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軟式野球キャプテン時代の、その前のお話。

お久しぶりです、えばなおです!
初投稿作「軟式野球キャプテン時代を振り返る」、好評のようでとても嬉しいです!リンクを貼っておくので、ぜひご覧ください👍

さて、今回のテーマは、続編として「軟式野球キャプテン時代の、その前のお話」にしようと思います。よろしくお願いします!


1.高校入学から入部まで

僕が軟式野球部に入部したのは1年生の6月のとき。
なぜそんなに入部が遅いかって?それは、コロナで4月5月はずっと休校だったから。
入学直後に休校になり、休校の終わりが見えないまま、時間がただただ過ぎていったことをよく覚えています。受かった直後だったし、勉強をするわけもなく、パワプロばかりをしていましたね笑。

そして、入部するのも大変でした。なぜかというと、なかなかグラウンドで練習している姿が見つけられなかったなら。
見つけたときは、感激でした!

2.あれ?これ試合できる?

2020.7

僕が入部したときは、2つ上の先輩は7人、1つ上の先輩は2人いました。
なので、実は1年夏までは、試合ができていました。(自身は出場なし)

しかし、2つ上の先輩が引退して、軟式野球部に残ったのはたった3人。

ここで、僕は同期を増やそうと、新入部員の勧誘をしました。しかし…
僕自身が入部するのが遅かったので、みんな既に部活を決めて入部してしまっていた…

ここで同期無しが確定してしまい、試合できるのか不安に思いながら軟式野球部ライフが本格的に始まっていきました。

3.苦悩

1年生のときは、大きく分けて3つの苦悩がありました。

まず1つ目は、まともに練習できなかったということ。3人しかいなかったので、1回の練習での負担が大きく、週1回しか練習できませんでした。
また、先輩の予定が合わなかったり、練習日に雨が続いたりして、1ヶ月もの間練習できなかったこともありました。

2つ目は、野球が上手くなかったということ。野球に3年間のブランクがあったこともあり、トスバッティングでピッチャーに打ち返せないどころか、キャッチボールすらまともにできませんでした。

3つ目は、廃部の危機に陥ったということ。部活全体を管理している先生に先輩、顧問とともに呼び出され、部活の存続について話し合ったこともありました。
入学定員も減るし部員が増える見込みはない、来年ダメだったら廃部にする、なんてことも言われました。
本当に、危機一髪でした。

4.部室の桜

2021.3

時は流れ3月末。2年生になる直前。なぜ学校、そして部室に来ていたのかは覚えていません。

しかし、部室から見えたこの満開の桜を見て、「いろいろ大変だろうけど軟式野球部を守っていこう」と決意を固めたのは鮮明に覚えています。

分かる人には分かるかもしれませんが、その後、僕は引退までずっとLINEのプロフの背景画像をこの写真にしていました。引退まで、ずっとこの桜が僕を支えてくれました。

5.それでも僕は1人じゃなかった

僕は確かに、同期がおらず、学年1人で活動してきました。しかし、先輩と、後輩と、顧問と、常に誰かと軟式野球部でいっしょに活動できていました。

つまり、僕は決して1人じゃなかった。

これが、軟式野球を頑張る原動力になっていたと、引退して1年半が経った今でも思っています。

6.終わりに

オマケ(3年時の勧誘ポスターの素材)

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
よろしければ、「軟式野球部キャプテン時代を振り返る」もあわせてご覧ください!

また次作をお楽しみに!

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