空爆の耐えられない軽さ

『PSYCHO-PASS SS2』感想文

 初めに断っておくが、今回は『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.2 Frist Guardian』に絞って話をする。また内容については、まず視聴していることを前提として進めていく。
 もし未視聴の方がいらっしゃれば、「沖縄映画研究会」さんが詳細に説明なさっているので、そちらを参照してもらいたい。

 それでは始めていこう。

0:00~オープニング

 まず驚かされるのは、『SS2』のオープニングへの「入り」があまりに完璧であることだろう。
 かつて凄腕のドローン・パイロットであった須郷徹平は、今では公安局の刑事として、淡々と日々の職務を全うしていた。
 だが、そんなある日、「外務省の汚れ仕事ウェット・ワーク」を担当していると噂の花城フレデリカが、須郷にスカウトの話を持ちかける。曰く「準軍事的な活動を前提とした新部隊を結成する」と…………。
 『PROVIDENCE』を観た方なら、ここで嫌な予感を感じないわけにはいかないだろうが、しかしこれは「ピースブレーカー隊」のことではないようだ。というのも、次の章句を参照したい。

 ときにはピースブレーカー自身も、外務省の汚れ仕事部門(一時期、社会援護局・資料調査室という機密部署が存在していた)と連携し戦った。

深見真,『小説 劇場版PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』,p182

 というわけで、須郷がスカウトされたのは、この外務省の別部隊(社会援護局・資料調査室)と考えるのが妥当であるように思われる。恐らくは、クローツラング号を護衛していたあの部隊である。だが、これについては本筋ではないため考察は割愛する。
 まずこのオープニングでは、須郷が「国防軍のエース・パイロット」であったという過去が明かされている。しかしながら、その栄光の過去にもかかわらず「潜在犯落ち」してしまったこともまた暗示されている。
 そうして画面は、須郷が酒を傾けるシーンへと移行するのだが、しかしそこで彼が飲んでいるのは、実は例のブランデーなのである。大友逸樹が「保険」を忍ばせていた、例のブランデー。そしてその横には、かつての国防軍時代に撮った、仲間たちとの集合写真が置かれているのである。
 何が言いたいかというと、彼がグラスを置くシーンにはこれでもかというほど過去の栄光が映し出されているのだ。
 そうして画面は集合写真の方へとフォーカスしていくのだが、その写真も、猿飛と須郷を除いて全員が亡くなっている。否、作中で猿飛の生死は不明であったから、須郷しか生き残っていないという言い方もできるだろう。つまり、今は亡き仲間とのかけがえのない過去、それこそがこの集合写真の象徴するところなのである。そして今、その過去が暴かれようとしているのだ、と、そうオープニングは予告して画面が暗転する。

 そうした折に『abnormalize』の「誰にも見せられないもの 頭のなか溢れて」「間違いさえも無い世界へ 迷い込んでる」という歌詞が鳴り響くのだ。

 控え目に言っても、計算されつくした綺麗なオープニングであると私は思っている。

8:14~9:58 BBQシーン

 初見時(といっても五年前)は気にしていなかったのだが、大友逸樹は両腕が義腕なのである。これは征陸への布石という風に見ることができるが、実のところ、スパーリング・ロボットへの布石として見るのが適切だろう。

10:50~11:49 酒盛りをする二人

 ここの「お前、燐とは同期なんだろ? 訓練学校時代からの」という大友の台詞には、自分が死んだ際、須郷なら燐を支えてくれるだろう、という含意があるように思われる。

 それはそうとして、ここで大友が須郷に対して「次は、実戦になる。ドローンでとはいえ、人を殺すことになる」と言っているのは、非常に重要である。これは後々『空爆論』とともに確認することなので、記憶にとどめておきたい。
 いずれにしても、大友は、人を殺すことがどうしようもなく異常であるということ、不連続であるということを自覚している。だからこそドローンという遠方の誰かを軽々しく・・・・殺す技術に対して、須郷に注意を促しているのだ。だが須郷は、その倫理観ゆえに潜在犯への道を歩んでしまうのだ。巧妙なアイロニーである。

13:30~17:04 フットスタンプ作戦

 ドローンが撃墜された時、猿飛は「くっそお!」と言いながら不貞腐れたように腕を組む。ここには、あたかもゲームをしているかのような、子供染みたグロテスクさがある。しかしこのグロテスクは、ドローンの装置からして必然なものである。現地に赴かずして人を殺戮できる兵器。それこそがドローンなのだから。
 なお、このゲームの「匂わせ」は後々でもなされる。それは、大友が国防省ビルを襲撃するシーンのことだ。そこで大友が身に付けているのは、VRゴーグルのような遠隔機械であり、コントローラーもまたゲーム機のような代物である。

