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■■ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ 008 映画『ミスティック・リバー』とクリント・イーストウッドとレイ・チャールズと『ジャージー・ボーイズ』■■



■■ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ 008 映画『ミスティック・リバー』とクリント・イーストウッドとレイ・チャールズと『ジャージー・ボーイズ』■■


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(本作・本文は約8700字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、17分から9分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと29分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

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クリント・イーストウッドは、とても好きなフィルム・メイカーだ。今回の『ミスティック・リバー』のレヴューを久しぶりに読んでおもしろかったので、これを再掲することに。ちょうど、昨日の映画『ダイ・ハード 4.0』、その前にはロバータ・フラック関連で『プレイ・ミスティー・フォー・ミー(邦題:恐怖のメロディ)』(イーストウッド監督・主演)もあったので、その続き。

イーストウッドはこの後も『ミリオン・ダラー・ベイビー』、『ハドソン川の奇跡』、『ジャージー・ボーイズ』など数えきれないほどの作品がある。また、同時期、音楽ドキュメンタリーでレイ・チャールズにインタヴューするシーンがあり、その稿も含めた。さらに、『ジャージー・ボーイズ』の評もあったので、それも追記する。

映画 ミスティック・リバー クリンと インタヴュー


NO.525
2004/01/28 (Wed)
Mystic River: A Perfect Clint Eastwood Touch
(映画 『ミスティック・リバー』 の感想文です。ネタバレは最小限ですが、ごらんになっていない方は、ご注意ください)

タッチ。

グランドピアノに向かって二人の男が座って話をしている。一人は白人の男。嬉しそうに隣の男に質問をなげかける。もう一人の男、サングラスをしたしわがれ声の黒人は体を揺らしながら答える。質問をする男は当代きってのフィルム・メイカー、クリント・イーストウッド、答える男はソウル・ミュージックの生みの親レイ・チャールズ。くしくも、レイもクリントも1930年生まれの同じ年だ。イーストウッド自身が監督し、2003年9月ケーブルテレビのPBS系列で放送されたドキュメンタリー映画『ピアノ・ブルーズ』(総監督マーチン・スコセシー。DVDでも発売中)の一シーンだ。イーストウッド自身、ピアノをたしなむ。彼は母親が自宅でかけていたファッツ・ウォーラー(1904~1943=1920年代から40年代にかけて大活躍したジャズピアノの人気アーティスト)のレコードを聴いて以来の大のピアノ・ファンだ。

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ワーナーブラザーズのロゴが消えるなりシンプルなピアノ演奏が始まった。この音だけでクリント・イーストウッドの世界が劇場の空間を埋め尽くす。『マジソン郡…』も『プレイ・ミスティー・フォー・ミー(恐怖のメロディ)』も、イーストウッドの映画はピアノが心地よく映像をサポートする。そして、今始まった 『ミスティック・リバー』 。

約2分11秒
ミスティック・リバー(プレビュー)


https://www.youtube.com/watch?v=ZTrDDd9haBc

ミスティック・リバー (字幕版)(レンタル 有料、400円)(約2時間18分)


https://www.youtube.com/watch?v=rblQceW3A7o

ボストンのちょっと荒れた地域に生まれ育った3人の少年たちが路上でホッケーを楽しんでいる。ホッケーのボールが下水道に落ちてしまった。手持ち無沙汰になった3人はまだ固まっていないコンクリートに自分たちの名前を彫り込んだ。そこに刑事然とした2人の大人が登場。彼らをたしなめ、3人のうち1人デイヴだけを連れ去る。残る2人、ジミーとショーンは車が走り去っていくところをなすすべもなくただ見守るしかなかった。森の奥深くに監禁されたデイヴは命からがら自力で脱出する。しかし、その4日間に彼に起こったことはデイヴの心の奥底に深く大きな傷となって沈殿していった。そのトラウマは、残った2人にも同じように暗い影をなげかけた。この日を境に、彼らは何かを失ったのだ。

