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誰にもそれはわからない

(2013年8月4日:旧ブログ記事)

心肺蘇生時にバソプレッシン+エピネフリン+ステロイドの3剤を投与すると、蘇生時にエピネフリンだけを投与した場合に比べると脳機能スコアが良い状態で生存退院できる患者が有意に増えるというアテネ大学の研究結果がJAMAの7月13日号に掲載されていた。タイトル中に「in-hospital cardiac arrest」とあるように、これはあくまで院内発生の心停止事例についてのことなのだが。さて、論文の中にも「心肺停止から蘇生した患者の25%~50%が重篤な脳障害を抱えて生きるか、植物状態となる」と書かれているように、脳への血流が停止し酸素の供給がされなくなることで脳細胞がダメージを受けるのである。(そうした低酸素脳症、蘇生後脳症と診断された患者がわたしの働く病棟の入院患者の半数以上を占めている)そのため心停止をみとめたら速やかに胸骨圧迫を行うことが推奨されている。

心原性の心肺停止は(そもそも心臓に何らかの問題が生じているため)心拍の再開は困難なこともあるが、蘇生した場合の予後は比較的良いことも多い。しかし窒息が原因の心肺停止は蘇生したとしてもかなりミゼラブルであったりすることが多いとわたし達医療職の間では以前から言われてはいた。窒息の場合、心停止までにすでに取り込まれている血中の酸素をかなり消費してしまっているから、胸骨圧迫で循環をアシストしても血液中の酸素濃度がすでに低く、脳に必要なだけの酸素がなかなか供給されないわけだから道理ではある。

日本では窒息による死者は毎年1万人近くあり、そのうち4000人以上が食物その他の誤嚥による気道閉塞である。こうした気道の閉塞に対して、異物除去の方法としてはハイムリック法(腹部突き上げ法)があるのだが、実際の窒息事例ではほとんど意識消失前(チョークサインの出ている間)に行われることがない。BLS講習はいろんなところで開催されていて、胸骨圧迫の方法やAEDの使い方を習った人も多い。しかしハイムリック法までできる人はまだ少ないことが理由にあるのではないかと思う。ハイムリック法をあまり一般に指導しない理由は不慣れな人が行った場合に胃破裂などのリスクがあるからとは言われている。しかしリスクなら不慣れな人(医療職でもなければ大概は不慣れだと思うが)の行う胸骨圧迫にだって肋骨や剣状突起(胸骨の下部にある薄くて尖った部分)の骨折による内臓損傷など、同じようにあるのだが。(家庭などでは異物除去に掃除機を口から突っ込んで吸い出すということもあるらしいがこれにもやはりリスクはある)

前回ブエノスアイレスに行ったとき、世話になった現地看護協会職員の紹介で下院議員と面談することができたのだが、その後彼の口利きでとある病院の救命救急センターを見学させてもらえた。(アルゼンチンの病院も欧米同様ガードが固く、屈強な武装ガードマンが何人もいて部外者は簡単に病棟には入れてもらえない)そこで看護師長と話をしていたときに、日本では老人がpasta de arroz(餅)を詰まらせる窒息事故が多いんだって?と聞かれて、そんなことが地球の裏まで知れ渡っているのかと驚いたのだが、アルゼンチンでももちろん食物塊を詰まらせる窒息は少なくないのだという話で、何を詰まらせるかというとやはり

肉で。(画像はアルゼンチン名物アサード)

「日本では冬に多い事故らしいけど、こちらはアルヘンティーノの常食である肉ですからコンスタントに年間通じてあります、老人から子供まで」ということだった。そのせいかもしれないが、アルゼンチンでは中学生以上の国民の7割近くが何らかの形でハイムリック法を教わっているのだという。一般的には禁忌とされている妊婦や1歳以下の乳児への対応法から、患者が臥位で抱え起こせないときや、他に助けがいないときに椅子の背にみぞおちを当てて、ひとりで行うハイムリック法まで解説されている資料を見せてもらった。

まあ確かにこの人達が日常的に食べている肉やパンやイモならあんな粘っこい餅よりはまだ簡単に抜けるだろうしなあとは思ったのだが、件数こそ日本ほど多くはないらしいものの、それが誰にでも、いつでもどこでも起こりうる可能性のある事故なのだと広く認識されているようであり、窒息に「相当苦しむ」のもさることながら、そこから生還した場合の予後の悪さを彼らはよく知っていて、それはたぶんわたし達日本人以上によくわかっているようであった。そして少なくとも彼らは心肺停止からの蘇生に日本人の多くが考えているような「助かったよかったねー!」という手放しのハッピーエンドという意識は持ってはいなかった。

帰国後に救急科の医師と話す機会があったので「こんな状態になるのになんで蘇生させた!」って家族から言われることはないですかと聞いてみると「ありますよー、元通りにできなかったんだから医療費払わないぞとか」と言っていた。冒頭の論文にもあったように、蘇生後脳症の確率は(迅速に最善の対応ができても)25~50%と言われている。医療費という数字や「科学的正しさ」に重きを置くのなら、これは蘇生を放り出してもいい根拠になるだろうかと考える。しかし(普段はわたしの働く病棟のことを「医療の無駄遣い」とまで言う)あの因業センセイですら「それでもな、その人がどんな状態で『戻ってくる』かなんて、蘇生させてみるまで誰にもわからへんねん。オレ30年以上医者やってるけど、こればっかりはわかるからやらんでええなんて言えへん」と言う。たしかに、ただ言えるのはどんな状態で戻るのかは「蘇生するまで誰にもわからない」ということである。だからわたし達は全力で「やる」しかない、どんなときも、誰にでも。

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