 また、大友の遺言が「妻に、強く生きろと伝えてくれ。────お腹の子供と一緒に」となっているのは、『PSYCHO-PASS GENESIS 1』の次の章句を思い出させる。

 ひょっとすると世界というのは、本当に完璧な秩序によってかたちづくられており、人は死ぬことで、新たに生まれてくる子供に自らの場所を譲り渡すのかもしれない。

吉上亮,『PSYCHO-PASS GENESIS 1』,p197-198

26:23~33:30 燐の事情聴取と征陸の自宅訪問

 「容疑者だろうと何だろうと、夫にもう一度会えたなら、嬉しいでしょうね。あの人が生きていれば、必ずここに戻ってくると思います」という燐の台詞は、実のところ征陸の痛い所を突いているように思われる。この後の展開を鑑みても、ここに征陸の妻、宜野座冴慧の姿を見ないではいられない。

 そして冴慧が望んだのは、とてもささやかな願いだったのだ。父親なら当然すべきこと。やれて当然のこと。家族を守ること。ただ、それだけを希った。

ibid,p279

 征陸の勘も鋭いが、青柳監視官の勘もまた鋭い。というのも、宜野座家に行くよう促したのは青柳なのである。そして、ここで征陸が躊躇している風なのは見逃し難い。かれは息子が反発するのを予想していたのである。────果たしてそうなったのだが。

39:57~41:54 強権発動

 どうやら、『時計仕掛けのオレンジ』をさせられたのはチェ・グソン一人だけではないようだ(『PSYCHO-PASS ASYLUM 1』参照)。須郷と猿飛もまた、同じ目に遭っている。

 それはそうと、この強権捜査プロシージャは明らかに『GENESIS 2』の「血の水曜日」を意識しているのだろう。────犯罪係数の一斉走査。だが、今回はまだ慈悲があると言うべきだろう。今回は征陸に利したというわけだ。

49:04~52:30 大友逸樹の独白

 人間を捨て駒のように扱えること。サイバネティクスによっていくら兵器が発達し、使い捨て出来るようになったとしても、兵隊の本質は変わらない。

 軍隊におけるスワイン・ログの役割を理解するには、友に死ねと命じる立場にあるというのがどんなに困難なことか理解しなければならない。名誉ある幸福をして、悲惨な戦闘を終わらせるのがどれほど簡単なことか理解せねばならない。よい指揮官であるためには真に部下を愛さねばならず(奇妙に超然とした愛しかたで)、そのうえで、その愛する者を進んで殺さねばならない(少なくとも、結果として死につながるような命令を出さねばならない)。

デーヴ・グロスマン,安原和見訳,『戦争における「人殺し」の心理学』,p280

 須郷はその論理に翻弄されたのだ。否、目を逸らしていた人殺しという事実が、この虐殺にあって再認識されたという言い方もできるだろう。ドローンによる空爆は、人殺しの感覚を希釈してしまう。操縦手と現場との距離が離れすぎているからだ。だが、それで人殺しの事実が消されるわけではない。

総括

 ここまで観たことを総括して、気づいたことがある。それは、フットスタンプ作戦に関わったほぼ全員が、何らかの罰を負ったということだ。
 まず須郷は潜在犯落ちし、猿渡は失明。大友の部隊は壊滅。また作戦を立案した三人は燐によって殺害されるか、或いは征陸によって執行される。そして復讐をした燐もまた、亡き者にされる。かくして集合写真に載っていた人間たちは、全員その責めを負うたのだった。

 私が『SS2』をもう一度観る気になったのは、この事実に気が付いたからだった。全員が戦争という悪において、その罪科を負った。すべて罪と罰が釣り合うべきものとは思わないが、にしても、これは興味深い付合に思われた。というのも、何も知らなかったドローン・パイロットでさえその責任を逃れられなかったというのだから。

 そうしてドローンのシステマティックさについて、私は考えるに至ったのだ。

空爆の耐えられない軽さ

 再びデイヴ・グロスマンの『「人殺し」の心理学』から、今度は第十四章「最大距離および長距離からの殺人」(p194-198)を引用してみよう。

 戦闘での殺人というテーマについて、何年も研究や文献調査を行ってきたが、このような環境[引用者註:機械的手段でしか敵を観測できない環境]で敵を殺すことを拒絶した者は一例も発見できなかったし、またこのタイプの殺人にともなう精神病的トラウマの例も見いだせなかった。広島や長崎に原子爆弾を投下した兵士のケースでさえ、有名な神話に反して、精神疾患の発生例はまったくない。

