したものとすぐわかる。秀頼公からいただいた形見の鏡を持ち出して逃げたらしい。こうしてはおれぬとおりんも勝手口の方から逃げ出す機会を窺っていた。

一つ目の蕎麦焼きが出来上がって、天守へと運び込まれる隙を見て、おりんはかわやに行くふりをして城内を抜け出すことにした。

城内はやけに静まりかえっている。武将たちはほとんど城外に陣を張っておるので、監視の目もかいくぐりやすかった。

おりんが遠目に天守を見ながら走っていると、長局の端になにやらいびつな円形が輪となって青白い小さな光がくるくると回っている床があった。おりんの行く手を邪魔するかのように廊下を遮っている。

こんなところで迷っている場合ではないと、おりんはその輪の上を走り抜けようとしたが、右足を踏み入れた瞬間にあたりの景色が真っ暗になり、まるで滝壺に落ちていくような感覚に襲われた。ぎゃあという声を出すものの、身体が浮いているかのような心地になる。しだいに明るくなってくるのをまぶたの中からも感じ、恐ろしくて閉じていた目をうっすらあけると、とにかく四角いものがやたらと目に映る。四角いものの下には空のように青い景色が広がる。

おりんが、ぎゅうと手を握り締めると、そこに宙に浮いていたつげの櫛があった。そしてその近くにまた宙に浮く蝋燭台もあった。藁にもすがる思いでそのつげの櫛と蝋燭台を掴み、なんとか身体を支えようとするものの、浮いたまま動いている気持ちだ。

そして、しばらくすると急に重力を感じてその青い景色に向かって投げつけられ、意識が遠のいていく。

それからどれぐらい時間が経ったのか、目を覚ますと、おりんは地面の上に寝そべっていることに気づいた。周りは何やら騒がしいので、城外に出たのだろうと思われる。

燭台を手に握りしめたまま、立ち上がると、先ほどまで下に向かって伸びていた四角いものが、全て頭上高くそびえ立ち、そのさらに上に青い景色が広がっていた。

それは、コンクリートづくりのビジネスビル群と秋晴れの青い空であった。


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