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平清盛の死因「あっち死」って、どんな死に方?

平清盛の死因「あっち死」ってどんな死に方?

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空海は自分の死亡時刻を予告して
奥の院に入って「入定」という餓死。

こういうと失礼すぎる!と
お叱りを受けるかも知れませんが、

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空海はハイブリッド・レムリアン
「不食」でも一向にかまわないわけです。
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野菜を中心の食事する人ベジタリアン、
徹底して野菜だけを食べる人々を
ヴィーガンと呼ぶが、
更にその上を行くのが「ブレザリアン」

ブレザリアンは、水以外口にせず
一般的な食事はほとんどしない。

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ブレザリアンは「ブレス(呼吸)」
だけで生きる人という意味

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究極のブレサリアンは
水すらもとらないという。

「不食」でも生きている人が
現在20万人以上います。

前置きが長くなりましたが、

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清盛の最期について、平家物語には
壮絶な記述があります。
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石の風呂に比叡山で汲んできた水を入れて
浸からせるも、あっという間に
お湯になってしまったとか、

体に水をかけると蒸発し、
黒煙が部屋中に渦巻いたとか、

体がとにかく熱くて
彼の周囲4.5間(7.2m~9m)くらいは
近寄るのも大変だったとか、
本当かな?と思うほどの描写なのです。


そしてついには熱さに悶絶して
あつち死にぞし給ける」と描かれています。

「あつち死」とはおそらく、
熱さのあまり死んでしまった
ということなんでしょうね。

と後々の人々に納得させるために
壮絶な死として、

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いかにも大悪人の「死にざま」として
わざわざ、書かれたものだと思います。

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量子力学的に見れば
真っ黒けのフォトンとして、宇宙に
還っていった、とすべき!

もしくは
パラレルワールドを瞬間移動。


レムリアンは
9次元を生きているわけですから
権力者から煙たがられていて
一族郎党消される定めも知っていた

清盛の墓と言われている
十三重石塔には弘安9年2月という
年月が刻まれています。

西大寺の叡尊(えいそん)が弘安8年(1285)
8月14日に兵庫で「石塔供養」に
臨んだという記録があり、

近年の研究ではこの石塔が
「清盛塚」と呼ばれる
十三重石塔ではないかといわれています。

「十三重石塔」とは、
「石造りで十三重構造の層塔」もしくは
「石造りで十三層構造の塔婆」を意味する。

 アジア各地に同様の塔が数多く存在し、
日本国内だけでもかなりの数。

また、『吾妻鏡』には、

遺言によって遺骨は播磨国山田の
法華堂に納められたと書かれています。

播磨国山田は、現在の神戸市垂水区
西舞子町の山田川付近にあたり、
明石海峡を望む景勝の地です。

ここは平家が何度も船から眺めた地であり、
平家にとって海陸の拠点の一つで
あったと考えられています。

私が「平氏」と言わないのは
平氏と「平家」とは違う!からなんです。

そのあたりは、またの機会に!


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