見出し画像

〇7月6日は悲運のシンガー故フィリス・ハイマンの誕生日


〇7月6日は悲運のシンガー故フィリス・ハイマンの誕生日

(本作・本文は約4400字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、9分から5分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと15分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

~~~~~

〇 フィリス・ハイマン71歳の誕生日

【July 6 Would Be Her 71st Birthday】

誕生日。

7月6日は「ソウル・ソングスタイリスト」フィリス・ハイマンの、もし生きていれば71歳の誕生日だ。今から25年前、1995年6月30日に45歳の若さで自ら命を絶った。日本ではあまり知られることはなかったのだが、久しぶりに彼女の誕生日ということで詳しい評伝にはならないが追悼してみようと思う。

フィリス・ハイマンは何度か来日していて、ライヴは東京のブルーノートの古い店舗でと、ニューヨークのブルーノートで見た。ブルーノートは1989年2月13日~18日と同年12月25日~12月31日に来ている。前者も行ったような気がするが、後者は12月31日(おおみそか)に行った記憶がある。来日自体はその前年、1988年5月末に東京音楽祭のプレゼンターという役どころで来日している。

これは正式なインタヴューではなかったのだが、1989年2月に直接会う機会があった。そのとき背が高いことを強烈に覚えている。たぶん、写真も撮ったはずだがすぐにはでてこない。(苦笑) ちゃんと写真を整理しないと。

ちなみに、1989年のブルーノート東京は、最初にできた青山骨董通りにあった店舗だ。また12月のライヴは当時のNHK-BSで60分枠で放送され、その一部が今ユーチューブなどでみられる。これもたぶんVHSで録画してるとは思うが、すぐにはでてこない。

Phyllis Hyman Old Friend live!!


https://www.youtube.com/watch?time_continue=68&v=pgT7AyPmjfM&feature=emb_logo

ライヴはレコードで想像できるように女性シンガーならではの素敵なものだが、なんといっても、彼女の背が高いことでインパクト、存在感がすごい。おしゃれ、洗練、都会的なシンガーという印象だ。なにしろ、ジャズをベースにソウル、R&B、スタンダード、ブルーズ、ゴスペルまでなんでも歌えるシンガーで、トークも達者でエンタテイナー感たっぷりだった。ただし彼女はブルーズとゴスペルのバックグラウンドはない。後から、仕事上勉強したという。

フィリス・ハイマンの1981年発売アルバム『キャント・ウィ・フォール・イン・ラヴ・アゲイン』のライナーで相当詳しいバイオグラフィーを書いた。そのアルバムを探したのだが、その前後は全部あるのに、これだけない。(笑) 何かで使ってそのままにしてしまったのだろう。レコードやCDは使ったら必ず元のところに戻す、の鉄則を守っていないバツだ。1981年なのでまだワープロを使っていないので電子データもないから、現物がないと読めない。これはちょっと痛い。

彼女のCDは比較的入手も可能だし、ユーチューブ、その他のサブスクリプションでも聴取できる。

1980年代にはブログなどがなかったので、ライヴ評などは残っていないのだが、2007年、彼女の自伝が自費出版のような形で発売されたときの記事を紹介しよう。これは当時は、その著者のサイトでしか入手できなかった。確か買おうと思って、海外まで発送するか、送料はいくらか、クレジットカードでの支払いでいいかなどの問い合わせをしたと思うが、返事がなくてそのままになってしまったようだ。あるいは、海外発送をしない、という返事だったかもしれない。

しかし、今回調べたら今はアマゾンでも買え、なんとキンドルでも読めるようになっていた。2018年9月にセカンド・エディションが出て、そのときからキンドル、アマゾンでリリースされたようだ。

Strength Of A Woman: The Phyllis Hyman Story (英語) ペーパーバック – 2018/10/15
Glenda Gracia (序論), Jason A Michael (著)


https://amzn.to/2BEwHQu

一部を読むと、一時は「ネクスト・ビリー・ホリデイ」ともてはやされたフィリス・ハイマンだったが、本人はものすごく悩んでいたようだ。レコード会社との確執、最初の夫との衝突、ドラッグ、アルコール、食べ物の問題などなど。

ここに亡くなる前日から当日のことがけっこう詳しく書かれていて、心が痛む。

それまでにも自殺未遂を起こしていた。

フィリスは1995年6月30日に睡眠薬を大量に飲んで死去するが、その前日に昔からの友人に電話をしている。「私はハッピーではないし、唯一の光は死ぬこと、そうなれば仕事のことや他の人々のことを心配しなくてすむ。私にはパーソナル・ライフも、(生きていく)エネルギーもない」と。

その日の夜にはアポロ・シアターでウィスパーズとのライヴが行われる予定になっていた。

遺言のメモが残されていた。

「疲れた、疲れた。私が愛していたみなさん、それが誰かみなさんわかってると思います。神のご加護がありますように」

Phyllis Hyman / Norman Connors – Betcha By Golly Wow


https://www.youtube.com/watch?v=DQN2pdvrWuY

Phyllis Hyman - Somewhere in My Lifetime (1979/1)


https://www.youtube.com/watch?v=PamXgwsK_Lg

Phyllis Hyman - you know how to love me (1979/8)


https://www.youtube.com/watch?v=8xNbVlWvyfM

Phyllis Hyman - Living All Alone


https://www.youtube.com/watch?v=S-fLcBT0hes

Phyllis Hyman - Don’t Wanna Change The World (Video) 1991


https://www.youtube.com/watch?v=A-TVgVY9Pkg

Phyllis Hyman Old Friend


https://www.youtube.com/watch?v=uucSuUiKvcg

Phyllis Hyman - I Refuse To Be Lonely


https://www.youtube.com/watch?v=FG7hXghed_I

