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エイプリルフールははっぴいえんどに

昨日はエイプリルフールだった。
だからといって、何もしなかったけれども、そういえば「はっぴいえんど」の前身は「エイプリルフール」だったな。
その前は「バレンタインブルー」だったな。
と思い出した。

そうだ。エイプリルフールのつぎは、はっぴえんどにしよう。
私の人生の終わりも、近づいてきてるし。
しかし、はて、どうやって、はっぴいえんどにしたらよいものか。

で、歌を歌いながら、考えてみた。
歌った歌が、「はっぴいえんど」の歌ではなくて、「Radio gaga」だった。
のりがいいから、ついくちずさむ。

そうそう、もう、面倒くさいこと考えるのやめて、後回しにしよう。
4月1日は、人気のショートステイ「N」の6月分予約開始日だった。
朝、8時半、障害者福祉課の電話回線は、予約申し込みで大混雑する。
何時間もかけて2カ月先のショートステイの予約取るなんて、おかしい。
ばかばかしすぎるから、やってられない。

だから、もう、どうとでもなれと思おう。
私が病気になったり、私が死んだりしたら、周りの人に丸投げしよう。
私は、せいいっぱい、ここまで頑張ってきたんだから、いつでも自由に病気になるよ。
私が死んだ後のことなんかわからないから、考えるのやめよう。

そして、周囲の人に、頑張ってもらおう。
以前は、自分が死んだ後、周りの人に迷惑をかけないようにと、「親亡き後相談室」に行ったり、周囲のサポートを得られるよう、いろいろ手を尽くしてきたけど、ここまででいい。

でも、どうして、障害のある子を残して死ぬことが、「迷惑」になると考えていたんだろう。
それはつまり、障害者とは、迷惑をかける存在であるという認識に基づいていたから。
まさに、この私が。
長女は迷惑な存在だと。
だから、母親が、世間に迷惑をかけないよう、ずっと保護してきたわけだ。

まったくもって、なんと、おかしくて偏見だらけの考え方をしていたのだろう。
私は。
障害のある長女の一番の味方だと思っていた私は、実は逆説的にいって差別論者だったのだ。

だからもう、一人で抱え込むのはやめよう。
皆さんで考えてくださいと、世の中に問いかけよう。



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