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景行天皇は、ただの女好きじゃなく知略に富んだ「腹黒」パパ。


景行天皇は、ただの女好きじゃなく知略に富んだ「腹黒」パパ。

天皇は崩御されてからつけられたの名前で、もともとの景行天皇のお名前は、大帯日子淤斯呂和気命 (おおたらしひこおしろわけのみこと)、大足彦忍代別尊 (おおたらしひこおしろわけのみこと)、の二つが代表的なお名前です。
 

景行天皇自身も、九州親征を行った。とこかく「国家統一」のため、ご自身も戦争の先頭に立って遠征するのですが、それも「女狩り」のように感じるのは、その子供の数の多さゆえでしょうね。


神様の家系図は複雑怪奇なの!(笑)


  
もともと服従しない氏族を征服に行ったわけで、まさに氏族の娘を懐柔して(略奪とは言えないよね?ちゃんと妃とかにしてるし)80人も子供をつくる。血縁者は信頼できるとともに、裏切られたら「寝首を搔かれる」というわけで、見せしめは必要だったかも?

 
では、景行天皇の妃と子供たち紹介します!

后妃・皇子女・(前)
播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)
との間には

1.櫛角別王(くしつのわけのみこ)
2.大碓皇子(おおうすのみこ) - 身毛津君(牟宜都国造)等祖
3.小碓尊(おうすのみこと、日本武尊) - 仲哀天皇父

皇后(後):八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)
との間には

4.稚足彦尊(わかたらしひこのみこと、成務天皇)
5.五百城入彦皇子(いおきいりびこのみこ)
6.忍之別皇子(おしのわけのみこ、押別命)
7.稚倭根子皇子(わかやまとねこのみこ)
8.大酢別皇子(おおすわけのみこ)
9.渟熨斗皇女(ぬのしのひめみこ、沼代郎女)
10.五百城入姫皇女(いおきいりびめのひめみこ)
11.香依姫皇女(かごよりひめのひめみこ)
12.五十狭城入彦皇子(いさきいりびこのみこ、気入彦命?) - 御使連祖
13.吉備兄彦皇子(きびのえひこのみこ)
14.高城入姫皇女(たかぎいりびめのひめみこ)
15.弟姫皇女(おとひめのひめみこ)

:水歯郎媛(みずはのいらつめ) の間には

16.五百野皇女(いおののひめみこ、久須姫命) - 伊勢斎宮

:五十河媛(いかわひめ)

17.神櫛皇子(かむくしのみこ) - 讃岐公(讃岐国造)・酒部公祖
18.稲背入彦皇子(いなせいりびこのみこ) - 佐伯直・播磨直(播磨国造)祖

:高田媛(たかだひめ)との間には

19.武国凝別皇子(たけくにこりわけのみこ) - 伊予御村別・和気公等祖

:日向髪長大田根(ひむかのかみながおおたね)との間には

20.日向襲津彦皇子(ひむかのそつびこのみこ)

:襲武媛(そのたけひめ)との間には

21.国乳別皇子(くにちわけのみこ)
22.国背別皇子(くにせわけのみこ、宮道別皇子)
23.豊戸別皇子(とよとわけのみこ)

:日向御刀媛(ひむかのみはかしびめ)との間には

24.豊国別皇子(とよくにわけのみこ) - 日向国造祖

:伊那毘若郎女(いなびのわかいらつめ) との間には

25.真若王(まわかのみこ、真稚彦命)
26.彦人大兄命(ひこひとおおえのみこと)