~~~~~

伝記。

伝記。
2007年09月27日(木)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10049296831.html

【悲劇のシンガー、フィリス・ハイマンの伝記全米発売】

伝記。

1970年代から活躍し一世を風靡(ふうび)し1995年6月30日に自殺したソウル・シンガー、フィリス・ハイマンの伝記が9月に発売された。筆者はジャーナリストのジェイソン・A・マイケル。マイケルは、ハイマンの死後すぐに彼女のストーリーを書こうと思ったが、何度も挫折し、結局完成させるまでに12年の歳月がかかってしまった。タイトルは『ストレンス・オブ・ア・ウーマン: フィリス・ハイマン・ストーリー』(女性の強さ:フィリス・ハイマン物語)。

ブログ フィリスハイマン6 ジェイソンマイケル著者

(著者 ジェイソン・A・マイケル)

マイケルは言う。「彼女の死後すぐに、本を書きたいと思った。まちがいなくそこにはストーリーがあると感じた。でも、その頃僕はまだ大学生だった。いろいろ挑戦したんだが、当時はうまく物事を進められなかった。自分以外にもハイマンのストーリーを書く人物が現れるかと思ったが、6年経ってそうした人物は現れなかった。ハイマンの本を読みたいと思ったら、僕が書くしかないと感じた。そして、書こうと思って3度目にしてやっと完成した」

マイケルは完成した作品をニューヨークのいくつかの出版社に売り込みに行ったが、どこの社からも「フィリスの本のマーケットはない」と断られた。さらに、エージェント2社を通じて売込みを続けたが、出版社はハイマンが死後マーヴィン・ゲイのようなアイコンになっていないこと、また、多くの人が彼女のことを記憶していないことなどを売れない理由として挙げていた、という。出版社は結局そのアーティストのファンがどれくらいいるのかにしか関心はなかったようだとマイケルは感じている。結局、大手出版社からのリリースはかなわず、マイケル自身がジャムブックスを設立、発売することになった。

マイケルは言う。「僕のゴールは、彼ら(大手出版社)がまちがっていたこと、そして、大きな機会を逃したと証明することだ」

マイケルは、フィリスの歌声の魅力に惹かれたひとり。「僕は彼女の声に痛みを聴く。それが僕の胸に直接響いているのだと思う。フィリスが死んだとき、僕は(R&Bシンガー)ベティー・ライトの下で働いていた。ベティーは1970年代にフィリスと一緒に仕事をしたことがあった。もちろん、ベティーは大変ショックを受けていたが、フィリスの自殺についてはそれほど驚いていなかった。このときに、僕はきっと何か(彼女の人生には語られるべき)ストーリーがあるに違いないと嗅ぎ取ったんだ」

彼自身はフィリス本人に会ったことはないが、周辺取材で書き上げた。「むしろ、会わなかったことで、自分の(彼女に対する)主観が入らず、バランスのとれた作品になったと思う」と語る。

取材によると、フィリスは1995年6月の自殺以前に1989年と1990年と2度自殺を試みていたという。躁鬱病でリタリンという薬を処方され、また、アルコール依存症にもなっていた。リハビリも何度か試したが、依存症から完全に抜け出ることはできなかった。彼女自身の心の問題は、ずっと公にはされず、秘密にされていた。しかし、彼女はステージでは明るく振舞い、オーディエンスにはこれっぽっちもそうした影の闇の部分を見せることはなかった。

リタリンは最近、急速に注目集めている薬で、抗躁鬱などに処方されるが、一時的な幸福感を得られ、また中毒性があることから、ドラッグ代わりになり始め、大きな社会問題となっているもの。特に副作用が強く、それによって自殺に至るケースが報告されている。もっとも10年以上前まではそこまでの研究はなされていなかった。

ブログ フィリスハイマン7 リタリン

(奇しくも毎日新聞が「リタリン」問題を追及中)

<薬物依存症>「リタリン」で急増 医師の安易処方が原因か (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ritalin__20070919_1/story/18mainichiF0918m112/

<リタリン>大量処方で幻覚 25歳男性自ら命絶つ 名古屋 (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ritalin__20070919_1/story/18mainichiF0918m113/
(どちらも、リンクは現在は死んでいる)