映画 ミスティック・リバー 場面 ケヴィン、ショーン

刑事ショーン(ケヴィン・ベーコン)左、ジミー(ショーン・ペン)右


それから25年の歳月が流れた。ジミー(ショーン・ペン)は前科のあるドラッグストアのオウナー、学生時代は野球がうまかったが現在は低所得労働者となったデイヴ(ティム・ロビンス)、そして、家庭状況がうまく行っていないショーン(ケヴィン・ベイコン)は刑事となり、3人はそれぞれの人生を静かにひっそりと生きていた。そんな中、ひとつの殺人事件が運命の糸がからむように、離れ離れになっていた3人を引き寄せる。ひとりは、殺人事件の被害者の父として、ひとりはその容疑者として、そして、もうひとりはそれを解決する刑事としてクロスロードで遭遇した。

ミステリー作家デニス・ルへインの原作『ミスティック・リバー』を、クリント・イーストウッドが非常にオーソドックスに監督。まずこのプロット、物語自体が圧倒的におもしろい。そして、主要登場人物3人さらに、その脇役たちの演技も見事というほかはない。演技と物語が完全に同化している。

時間の流れが多くあればあるほど、別の言葉で言えば、時間が凝縮されればされるほど、そして、不条理、矛盾、不正義がまかり通ることがあればあるほど、その物語は劇的におもしろくなる。時にそれは後味の悪さを残すこともあるが、黒白がつかず、どちらも正しい、あるいはどちらも正しくない、どうしようもないやるせない部分を描ききると、観客に考えさせる余白が生まれ、映画としての深みがでる。喪失感、トラウマから生まれる考えられない行動。そうしたことが起こるから、思いもつかぬ事件が現実に起こる。それもまた人生の真実なのだ。既存の正義の枠で片付けられない様々な矛盾。そこにストーリーが浮かび上がり、ドラマが生まれる。その中で、ある者はなんらかのソウル・サーチンを試みる。イーストウッドは常にその影に光を当てる。

この 『ミスティック・リバー』 は、時間の凝縮と人生の不条理というその両者が完璧に揃う。もちろん、本作は殺人事件が起こったことによって、犯人探しの側面もあるが、それ以上に、3人と2人の妻、それぞれの人生がしっかり描かれているところがすばらしい。世の中には理屈で説明できないことが多い。納得がいかないことも多々ある。そこを掘り起して淡々と描くところが、このイーストウッドという監督、「職人フィルム・メイカー」の底知れぬ力だ。ある意味で非常に冷静にジャーナリスティックに物語を見つめ、そして、それを丁寧に描写する。しかも超一流の俳優陣の演技によって。俳優に委ね、演技に任せ、ハンドルの「遊び」を作る。その遊びは見るものに「考える」余白を与える。

満点に近いこの映画を見て唯一こうしたらいいのではないかと思ったところ。それは、前半導入部と、後半一気に物語が解決に向かうところは、実にテンポよく進むのだが、中盤なぜか冗長になる点だ。あの中盤部分をもう少し削いで、テンポアップし、あと20分短縮できれば完璧になるような感じがした。ひょっとすると、イーストウッド監督が、3人のあまりの演技のすばらしさに目がくらみ、どうしてもエディットできなくなったのではないだろうか。それはそれで痛いほどわかるのだが…。それでも、そこを泣く泣くエディットするのが監督の仕事だ。あそこで中だるみを感じさせては、元も子もない。

もう一点、日本の映画会社の「もうひとつの『スタンド・バイ・ミー』」というキャッチフレーズ。これはない。そういうキャッチをつけたくなる気持ちもわからなくはないが、もっともっと頭を絞って絞って考えだしてほしい。

デイヴ(ティム・ロビンス)の行方がわからなくなった時、刑事ショーン(ケヴィン・ベーコン)が、ジミー(ショーン・ペン)に「最後にデイヴを見たのはいつか」と尋ねる。ジミーは宙を見て、「11歳の時、車に連れ去れた時だ…」とぽつりとつぶやく。その一言にショーンは返す言葉がない。2人は25年前、車が走り去った方をぼんやりと眺める。3人の重い、しかし決して忘れることができない25年間。時間が凝縮され、誰もが正解を知ることができないゆえの苦悩と沈黙が多くを物語る絶妙のシーンだ。