:五十琴姫命(いごとひめのみこと)との間には

27.五十功彦命(いごとひこのみこと) - 伊勢刑部君、三川三保君祖

以下は母不詳、多くは『先代旧事本紀』に拠る

28.若木之入日子王(わかきのいりひこのみこ) - 五十狭城入彦皇子と同一人か
29.銀王(しろがねのみこ、女性)
30.稚屋彦命(わかやひこのみこと)
31.天帯根命(あまたらしねのみこと)
32.武国皇別命(たけくにこうわけのみこ) - 武国凝別命と同一人か
33.大曽色別命(おおそしこわけのみこと)
34.石社別命(いわこそわけのみこと)
35.武押別命(たけおしわけのみこと)- 忍之別命と同一人か
36.豊門別命(とよとわけのみこと) - 豊戸別皇子と同一人、三嶋水間君、庵智首、壮子首、粟首、筑紫火別君祖
37.不知来入彦命(いさくいりひこのみこと) - 五十狭城入彦皇子と同一人
38.曽能目別命(そのめわけのみこと)
39.十市入彦命(とおちいりびこのみこと)
40.襲小橋別命(そのおはしわけのみこと) - 菟田小橋別祖
41.色己焦別命(しここりわけのみこと)
42.息長彦人大兄水城命(おきながのひこひとおおえのみずきのみこと) - 彦人大兄命と同43.一人か、庵智白幣造祖
44.熊忍津彦命(くまのおしつひこのみこと) - 日向穴穂別祖
45.武弟別命(たけおとわけのみこと) - 立知備別祖
46.櫛見皇命(くしみみこのみこと) - 讃岐国造祖
47.草木命(くさきのみこと) - 日向君祖
48.稚根子皇子命(わかねこのみこのみこと) - 稚倭根子皇子と同一人か
49.兄彦命(えひこのみこと) - 大分穴穂御埼別、海部直、三野之宇泥須別祖先
50.宮道別命(みやぢわけのみこと) - 国背別皇子と同一人
51.手事別命(たごとわけのみこと)
52.大我門別命(おおあれとわけのみこと)
53.三川宿禰命(みかわのすくねのみこと)
54.豊手別命(とよてわけのみこと)

55.倭宿禰命(やまとのすくねのみこと) - 三川大伴部直祖
56.豊津彦命(とよつひこのみこと)
57.弟別命(おとわけのみこと) - 牟宜都君祖
58.大焦別命(おおこりわけのみこと)

ふーっ!Wikiから写して
番号を振るだけで一仕事でした!

周防の娑麼(さば)では、女酋長の神夏磯媛(かんなつそひめ)が、船の舳に素幡と剣、鏡、瓊をつけた賢木(榊)を立てて天皇軍を迎えたという。 
そして媛の願いと協力によって鼻垂、耳垂、麻剥、土折、猪折という賊徒を亡ぼした。

豊後では、女酋長速津媛の手引で、石室に住む土蜘蛛などを滅ぼし、 

熊襲の首長厚鹿文(あつかや)、迮鹿文(せかや)を、その娘の市乾鹿文(いちふかや)、市鹿文(いちかや)姉妹の手引で殺した。

このように、景行天皇は地方の豪族の女性を味方につけた話が多い。

息子の 大碓皇子に女性を盗られて恨んだような話が残っていますが、その下の息子で乱暴者の小碓尊=のちのヤマトタケルを上手に使って殺させた。その後は、ヤマトタケルは、遠ざけて戦争三昧の中で戦死させているし、どうも最初の妃の息子とは反りが合わなかったのか?

韓ドラ「シュルプ」観ていると、皇太子争いとか、手が込んでいて泥沼の親子愛なんですが、日本の神様方も(実在の天皇とは確証がないので、神様と呼ばせていただきます)ドロドロなんですよね!それほど「国家統一」は大事業だということだけはわかります。

八十柱の子をもうけたことは「ただの女好き」ではないというわけ!自分の味方はいればいるほど好ましい。この景行天皇のやりかたはバッチリだったようで60年間も皇位を持ち続けたわけ!

讃岐、日向、伊勢、美濃、と要地は全部押さえてる。『キングダム』じゃないけど、王様っていう「お仕事」は、本当にコンツェルン経営のようなモノなんでしょうね!!


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