著者であるマイケル自身にも躁鬱病の症状があり、フィリスのストーリーをリサーチしていくにつれ、彼女の物語から多くを学ぶことになったという。

「彼女は自分の人生を自らの手で断ち切った。だが、僕自身がこうしてしっかり自分の人生を生きているのは彼女の(ことから多くを学んだ)おかげだと言いたい」

取材によれば、フィリスの両親のうち父親はアルコール依存症、母親も躁鬱、また2人の兄弟も躁鬱気味だったという。したがってフィリスの誕生から、彼女には悲劇のヒロインへの道が用意されていたのかもしれない。その人物にクリエイティヴな才能があり、性格が繊細であればあるほど、さまざまなことに落ち込み、憂鬱になるのだろう。

幼少時代、成長する時代、大人になってからのアルコールとドラッグ漬けの時代。また、映画『カラー・パープル』のオーディションでシュグ・エイヴリー役(主役ウーピー・ゴールドバーグの夫の愛人で歌手=マーガレット・エイヴリーが演じた)を取れなかったときの落胆、彼女が所属していたアリスタ・レコード社長クライヴ・デイヴィスとの衝突、その頃人気だった女性アーティストたち、ジョディー・ワトリー、ヴァニティー、ポーラ・アブドゥールらについてのコメントなども収録されている。

ブログ フィリスハイマン8 カラーパープル本のジャケ写


まさに、苦悩の人生を歩んできたフィリス・ハイマンのストーリーは、ソウル・サーチンの連続だったにちがいない。

■著作のオフィシャル・ウェッブ(英語版)


http://www.phyllishymanstory.com/
(ここから買えます)

■フィリス・ハイマン ベスト


ENT>MUSIC>ARTIST>Hyman, Phyllis
ENT>MUSIC>BOOK>Hyman, Phyllis

~~~~~

フィリス・ハイマンはブロードウェイ・ミュージカル『ソフィスティケイテッド・レディー』でも好評を得ていた。

ブログ フィリスハイマン5 ソフィスティケイテッド ポスター

また、スパイク・リーの『スクール・デイズ』にも出ている。

ブログ フィリスハイマン スクールデイズ ポスター

アメリカのケーブルテレビ、TVOneの音楽ドキュメンタリー『アンサング』でも、フィリス・ハイマンが取り上げられている。

Unsung – Phyllis Hyman


https://www.youtube.com/watch?v=d8NErZrMv_4

現在まで続くアメリカ・ブラック・ミュージック界最大のフェス「エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル」の第一回が1995年7月に行われたが、その時、ちょうどフィリスの訃報が現地にも入り、同フェスはちょっとしたフィリス追悼の空気に包まれた。

~~~~~

■サポートのお願い

ソウル・サーチン・ブログは2002年6月スタート、2002年10月6日から現在まで毎日一日も休まず更新しています。ソウル関係の情報などを一日最低ひとつ提供しています。

これまで完全無給手弁当で運営してきましたが、昨今のコロナ禍などの状況も踏まえ、広くサポートを募集することにいたしました。

ブログの更新はこれまで通り、すべて無料でごらんいただけます。ただもし記事を読んでサポートしてもよいと思われましたら、次の方法でサポートしていただければ幸いです。ストリート・ライヴの「投げ銭」のようなものです。また、ブログより長文のものをnoteに掲載しています。

オリジナルはソウル・サーチン・ブログ
ソウル・サーチン・ブログ・トップ


https://ameblo.jp/soulsearchin/

noteでの記事購入、サポートのほかに次の方法があります。

方法はふたつあります。送金側には一切手数料はかかりません。金額は100円以上いくらでもかまいません。

1) ペイパル (Paypal) 使用の方法

ペイパル・アカウントをお持ちの方は、ソウル・サーチンのペイパル・アカウントへサポート・寄付が送れます。送金先を、こちらのアドレス、 ebs@st.rim.or.jp にしていただければこちらに届きます。サポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名でも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。

2) ペイペイ(PayPay) 使用の方法

ペイペイアカウントをお持ちの方は、こちらのアカウントあてにお送りいただければ幸いです。送金先IDは、 whatsgoingon です。ホワッツ・ゴーイング・オンをワンワードにしたものです。こちらもサポートは匿名でもできますし、ペンネーム、もちろんご本名などでも可能です。もし受領の確認、あるいは領収書などが必要でしたら上記メールアドレスへお知らせください。PDFなどでお送りします。

3) サポートしたいが、ペイペイ、ペイパル、ノートなどでのサポートが難しい場合は、 ebs@st.rim.or.jp までご連絡ください。銀行振込口座をご案内いたします。(ちなみに当方三井住友銀行です。同行同士の場合、手数料がゼロか安くなります)

コロナ禍、みなさんとともに生き残りましょう。ソウル・サーチン・ブログへのサポート、ご理解をいただければ幸いです。

ソウル・サーチン・ブログ運営・吉岡正晴

ANNOUNCEMENT>Support

~~~~


ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?