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「合理的配慮」の意味が分かりにくい

福祉関係の講師をしていたとき、いつも思っていたのは、福祉関係の言葉が、英語そのままの直訳で、受講生にはよくわからないってことだった。
だから説明しにくいのだけど、それはそもそも、日本に社会福祉の概念がなかったから、外国の言葉をそのまま持ってきたということに原因がある。
そういうこともあって、そしてもともとその言葉の概念もなかったから、まったくもってわかりにくく、結果的に普及しないわけだ。

アドボカシー。
エンパワメント。
ノーマライゼーション。
インクルージョン。
そのほかたくさん。

そこへもってきて、今度は、「合理的配慮」の義務化である。
「合理的」「配慮」っていう日本語の並べ方がもうすでにおかしい。
配慮が合理的ってどういうことなのか。
合理的に配慮するって具体的にわけわからない。
そこで、もともとの英語をみてみよう。

「reasonable  accommodation」
合理的は理解できる。
でも、accommodatin を配慮と訳すのはどうなのだろう。
意味は宿泊、便宜、用立て、和解、調整みたいな意味だ。
だれが配慮と訳したのか。

配慮というのは、心を配るという意味である。
だから合理的配慮というと、健常者が障害者に心配りをしましょうねという意味合いにとれる。
しかし、本来の、というか、アメリカでの、この言葉はもっと双方的な対話をして便宜を図っていくというような意味合いである。
日本でも合理的配慮の調整のところには、環境の変更や調整という範囲まで示しているが、配慮というと、なんだか環境調整のようなハード面よりも、心配りのような、お金のかからない人々の善意に付け込んで解決みたいな意味合いが含まれてしまう。

障害者差別解消法というのが2016年にできて、その時は合理的配慮というのは行政や学校は義務で、民間事業者は努力義務だったものが、来年の法改正で民間も義務になる。
で、合理的配慮っていうものはどういうことかというと、障害のある人が平等に暮らせる社会を実現するために、「実施に伴う負担が過重でない」ときは行うということらしい。
過重でないときというのは、予算がないとか、人手がないとかで、行いたくても合理的配慮が行えない。ということだ。
たとえば、町のラーメン屋さんが、車いすの人のためにスロープをつけたいが、お金がないからできないとか。だったら、できる範囲でいいですよっていうことだ。

つまり、行政、学校そして来年から、民間事業者は、実施に伴う過重な負担がない場合に、合理的配慮をすればいいということになる。
それはつまり、実施に伴い過重な負担がある場合は、合理的配慮は出来ません。ということである。
今までだって、障害者の意見を聞いて、合理的配慮をしましょう。意見出してくださいって言うから、言ってみても、それは現実には難しいですねえと言われることが多かった。

出来ないんならできないって、最初から言ってくれた方がすっきりする。
合理的配慮などという、誰が聞いてもピンとこないような、あいまいな言葉はどうなのだろう。

行政の福祉関係の会議に出ても、正直に意見を言うと、なんとなくそれはこの範囲ではないとか、今そこまで考える場合ではないとか、それは今の時点では話し合うものでないとか、言われてしまうことが多い。
多方面から意見を言い合ってデイスカッションするのではなくて、うまくシュガーコーティングした発言をして、その場を和ませることが望まれているんだなあと感じてしまう。
でも、私にはできないなあ。そんな器用なこと。

ため息つかせて
フォレスト・ウィティカー監督
1995年


ああ、ため息つかせて。

フォレスト・ガンプの名言
人生はチョコレートのようなもの。何が出てくるかわからない。

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