見出し画像

原宿相談室に通っていたころ

もう30年以上も前のころ、精神的にどん底にいた私は、助けを求めて、原宿相談室へ通いだした。
電話で初回の予約を取ったとき、道順を教えてくれたのだが、とても分かりやすい案内でうれしかった。
うつ状態のどん底にいる者にとっては、もうそれだけでうれしいものだ。
初回のカウンセリングの時は、一時間全部泣いていた。
こんなに涙を流せる場所があったなんて。
カウンセラーはこう言った。
「重度のうつ状態だから、まず、神経科を受診してみましょうね。」
相談室と同じビルの中に、神経科があり、受診して服薬治療も始めた。

それからは、個人カウンセリングと神経科の受診のために、せっせと原宿へ通った。
相談室では、毎週日曜日の午前中に精神科医が、グループミーティングを開いていた。
グループミーティングは無料で、自由参加。
自分の話をして、グループの人が聞く。必要な時は精神科医がアドバイスするという形で進められていた。
アルコール、薬物、共依存、摂食障害など、いろいろな人や、その家族などが来ていた。
私は、障害のある子を育てながら、一生懸命に頑張っているというような話をしたら、精神科医にこう言われた。
「あなた、危険だ。今日この場所で寝たくないと思ったら、その場所からすぐに逃げなさい。」
今なら、すごく理解できる。
でもその時は、がああんと雷に打たれたみたいだった。

たぶん、その頃から私は回復に向かいだしたのだろう。
個人カウンセリングの効果も表れ、薬物治療の効果もあり、私は、もっともっと、自分を解放したくなってきた。
原宿相談室では、個人カウンセリングのほかに、有料のグループカウンセリングがあった。
それぞれ、グループには名前がついていた。
共依存の女性のグループとか、依存症のグループとか、男性のグループとか、いろいろあった。
私は、個人カウンセリングのとき、
「私もグループカウンセリングを受けたいです。」と希望した。
しかし、私にちょうどいいグループがなかったため、まあ、近いところでと
共依存の女性のグループ、略してKGに入ることになった。
グループカウンセリングはとても楽しかった。
いろいろな人のいろいろな話を聞き、私も話しをして、終わるとみんなでラフォーレ原宿の上のカフェに行った。
みんな、大変な思いをして、大変な暮らしをしている人たちなのだけど、一緒にいると、なんだか楽しかった。

今から思うと、二度目の学生時代を送っていたような、そんな楽しい思い出が残っている。
あの頃が一番苦しくて、つらかったころなのに。
思いではぬりかえられ、楽しかったという幸福感が残っている。

原宿相談室は今はもうない。
形を変えて、場所を変えて、名前を変えて続いている。
新しいカウンセリングセンターに、通うことになったが、ある日、突然もういいかという気持ちになって、自分から離れてしまった。
うつ病は完治はしていないけど、自分の気持ちに気づき、自分の心の安定を一番に保つ生活ができるようになった。

そのころ、原宿には、第二ラフォーレというのがあったのだが、その話をしても、誰も信じてくれない。

よろしければ、サポートお願いします。老障介護の活動費、障害学の研究費に使わせていただきます。