ibid,p195

 ここで語られているのは、空爆が精神衛生の観点から見て極めて健全な手段であった・・・・・・・・・・・・という、一考に値する事実である。ある特定の手段を弄すれば殺人が健全でありうる、という残酷な事実をこの調査は伝えているのだ。
 デイヴはこの事実に際して、「(機械を介した殺人は)人を殺しているのではないと思い込むことができる」と解釈を施す。それゆえ、「後悔も自責も感じずに済む」と。
 実際『SS2』においても、敵はサイバネティクス加工を受けたオブジェクトとして処理されており、殺人への抵抗は(猿渡の反応を見ればわかるとおり)過小評価されているのが分かる。
 ただここで、人称性/非人称性という鍵語をここに導入してみたい。デイヴが同書(p170-173)にて指摘していることでもあるが、非人称化には殺人の重大性を軽量化する効果がある。しかしながら同時に、攻撃対象のみならず攻撃主体をも非人称化していく効果もまたあるのではないか。
 こう問うことは、『SS2』の副題である「First Guardian」が何よりもまず須郷の呼出符号コール・サインであり、攻撃主体を非人称化するものであることや、そうした非人称化が須郷にどんな悲劇を齎したかを考慮するにあたって、妥当な問いであるように思われる。
 さて、ここからは吉見俊哉の『空爆論』を片手に、その非人称化の過程を追っていきたい。

 本書で明らかにしていくように、すでに第二次世界大戦の段階で、B29に乗る爆撃手は、「個人を計算可能で制御しうる存在へと再成形し、人間の視覚を測定可能で、それゆえ交換可能なものに作りかえる」システムの効果として上空から地上を眼差していた。だから問われるべきは、個々の爆撃手の主体性や残虐さではもちろんないし、必ずしも彼に爆撃を命じた軍の意思決定そのものでもない。そうではなく、空爆をめぐる知と技術、社会的権力の構成が問題なのだ。

吉見俊哉,『空爆論』,p21

 問題なのは「空爆するに至った理由」や「誰が空爆したのか」ではない。「空爆を可能にしているのは一体何なのか」である。これこそが本書の根幹をなす問題であり、それが東京大空襲からウクライナ紛争にまで論じられていくこととなるのだ。だが、今回は爆撃主体の環境変化に限って、クロノロジカルに語っていきたいと思う。

 先に引用したように、第二次世界大戦の日本空爆(東京大空襲や神戸大空襲)の時にはすでに、搭乗員の非人称化が行われていたことが分かっている。

 B29では、機内の離れた場所に乗組員が配置されたため、彼らの会話はすべてインターカムを通じて行われ、それぞれが異なる状況で自分の業務をこなした。それ以前は戦闘機や爆撃機に一般的だった乗組員間の体験の共有は失われていたのである。(中略)だから、一九四五年三月の東京空爆において、これらの機関士たちは眼下で東京が燃えていく様子を見てはいない。それどころか、操縦士たちですら、指定されたプログラムに従って操作したまでで、自分の行為が地上の無数の人々、その人生にいかなる運命をもたらすかなど知りようもなかったのである。

ibid,p35

 戦争の非人称化は、このB29が始まりだったという言説は強ち嘘ではないだろう。そして、エノラ・ゲイの搭乗員たちがさしたる精神疾患を示さなかったというのも、また。
 なぜなら、かれらは分散して行ったのである。しかも全体が齎す影響などは、そもそもB29には窓がないから見ようもなかった。かれらが見ていたのは専ら計器だったのである。そうして数十万発の焼夷弾が東京を貫いたとき、その当時吹いていた強風の影響も合わさって、十万もの人々が亡くなった。そしてこの風もまた、計算されたものだったのだ。
 こうした無差別空襲は、実のところ日本空爆から朝鮮空爆を経てベトナム空爆(北爆)にまで貫通する。しかしそのベトナム空爆では、ゲリラ戦という性質上「多くの農民を巻き添えにする」うえ「爆弾の量に比して相手への損害が少ない」(p95)という事態に陥り、空爆の方向転換が余儀なくされたのだった。
 ただ爆弾を投下するだけではなく、より厳密に攻撃目標を確定すること。しかし撃墜されないほどの高度から、相手の位置を高精度で見分けること。
 その結果として、アメリカは「爆撃機の遠隔操作、リアルタイムでの標的の可視化、目標監視からの攻撃までのネットワーク化されたシステムの構築という三つの技術的展開」(p98)を推進していくこととなる。

 ここまで概観して気がつくのは、日本空爆の時からすでに搭乗員たちは計数可能なものとして、また非人称的なものとして扱われていたということだ。その流れは朝鮮空爆から北爆を通じ、技術発展とともに加速していくのだが、そうした「人間もまた資源である」というリソース意識は──それゆえ戦闘員の命は極力失われてはならず、健康状態も損なわれてはならないという意識は──、時を追うごとに変容していったようなのだ。