ラストの部分、ボストンで行われるパレードのシーン。刑事ショーンは、遠くにいるジミーを見つけ、右手で拳銃の形を作り、撃つ真似をする。これも様々に受け取れるシーンだ。

イーストウッドは、基本的に映画とはこういうものだ、という自分のパターンをしっかりと持っている。僕はその基本的な考え方に強く同意できるので、彼の作品が大好きだ。彼が作る、クラス(品格)があり、痒いところに手が届くような「映画らしい映画」が楽しめる。それはそのエンディングが仮にいかに不条理であろうと、映画作品として楽しめるのだ。

映画のエンディングで、大きなミスティック・リバーが映し出される。そこにかぶさる後テーマは再びシンプルなピアノのメロディーだった。それはイーストウッドのトレードマーク。そのゆったりとしたピアノの旋律は、まるで彼が「この物語についてじっくりお考えください」と観客に問いかけているかのようだ。クレジットロールがゆっくり回りだして驚いた。このテーマ曲自体をクリント・イーストウッド自身が書いていたのだ。

Theme from Mystic River - Clint Eastwood
https://www.youtube.com/watch?v=j36e1dTrYsg

『ミスティック・リバー』 でイーストウッドはスクリーンには一切出てこない。だが、この作品のあらゆるところにイーストウッドの香りがたちこめる。彼はカメラの裏側にしっかり立ち、編集作業をするスタジオや、音楽の録音スタジオにいて彼の魂をこのフィルムの中にこめているのだ。 『ミスティック・リバー』 、それは「完璧なイーストウッド・タッチ」。

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『ミスティック・リバー』の制作の合間をぬって作ったというドキュメンタリー映画『ピアノ・ブルーズ』は、レイ・チャールズの「アメリカ・ザ・ビューティフル」で幕を閉じていく。『ミスティック・リバー』の中で、「ただのレイ(just Ray)」や「いろんなレイ」がでてきて、「レイ・ハリス」という役名がでてくる。ふとその時、イーストウッドはこのレイの役名をレイ・チャールズから取ったのではないかと邪推した。レイ・ハリス、レイ・チャールズ…。偶然かな。(笑) いつか機会があったら訊いてみたい。

(映画 『ミスティック・リバー』 原題Mystic River、2003年アメリカ作品)

ENT>MOVIE>REVIEW>Mystic River

■映画『ミスティック・リバー』(ブルーレイ)

https://amzn.to/3dZms70

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レイ・チャールズ死去にともないレイへの追悼文。

2004/06/13 (Sun)
"Brother Ray On My Mind": A Tribute To Ray Charles
スタンプ。

映画『ミスティック・リバー』の製作の合間をぬって、クリント・イーストウッドはマーティン・スコセッシーの要請で、ブルーズの音楽ドキュメント7本のうちの一本『ザ・ピアノ・ブルーズ』を完成させる。このドキュメンタリーのハイライトは、 レイ・チャールズだ 。

冒頭、イーストウッドがグランドピアノをぽろぽろと弾いている。そこに車から降りて、付き人に手を引かれスタジオ内にレイ・チャールズがやってくる。長身のイーストウッドと比べるとチャールズは、かなり小さく見える。グランドピアノに並んで座り、イーストウッドがインタヴューする。チャールズが昔話を始める。

イーストウッドが「どのようにピアノを始めたのですか」と訊く。レイが答える。「ワシが3歳のときのことだ。近所にいわゆる雑貨店があってな、なんでも売ってるような、そこの主人がピアノを弾いてたんだ。で、なぜかわからんが、その彼がピアノを弾くのを見るのが大好きで、ものすごく惹かれたんだ。椅子の上に乗って、なんとか(鍵盤を)叩いたりするんだが、適当にね。するとその主人が『違う、違う。こうやって、こっち(右手)でメロディーを弾くんだ』みたいなことを教えてくれた」 彼の目には、その主人がピアノを弾く姿が鮮明に記憶されている。咳き込みながら、チャールズは語りつづける。(このドキュメンタリーは日本では劇場公開はされませんが、なんらかの形で公開される予定です)

