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冷凍やきおにぎりとハワイと。

私は、学童保育で8年勤務してきた。

今年に入り結婚を機に退職したが、ふりかえると本当に子供たちからの学びが多かった。

学童保育というのはご存じの方も多いだろうが、

共働きが増えた昨今、学校から帰ってきても家には誰もいないという子供や、シングルマザー、シングルファーザーのご家庭の子供をお迎えの時間までお預かりするという仕事だ。

学校から登所した子供を「おかえり」と出迎え、
今日あった出来事を話したりしながら、体調や精神的な変化がないか伺う。

遊ぶ時間や宿題の時間、おやつの時間、このすべてにおいてそれとなく気を配る。

親でもなく、学校の先生でもない。近所の親しい姉ちゃんのような役割。

夏休み。
子供たちは、おばあちゃんの家に里帰りしたりテーマパークへ行ったりする。

そのなかで、Aちゃんはハワイへ行ったようで、絵本にでてくる子供のようにこんがりと小麦色の肌になって学童に顔をだした。

一目見てわかった。

彼女が成長したことを。

子供の成長は著しい。どこかの専門的な本に書いてあるようなこの言葉を、私は目の前にいるAちゃんを見て真実だと確信した。

☆彡☆彡☆彡

このAちゃん、非常に食いしん坊だ。

遡ること半年前。こんなことがあった。

いつだったか、外遊びでみんなで鬼ごっこをしていたとき、
Aちゃんが今にも泣きだしそうだったので、

「どうした?なにかあった?」

と聞くと、「お腹すいた」という。

私は笑うのをこらえた。乙女心を傷つけてしまうと思ったからだ。

とっさに、「そうかぁ。体調悪くて学校で給食残した?」

と質問すると、ぶんぶんと力強く首を横にふる。

「給食、残すわけないじゃん」と私に半ギレしたかと思うと、
「冷凍のおおきなおおきなやきおにぎりたべたいー!!」

と、泣きながら叫び始めた。

「たべたいー!!!おおきなおおきなー!!!冷凍のーおおき、な、おお、やき、お・・・」

以下、嗚咽でうまく言葉になっていなかった。

号泣している子供がいると、当たり前だが周囲の注目の的だ。

公園にきているので、ママ友らしき女性2人などがちらちらこちらを見ていたりする。

それくらいAちゃんの泣き声は絶叫に近かった。

なんだか、これ、私が泣かしたみたいな状況になっていないかい?

私はこのとき、自分の顔は今、ちびまるこちゃんみたいになっているだろうなと、どうでもいいことを考えていた。

一種の現実逃避だ。

☆彡☆彡☆彡

さて、現在にもどる。

こんがり小麦色のAちゃんは、私と目が合ったかと思うと、待ってました!というように、意気揚々とハワイの楽しかった思い出ばなしをしてくれた。

過去の話をしているのに、彼女は今まさ目の前にハワイの海が広がっているような臨場感をもって、興奮ぎみにあれやこれやと話す。

そして、Aちゃんは一通りはなし終えて満足したのか、その場にすくっと立ち上がった。

そのAちゃんの目は、私には未来を見ているように映った。

Aちゃんには私には見えないものが見えているに違いない。

海とは、定規でなんぞ図りきれない大きさであること。
海とは、色えんぴつや絵の具にはない蒼であること。
海とは、未知なる生物が生息していて、恐ろしく、そして美しいものであること。

そんなことを知っだのではないだろうか。

私たち大人が、当然だとあらゆることに対してふんぞり返っている最中に、彼女は、当然なものを当然としないまっすぐな瞳でこの世界の一片を見てきたんだ。

そう思った。

現在のAちゃんに公園でのおにぎり事件のことを話すと憶えているらしく、「もー!いわないでよ!」と笑いながら恥ずかしそうに体をくねくねさせる。

たった半年前のことだけど彼女にとってみれば過去の話で、もうあの頃の私じゃないんだという、きらりと光る意思も見え隠れする。

私が学童を退職することとなり、Aちゃんと最後の日、彼女から一通の手紙をもらった。

そこには、私との楽しかった思い出話とともに、こう書かれていた。

「ハワイで食べたものの名前は、ロコモコです。やっとおもいだせたよ」。


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