 その代表例としてコソボ紛争を挙げるのは間違いではないように思われる。この紛争ではNATO軍側の犠牲者が0人であったのに対して、敵対したセルビア軍の犠牲者が何百人にも及んだのである。
 これはひとえに無人システムと精密兵器の効果的使用によるものだったが、そうして殆ど無傷で戦争しうるという事実が明らかになったとき、当事者はもはや「こちらの犠牲を払った」「だから我々も相手と変わらない」とは言えなくなったのである。というのも、こんな時に「こちらの消耗が」などというのは潔癖症の妄言であろうし、もしそんなことを言えば植民地主義の再来と非難されたかもしれないからである。
 だから、その弁明が必要となったNATOは「難民を救済するために介入した」という、こちらは元々犠牲を払う必要などどこにもなかったという筋書きを用意したのだった。

 コソボにおいて敵は屈服したわけではなかった──空爆作戦の最終日までセルビア防空部隊の砲火はつづいた──が、その一方で、この対決は非常にアンバランスなものであったために、NATOはきわめて厳格な戦闘参加のルールを遵守することにしか、自分たちが道義的に優位な立場にあるという感覚をもちつづけることはできなかったのである。

マイケル・イグナティエフ,『ヴァーチャル・ウォー 戦争とヒューマニズムの間』,金田耕一・添谷育志・髙橋和・中山俊宏訳,p191

 こうして「掛け替えのない戦闘員」という人称的な倫理観は、もはや戦闘員を消耗しなくても良いという技術的恩恵のもと、いくばくか後景化することとなったのだ。そしてこれは恐らく、諸個人の代替不能性を同時に侵食してきたのではないだろうか。私はそう思うわけである。

 ここで『SS2』に戻りたい。
 この物語で一番重要なのは、大友逸樹が戦死したということではない。そうではなく、須郷徹平が我知らず大量殺戮に加担してしまったということ、そしてそれが大友逸樹の死にまで及んでいたということである。
 問題は、須郷は非人称化された敵を殺したのみならず、人称化された味方をも殺してしまったということであり、しかしながら軍組織においては作戦参加者全員が、非人称化された存在だったということである。大友のポストは必ずしも大友である必要はなく、須郷のポストは必ずしも須郷である必要はない。だからこそ彼らを踏みつけフットスタンプにする作戦が立案できたのであり、実際にそれは為されたのである。
 だが、そうした非人称性を超える友愛こそが、大友と須郷とを結びつけたのである。燐が「須郷君も軍には向いていないんじゃないかな」と言うとき、それは人を駒として扱いきれず、作戦離脱時に「大友さん!!」と叫ばざるを得なかった須郷の弱みを、少なからず突いている。だからこそ、殺した人間が非人称化された敵であるのみならず、高度に人称化された味方であったという事実が、須郷を苛むのだ。

 しかしながら、この非人称化されきった環境は、純粋に軍の冷酷による産物なのだろうか。確かに、目的の遂行のために手段を選ばない姿勢、それによって人員を非人称的に処理する姿勢は、軍のもののように見える。
 だが、これまで見てきたように、人員を代替可能にする技術──サイバネティクス技術や無人システム──はまず戦場において生まれたのであり、その技術はドローン・パイロットという無名戦士を生むに至ったのだ。かれらは無名であり、それゆえ非人称的であり、それゆえ代替可能なものとして処理される。
 すると、ドローン・パイロットが引き金トリガーを握るとき、そこには軍の論理による軽さと、科学技術が齎す軽さとが、混じり合っているのではないか。それも、相手を容易く殺すことができるという軽さのみならず、自分を容易く殺すことができるという軽さをもそこにあるのではあるまいか。

 空爆の耐えられない軽さ。それはトリガーの軽さだけではなく、トリガーを引く人の軽さでもあるはずだ。須郷が地上部隊を見捨てろと言われたとき、かれは図らずも人称性と非人称性とに横たわる残酷を目にしていたのだ。軍が齎す功利的な取捨選択と、ドローンが齎す本質的な不在において、かれはその問いを突きつけられたのである。それはすなわち、一体誰がそこにいるのか、一体誰が引き金を引いているのか、という問いかけが…………

 私たちは戦争を外科手術用のメスと見なしており、血にまみれた剣であるとみなしてはいない。そうすることで私たちは、死にいたらしめる道具に誤ったイメージを与えているだけでなく、自分自身にも誤った自己イメージを与えているのだ。私たちはこのような、自分だけは痛みを受けないですませることができるようという独善的な寓話から離れる必要がある。そのときにこそ・・・・・・・手を汚すこともできるのである。そのときにこそ・・・・・・・、正しいことをおこなうこともできるのである。

ibid,強調引用者,p255

 拙い論考ながらここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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