Piano Blues Clint Eastwood documentary. Ray Charles, Dave Brubeck, Dr John, Prof. Longhair (約77分)


https://www.youtube.com/watch?v=q763H0MBOrA
フル・サイズで見られますが、字幕はありません。

彼はその3歳のとき以来、ずっと70年間、ピアノを弾き続けた。チャールズはしかし、その4年後、緑内障が原因で失明。以来、ずっと暗黒の世界に生きてきた。だが、彼には目が見える人にも見えないものが見えていた。

レイ・チャールズの元で働いていたスタッフがチャールズの自伝『ブラザー・レイ(邦題、レイ・チャールズ物語)』の著者、デイヴィッド・リッツにこんな話をしている。「(レイ・)チャールズさんに何か話をしなければならないときには、いつも、(話すことを)紙に書いてから行ってました。そうしないと、何も言えなくなってしまうんです。彼が私を見ると、私は固まってしまう。まるで、私のすべてを見透かしているような感じがするのです」 

リッツも、盲目の人と話をすることのむずかしさを述べている。つまり、普段僕たちが会話をするときは、相手を見て、口から出る言葉以外のもの、ボディーランゲージであったり、目や顔の表情から得る情報が無意識のうちに役立っているのだ。しかし、チャールズと話すときは、つねに黒光りするサングラス相手なので、どうしてもわからないことが多い、という。


(デイヴィッド・リッツと、レイについては http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/ritz19940509.html へ)

アー写 デイヴィッド・リッツ タトゥーあり

(デイヴィッド・リッツ)

レイ・チャールズのライヴは何回か見たことがある。よく覚えているのは1989年暮れ新宿厚生年金ホール、ちょうど「いとしのエリー」がCMで使われてヒットした頃のライヴだ。その頃、レイは毎年12月に決まったように来日していた。思ったのは、とても音が小さなライヴだな、ということ。そして、曲が次々と、しかも淡々と歌われるショウだった。ところが、一番最後に「いとしのエリー」をやったときには、なぜか急にぐっときた。それまでの流れでただやってきていたライヴが一瞬にして輝きを見せたのだ。ブラザー・レイは、ほとんど、完璧に自分のものにしていた。おそらくその時点でもたいした回数は歌っていなかったはずなのに。逆にあまり回数歌っていなかったから、新鮮だったのか。

ザ・ジニアス・オブ・ソウル。

1992年2月、レイ・チャールズのドキュメンタリー 『ジニアス・オブ・ソウル』 の解説を書くために、かなり膨大な資料を読んだ。そのときに、レイ・チャールズの偉大さを改めて知った。これは、その後1999年にDVD化されている。(解説は本ウェッブに掲載。内容は、その原稿をじっくりごらんください。)

http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/ray19990220.html

■『ジニアス・オブ・ソウル』DVD


https://amzn.to/2X5YIXU

Ray Charles - The Genius of Soul (documentary) (約56分)


https://www.youtube.com/watch?v=Dl_dsK_hqUM

これを書いた時点では、リッツの書いた『ブラザー・レイ』の本を持っていなかったが、同じ年の10月にようやくソフトカヴァーで入手することができた。DVD化されたときに、原稿を若干加筆訂正したが、それはこの本のおかげもあった。

■ブラザー・レイ/レイ・チャールズ物語
(デイヴィッド・リッツ著、吉岡正晴訳)2005年2月1日発売


https://amzn.to/2yhkCz6

僕は残念ながらレイ・チャールズにインタヴューしたことがない。最大に接近したのは、たしか目黒のブルースアレーでのこと。来日したときに、何かの記者会見かちょっとしたライヴを見せたときだったと思う。お店が小さかったので、すぐ目の前にブラザー・レイがいたのを強烈に覚えている。確かに、あまり大きくなかった。

その後も、ライヴを多分なんどか見たかもしれないが(やはり、ずっと日記を書いておけばよかったと思う=(笑))、最後に見たのは2000年7月のカナダ・モントリオールだった。やはり、音が小さかった。音が小さいので、集中してしまうのだが。

