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年々着るものが減ってきている。
それもそのはず。捨てているのだ、自分で。
洋服が好きなので、タイミングを見計らいながら嬉々として衣替えするのだが・・・。
現在を冬だとする。
箪笥から夏服がひょっこり顔をのぞかすと、「今、冬なんだよ。そんなペラペラな布、着てられるかい」となり、居てもたってもいられなくなる、で、
捨てる。現在が夏だとすれば、うっかりでてきた冬服に「夏やのに汗だくになれっちゅうんかい」と捨てる。

そして、捨て去ったことなどすっかり忘れてしまうのだ。

「なんでやろ、服がないわ」と騒いでいる私を、遠い目をして見ているのは、旦那だ。おめえさんが捨ててるんだよって目をしている。

この旦那、着飾るということにあまり興味がないらしい。
毎朝、今日着るものはどうしようかと考えている時間は、人生において必要のないものと考えている人なので、私のありさまは滑稽にちがいないのだが、旦那が好んで着ている服のありさまに、私は恐れを抱いている。
その代表的なのは、ユニクロのロゴTだ。
擦りきれるほど着ている代物で、腕を通す穴なのか首を通す穴なのか、というかもはや服なのかどうかもあやしい。
さらに、履ければいいんだと言って、股の部分がザックリ破けているGパンだって堂々と履いてしまう。もうすぐ、おち●ちん見えるよって言ってもいつまだも履いていたから強制的に捨ててもらった。
今更だけど、これやばいねサイレンなるよ。

私の捨てる行為も、旦那の捨てないという行為も、
お互い別にこだわりがあるわけじゃない。こだわりでおち●ちん出そうなGパン履いてるなら、ちょっと旦那との関係を考え直したほうがいい。

だけど、その無頓着な姿がときどき妙に羨ましくなる。
解放感があるというか(変な意味ではない)自由というのか。他人の目や評価を視点にしておらず、自分の気持ちに正直に生きていく姿勢が服ひとつとってみても表れている気がしている。

とりあえず私は捨てる手を止めて、手持ちのTシャツがぼろ布になるまで着続け、そのとき自分がどんな境地に達するのかを味わってみたいと思っている。





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