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「答えがないのも答えのひとつ」

ホピ族の格言を今日は書きました。


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自分の心に嘘はいけないよ、とゲイの精神科医Tomy先生が言っていた。

そうだなぁ、その通りだなあと思った。

実は嫌なことを文字に残したくない、特に日記帳。

日記帳の書き込み、実は自分の心に嘘ついてばかりだった!


だけど考えたって介護問題に正解なんてない

後悔しないように=自分が傷つきたくないから「できること」を

たとえ気持ちはどうであれ、やるしかないのよ!



私は親の介護をしているので2つの日記帳をつけています。

1冊は自分が見て励まされるような「感謝」とか「学び」用、

もう1冊は両親のこと専用。

親の言動や辻褄の合わないことなどのメモが必要だから。

何月何日の何時ごろ、と結構詳しくケアマネさんや

お医者様に報告しなければならないことが多いの。


しかし、先週母が父が入院している病院の先生に

「この人私が死ねば良いと思っているのよ!」と言ったときには、

グッサリやられました。

ドクターは老人介護は慣れているので笑って

「100%そんなことない!そんなこと思ってないよ!僕が保証する!」

と即座におっしゃってくださいました。


が、私は自分はどんな顔してたかなぁ、と思うと血の気が引く思いです。


鏡の法則の信奉者だったら「ソレ私の本心なの?」と泣いちゃいますよね。

しかし、老人の扱いに慣れている先生の即答、感謝しました。

ともかく苦笑いするか笑ってごまかすか、しかないってカンジでした。


こうなると「マスク」様々!顔半分見えないことのありがたさ!

帰りの車の中では「自己しちゃうから静かにしてて」と

会話を拒否したワタクシでした。


モチロンそんなドロドロ感情は日記帳に書き留めたりしません。

「親に死ねと思うイヤな娘の私」の刷り込みしてどうするの?

になっちゃいますからね。


つい忘れてしまう、オムツやテレビカードの購入など

消耗品の出納簿も併せて記入できるノートです。


介護認定を受ける4年ほど前は「悪口ノート」を書いているようで、

自分の気持ちがズタズタになってしまいました。

「自分が書いたイヤなこと」を見るたびに「イヤな気分」を

強化していくんですね。

恐ろしいことに、ネガティブなことほど何度も目に付くの。


書き方なども箇条書きにして、感情と事実を分けるようにしました。

毎年、ドロドロ感情をを簡略化することができるようになり

単に「ああ言った」「こんなことした」の記録ノートになりつつあります。

嫌なことを書いたら消すか破るのが書くことの基本です。

特に日記帳には「怒り」「悲しみ」は言葉を選んで書かないと

使った言葉がこだまのように返ってきてしまいますからね。


かつて日記では自分の心に嘘ついてばかりだった!

これが重なって「嘘つき」が今も癖になっていると自覚もしています。


でも、それもアリなの。

日本語は書きながら心で声を出して言っていることが多いから

イヤなことを自分が一番に聞くし、イヤなことだけにとらわれ易い。


「ウソも方便」なんだから「上手に」自分をだまして、

自分のご機嫌を取ればいいのよ。


上機嫌でいられるように毎日名前を書いているんだから!


筆跡を学ぶ前は自分が嘘ついていることすら自覚できなかった。

いまは、無理してるな、という「その時の健全度」を見て

今日のように「答えがないのも答えのひとつ」と

自分が今欲しい言葉を書いてセルフケアを先にしています。




「答えがないのも答えのひとつ」

そういう気持ちを「弛ませ」ようと「ひとつ」を書きました。

ちょっと気持ちが上がるように心持ち右上がりの「ひらがな」

「ひ」「と」「つ」の、3つの空間を丸く大きく書いています。

ゑびす文字は自分を変えていく書き方です。


まず私自身が「ゆったりと」を朝のうちにインプット。


たった10分ほどの朝活ではありますが、名前を大きく書いて

「私は大事な私」と思いながら今日のコンディションを見ます。

横線が全然伸ばせなかったり、空間がつぶれてしまったり

そういうところで「今日はイマイチ」とか「今日は最高」と

わかるのですが、字はウソつけないな!と思う瞬間でもあります。

その反対に「今日はこうする」と決めて、今日の一言では

元気な自分を作ることもできます。

本当に「手書き」って面白いです。

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