年に300本もライヴを行うということは、ライヴが人生そのものになっている、と言ってもいい。会場から会場へ。しかし、常に一定の水準のライヴを見せる。そのショウは、職人たちのショウとして完成している。

レイ・チャールズの音楽を聴いてもっとも感じること、それは彼がアーティストとして恐ろしいほどの「柔軟性」「吸収性」を持っているということだ。ブルーズだけにとどまらず、それをゴスペルと融合させたり、カントリーやポップを歌ったり、世界中のあらゆる音楽を自分の音楽の中に吸収しようとした。その貪欲さこそが天才の原点だと思う。しかも、それをほとんどすべて、自分の音楽「レイ・チャールズ・ミュージック」にしてしまう。あらゆる音楽に「レイ・チャールズ」というスタンプを押してしまうのだ。

ブルーズとゴスペルをあわせて、当時はまだ名前もジャンルもなかったソウル・ミュージックという名の音楽を作った。音楽ジャンルをひとつ作ってしまったのだから、偉大という言葉以外思いつかない。

彼の体は小さかったが、成し遂げたことはあまりに大きい。失明、孤児、黒人、そして貧困。これ以上の四重苦はない。孤独と絶望の淵から世界の頂上に這い上がったブラザー・レイ。そのバネの強さは尋常ではない。彼が持っていた武器はただひとつ、音楽だ。空気を吸い、水を飲み、食事をするように、彼は音楽を栄養にして成長し、それは彼の体の一部になった。そしてその音楽の力で彼は世界を手にしたのだ。

ドキュメンタリー『ピアノ・ブルーズ』は、レイ・チャールズが歌う「アメリカ・ザ・ビューティフル」で幕を閉じる。レイ・チャールズ、ユー・アー・ザ・ビューティフル! 

クインシー・ジョーンズがレイに会ったのはクインシー14歳、レイ16歳のときのことだった。それ以来の親友同士。そんなクインシーが言った。「レイはもし10セント硬貨を持っていたら、いつでも私に5セントくれる、そんな奴だった。今、その5セントを返すから、レイを(ここに)戻して欲しい。でも、天国のほうが今では彼にとっていいのかもしれないな」 

レイ・チャールズ、人々は親しみをこめて彼のことを「ブラザー・レイ」と呼ぶ。

最後に、レイに捧げる詞を記して、ご冥福をお祈りする。タイトルは「ブラザー・レイ・オン・マイ・マインド」。そう、「ジョージア・オン・マイ・マインド」のメロディーで歌ってください。

"Brother Ray On My Mind" (Lyrics to Melody of "Georgia On My Mind")

Brother Ray......Brother Ray..........the whole day through
Just an old sweet song.....keeps Brother Ray on my mind

I said now, Brother Ray.....Brother Ray......a song of you
Comes as sweet and clear.....as moonlight through the pines

Other arms reach out to me.......other eyes smile tenderly
Still in peaceful dreams I see.......the road leads back to you

I said, Brother Ray........ Brother Ray......... no peace I find
Just an old sweet song........keeps Brother Ray on my mind

Other arms reach out to me........other eyes smile tenderly
Still in peaceful dreams I see......the road leads back to you

Now ya know it's, Brother Ray........ Brother Ray...no peace, no peace I find
Just this old, sweet song......keeps Brother Ray on my mind

Just this old sweet song.......keeps Brother Ray on my mind

『わが心のレイ・チャールズ』

ブラザー・レイ、わが心のレイ・チャールズ、
時の流れがゆっくりと進んでいく

古きよき時代を思わせる甘い歌・・・
そんな歌がいつもレイ・チャールズへの郷愁を誘う

ブラザー・レイ、あなたの歌が、月明かりが木々の隙間から
漏れてくるように、やさしく、心に染みてくる

ブラザー・レイが歌いかけてくる・・・
ブラザー・レイがやさしく微笑む・・・
ブラザー・レイの元には心の安らぐ夢がある
今、ここにある道はレイ・チャールズのところへ戻る道

ブラザー・レイ、ブラザー・レイ・・・
他のところでは心の安らぎを見出せない

古きよき時代を思わせる甘い歌・・・
そんな歌がいつもレイ・チャールズを思い出させる

(訳詞ソウル・サーチャー)

