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ジョン・バティースト・インタヴュー(続き)

ジョン・バティースト・インタヴュー(続き)
 
【Jon Batiste Interview Part 2】
 
続き。
 
2023年10月19日(木)放送の『AOR/Soul To Soul #098 』でご紹介したジョン・バティーストのインタヴュー。オンエアでは、3つの質問の答えしか流せなかったが、それ以外の部分をご紹介する。

オンエアでのインタヴュー

 
本作がラジオをテーマにしているので、ラジオ局のことを聞いた。地元で聴いていた局はどこか?
 
「地元でよく聞いている局は、WWOZ、90.7だ。僕が初めてレコードを作ったとき、まだティーンだったが、かけてくれた。ここの局はニューオーリンズの局ということもあって、ローカルの作品もたくさんかける。とても、よくキューレート(選曲、構成)されている。特にそこでかかるには、メインストリームである必要はない。その地域の住民として気になる音楽、曲をかけるんだ。だから自分のレコードが初めてラジオから流れたのはここだった。そういう点で、今回のアルバム『ワールド・ミュージック・レディオ』は、そうしたラジオ局をイメージしている。もしエイリアンのETが他の星からやってきたり、地上のラジオDJも含めてDJをやっていたら、(地球上にある)どういう曲をかけるか、そうしたことを想定しながら、作ったんだよ。そして、みんなが同じラジオ局を聴く、そんなアルバムを作ってみたかった。それは、全宇宙に向けての、この地域から発信するラジオ局だ。何をかけるか、誰をかけるか、そんなとき、リトル・ウェイン、ケニーG、ラナ・デル・リー、僕のレコードなどなどが候補になる。(CD中の)DJビリー・ボブ・ボー・バップは、僕の別人格であり、アルバムのメイン・キャラクター。僕自身がそのDJの声色を作り、アルバムの流れをガイドした。だから、このアルバムは、ある種のラジオのフォーマットを聴くように聴ける。DJによってキューレートされているというわけだ。」
 
このビリー・ボブ・ボー・バップのアイデアはどこからでたのか?
 
「このビリー・ボブ、B4(ビー・フォー)のアイデアは、実は僕がみた夢から来てるんだ。ある晩ちょうど寝入ろうとしているところだった。僕にとっては、インスピレーションがわく時間帯なんだな。起きた直後とか、寝入る直前とか。そういうときにアイデアが浮かぶ。そしてそうしたアイデアをもってスタジオに入る。というのも、僕はスタジオに本当に一晩中いるんだ。それこそ夜を徹して朝方までいる。そうすると、もう眠くなって寝入りそうになる。そしてベッドに横になると、アイデアが浮かんでくる。そのことを妻に言うと、妻も『ワオ、すごい』と言い、僕も『そうなんだ、スゴイだろ。気に入ったんだ』と答えた。そして、スタジオですぐに録音した。アルバムにどんなゲストを迎えるか、どういう曲にするかなどのアイデアがどんどんでてきた。それは映画のキャストを誰にするかなどと同じような手法だった。映画のストーリーが進む場面転換になるようなところは、「インタールード」でつないだ。このアルバムは、実際『映画』のようなものなんだ。アルバムは映画。そうやってこのアルバムはできたんだ。完成させるまでに約9カ月かかった」
 
ソーシャル・ミュージックについての説明はオンエアでしたが、そこに至る経緯はこうだ。
 
「それは、2011年だった。僕は2004年にニューヨークに移り住んだんだが、2011年、まだ自主制作でアルバムを作ろうとしたとき、仲間(グループ、ステイ・ヒューマン)と地下鉄やニューヨークの路上で人々に囲まれて録音したんだ。そのころよく地下鉄でプレイしていたんでね。アルバムは、『マイ・N.Y.』というもの。「ソーシャル・ミュージック」というのは、「人々の音楽」ということ。そして僕は人々の中にいる一人、ということ。そこからアイデアが広がっていった」
 
You Are My Sunshine / Just Dance (Live)

 
ニューオーリンズに生まれ育ったということは、どれくらいあなたの音楽家としてのキャリアに影響を与えているか。
 
「ニューオーリンズに生まれ育ったことは、大きい、大きい、とてつもなく大きい。ニューオーリンズはまったく『別の星』だ。(笑)地上のどこにもあんな街はない。文化という面で見ても、世界でも類まれだ。それがまちがいなく、僕を形作った。僕はルイジアナのニューオーリンズとケナーという小さな街に育ったが、ケナーはかなり田舎の街、南部の小さな街だ。小さな街での生活とニューオーリンズでの生活、大都会と小さな村との違いは大きい。周囲の人々も違って、生き方なんかも違う」
 
グラミー賞を大量に受賞して、以後、変わったことはあったか。
 
「グラミーやその他のアワードは、僕への注目を与えてくれた。特に、僕のこれまでの道のりというものに脚光を当ててくれるようになった。その道のりというのは、ずっと継続してきた。僕自身は何も変わっていない。僕がやっていることが、以前より注目されるようになった」
 
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追悼:ラッセル・バティースト・ジュニア。
 
ジョンはオンエアでも述べたが、いとこのラッセルの急逝にともなって行われる葬儀に出席するために、来日予定を繰り上げて帰国した。
 
葬儀の模様の映像。まさにセレブレーションという感じのイヴェント。セカンド・ラインのライヴ。
 
Russell Batiste’s NOLA Jazz Funeral & Second Line, October 10, 2023 (約23分)

 
ニュース (約2分20秒)

 
まさにこういうシーンを見ると、ジョンが語る「音楽はコミュニティーの中にある。そこから生まれた」という言葉が真に迫ってくる。
 
ラッセルのドラムスがさく裂するワイルド・マグノリアスの1曲。
 
Coochie Molly – Wild Magnolias

 
OBITUARY>Russell Batiste (December 12, 1965 – September 30, 2023, age 57)
 
アルバム『ワールド・ミュージック・レディオ』を特集した回の『AOR/Soul To Soul』(2023年9月7日放送)期間限定同録

https://soundcloud.com/soul_searcher/aorsoul-to-soul-093-972024

 
ENT>ARTIST>Batiste, Jon
ENT>RADIO>AOR/Soul To Soul
 
 
 
 
 


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