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食べない母に食べさせようとした後悔

母はだんだん衰弱し、ついに軽い脳梗塞で入院した。入院後、だんだんしゃべらなくなり、食事もとれなかった。そのうち、発熱し、誤嚥性肺炎と診断された。経鼻胃管を提示されたが、拘束が必要になるため、断った。いわんや胃瘻は母の意思に反する。
とろみのついた水、おそろしくまずいゼリーが供された。リハビリ専門職員が口元までスプーンを運ぶが、口をつぐんでいる。食べなきゃと言って、私も試みるが唇は閉じたままである。そんな力があるのかという真一文字。開けられないのではなく開けないのである。
嚥下力も落ちているが、それより「食べない」という意志を感じた。食事は一時間かかってゼリーひと口で、母も私も職員も疲れ切って病室に帰る毎日だった。
主治医、看護師、ケアマネと相談し、介護施設に帰ることにした。延命治療はしないことを確認した。看護師が母の病室で「熱が出ても抗生剤は点滴しなくていいということですよね」と聞いてきた。そう確認してきたところだが、ここで言うことではないだろう。これまでの母の人生も私の葛藤も知らないであろう。
施設に帰った日、スタッフに「お世話になります」と言ったという。もう何週間も母の言葉を聞いていなかったので驚いた。それが真の最後の言葉となった。1か月程度はがんばれると、栄養食を大量に買い込んでいたが、退院後わずか48時間で母は肺炎で亡くなった。
退院後、食べれば命が伸びるというふうに、私も父もスタッフも懸命に食べさせようとした。母は口を開こうとしなかった。根気負けしてスリット状に開かれた唇にスプーンを押し込んだ。
後悔している。食べなくても肺炎は起こすが、無理に食べさせようとしたことを後悔している。食べなくなったのは母あるいは天が決めた強い意志だったように思う。食べられなくなったら、食べない。そして静かに向こう側に行きたい。その意志を無理やり引き戻そうと手を引っ張った。
衰弱していくのを見るのはつらい。衰弱死させることは医療者が家族がしてはいけないことのなのか。熱と痰で半日苦しませてしまったことのほうがつらい。
私は「自分で食べられなくなったら、食べさせないでください、胃管、胃瘻はお断り。くれぐれも」と大書しておこう。食べたいのに誰も食べさせようとしてくれないという不安も残る。

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