(訳注・「ブラザー・レイ」、「レイ・チャールズ」の部分を「ジョージア」に変えれば、オリジナルの「ジョージア・オン・マイ・マインド」の訳詞になります。また、訳詞は雰囲気、ニュアンスから意訳している部分もあります)

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ENT>OBITUARY>Charles, Ray

■DVDピアノ・ブルーズ

https://amzn.to/2LzJpkZ

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そして、クリント・イーストウッドの2014年映画『ジャージー・ボーイズ』の紹介記事。

『ジャージー・ボーイズ』~フォー・シーズンズの栄枯盛衰
2014年10月21日(火)

(少しネタばれになります)

【Jersey Boys Movie】

映画。

元々ミュージカルとして大ヒットしていたニュージャージー州出身のヴォーカル・グループ、フォー・シーズンズの栄枯盛衰を描いた『ジャージー・ボーイズ』。これをクリント・イーストウッドが映画化した。

製作予算4000万ドル(約40億円)で、現在まで全世界で興行収入6100万ドル(約61億円)をあげている。見事なヒットだ。

物語は、グループのリーダーであり、創設メンバーのトミー・デヴィートが観客に語り掛ける形で進む。

当時のヴォーカル・グループが無名から徐々に有名になっていく過程で、さまざまな葛藤や、外部とのトラブル、仲間割れ、裏切り、そして成功などが描かれる。

もともと音楽好きで、映画作りの匠であるクリント・イーストウッドが監督するだけに、きっちりとした人間ドラマを描く映画になったと思う。

音楽プロデューサー、ボブ・クリューが4人の若者と契約し、ソングライターのボブ・ゴーディオとともに「シェリー」を書き、これが大ヒット。いよいよフォー・シーズンズの快進撃が始まる。

ところが好事魔多し、リーダーのトミーが巨額の借金を抱えていたことが発覚。それを返済するために、フランキーはギャングの息のかかったラスヴェガスのクラブでひたすら歌い続けなければならなくなった。

そして、ツアーにつぐツアーで家庭を顧みることがなかったフランキーと娘フランシーヌとの関係も悪化。娘はドラッグ中毒に。そして生まれるフランキーのソロ・シングル「キャント・テイク・マイ・アイズ・オフ・オブ・ユー」(君の瞳に恋してる)。

20数年後、グループが「ロック殿堂」入りを果たすときに、メンバーが再会する。

フランキーのナレーションが物語を締める。「フォー・シーズンズで一番楽しかった時期は、成功する前だった。すべての希望に満ち溢れ、4人が街灯の下で歌っていたあの頃だ」

ギャング役のクリストファー・ウォーケンが実にいい味をだしていた。そして、フランキーの性格が良すぎた。ほんと、いい奴だったんだなあ、と。


■ジャージー・ボーイズ (ブルーレイ)

https://amzn.to/3cEZYYx


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音楽ファンにとっては、ちょっとしたトリヴィアネタもおもしろい。日本では『タモリ倶楽部』のテーマ曲として知られるロイヤル・ティーンズの「ショート・ショーツ」は、ボブ・ゴーディオが書いていた。

「キャント・テイク・マイ・アイズ・オフ・オブ・ユー」の誕生秘話はぜひスクリーンで。

Jersey Boys - Can't Take My Eyes Off You (The story of The Four Seasons) HD


https://www.youtube.com/watch?v=euTxpe61NE8

http://youtu.be/toarcsqfrl4

Can't Take My Eyes off You - Frankie Valli and The 4 Seasons


https://www.youtube.com/watch?v=NGFToiLtXro

ENT>MOVIE>Jersey Boys

(元記事のリンクは次の通りです)

2004/01/28 (Wed)
Mystic River: A Perfect Clint Eastwood Touch



http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040128.html

2004/06/13 (Sun)
"Brother Ray On My Mind": A Tribute To Ray Charles
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200406/diary20040613.html

『ジャージー・ボーイズ』~フォー・シーズンズの栄枯盛衰
2014年10月21日(火)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11941744693.html

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