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西へ~東へ~

大阪は、笑いの文化が根付いている。

ちいさな日本の東西で、違いを探すのは野暮だとは思う。
だけど、実際に異なる点は多くて、

「わたし、昨日こんなヘマしちゃいまして~」

というような自虐的な話が受ける。
多くの大人が、笑顔できいてくれるのだ。

対する東。
つまり東京は、この自虐的な話をあまり受け付けない文化がある。
あまり、好ましく思われないような雰囲気が漂い、スルー、もしくは引かれてしまう。ひどいときには、同情されて心配されてしまうことすらあった。

もちろん、
西で受け入れられているといっても、これは話が面白いからではない。
小娘が、一生懸命に話している姿をほほえましく思ってくれるのだ。

「まぁしゃーない、聞いてやろうか?」

という姿勢からくる笑顔なのだ。

東京にはこれがない。

私が、よく自虐的な話しをするのには理由があった。
人の話をするのはリスキーだからだ。それは褒めた場合であってもだ。
褒めているつもりの言葉が、その人にとっては、よろしくない琴線に触れてしまうことがある。
すくない人生経験で私は本能的に学び、人の話はしなくなった。

自分の話をする。
自慢話は鼻につくだろうと思って、やっぱり自虐的になる。
18歳のころの私が、いわゆる『業界』で上手く生きていく術だった。

誰とも衝突が起こらない。
誰も、傷つけることは。ない。

いや、嘘だ。

傷ついていた人間はいる。

私だ。

人間の脳はよくできている。
自分が発した言葉を聞いて、それが事実だと思うようになる。
真実か虚像かは関係ない。

マインドコントロールするように、ドジでマヌケな自分を何度も何度も脳に植え付けてしまう。

これなら自慢話のほうがよっぽどいい。

「私は素晴らしい人間だ!」

と、脳に言いきかせて生きるほうが上手い生き方に違いない。
実はこっちのほうが周りの笑顔も増える。

流れ流れて、23歳のときに東は東京へ。
女優に憧れを抱いて上京に至った。
悔いが残らないところまでやりきった。
意外にスッパリと諦めることができた。

必然的に私の生活から自虐話は減っていった。

だけど、西へ帰ると、
いまだにちょっと身構える。

自虐話を自慢話にできる日はまだ遠い。









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