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はんこう先生のVサイン

私は卒業した学校の同期会とか、同窓会など行かない。
同窓会に命かけてる人もいたりする団塊世代。
そもそも、私は、「今を生きる」でいっぱいいっぱいなので、あまり過去を振り返る暇がない。
大体、61歳で大学院に入学するくらいだから、出身校の同窓会に行く暇も関心もなかった。
でも、夕方、夕日を眺めていたら、ふと、高校時代のある情景が頭に浮かんだ。

窓越しの夕日を背に、二人してお茶をすする、はんこう先生といと先生の姿。
「老いらくの恋」という生徒もいた。

はんこう先生は、独身で、漫画家の蛭子さんみたいな古着っぽい、茶色とグレーの服をいつも着ていた。
もう半世紀以上も前だが、それでも、流行などと関係なく、戦後まもなくみたいな服装だった。
ようするに、お洒落に無縁なのだ

未亡人のいと先生は家庭科の先生で、家庭科の教官室を一人で使っていた。
家庭科の教官室は、古びた木造2階建ての講堂の1階にあった。
いつ床が抜けるかと、どきどきするような、古い建物だけど、部屋は広かった。
部屋の端っこには畳のコーナーがあって、宿直室みたいな感じだった。
ある日、いと先生を訪ねて、家庭科教官室へ行くと、はんこう先生がいらして、二人でお茶をのんでいた。

あ、見られちゃった。という表情がふっとはんこう先生の顔に浮かんだ。

まあ、和やかな雰囲気であった。
二人の後ろの壁には、大きな額に入った「下痢便の種類」みたいな標本が飾ってあった。

飾ってあるわけでなく資料なんだろうけど、「緑便」「白便」などいろいろな便の種類が丸い標本になって額に入っていた。
それをバックに楽しくお茶をのんでいた。
窓越しの夕日を背に。
その情景を、視覚優位の私の脳のカメラが、パチッとシャッターを切った

次の日、数学のテストがあった。
試験監督は、はんこう先生だった。
テストの中ごろ、私ははんこう先生の方を見た。
はんこう先生は、試験監督中、時々うとうとする。

しかし、その日のはんこう先生は、パッチリ目を開けていた。
そして、Vサインをしていた。
人差し指と中指の先は、それぞれ、両方の鼻の穴に入っていた。
はんこう先生は私と目が合うと、気まずそうに指を鼻から出して、ポケットに入れた。
ハンカチなんか持ってないのに。

歳をとって、茶飲み友達がいるっていうのはいいことなんだろうな。
私はお二人の年齢をはるかに超えた。

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