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最後の砦:ロストケア

このところ、なんだか、気分が重たく、不安が募る。
まあ、老障介護の生活は、不安だらけなものだけど、それでも、空気が重い。
そこで、考えた。
これは、私の気分の問題だけではなくて、今、私が生きているこの世の中が、暗く重たいのではないのかと。

そうだ。
私は団塊世代で子供のころから、激しい競争を戦い抜いてきた。
そして今、団塊世代は、怒涛のごとく高齢者となり、怒涛のごとく介護が必要となってきている。
しかし、少子化と福祉政策をおこたってきた政治のおかげで、介護する側の人はごく少なくなっている

これは、もう最初からこうなるとわかっていたことだ。
数字を見れば明らかなのだ。高齢者の数。若い人の数。
福祉に充てられる予算。

なんで、みんな気が付かなかったのだろう。
いや、気が付かないふりをしていただけなんじゃないのだろうか。
数独大好き、数字大好きな私は、「数字」から今の世の中への不安を、もう何十年も前から読み取っていた。

政治家が気が付かなかったなんておかしい。
まあ、障害者の母である私が、社会の動きや福祉政策に敏感であったことは事実だ。
では、そうでない人は。
見て見ぬふりをしていたのか。
たぶん安全地帯にいた人たちは、こんなに高齢者政策が行き詰まるなんて、考えていなかったのだろう。考えたくもなかったのだろう。
考えないという選択肢は、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば、加担していることになる。
政治家を含め、安全地帯にいる人たちが、困窮する人々を、見て見ぬふりして助けないで追い詰めていく。

こういう風潮を真正面から取り上げているのは、映画や小説だ。
「PLAN75」という映画がなぜつくられたか。
2013年に出版された葉真中顕の「ロストケア」が、10年後、なぜ映画化されたか。

それは、現実だからだ。
映画の中の描写は現実そのものだ。
いや現実はもっとすざまじい。
福祉の世界で働き、家族として生きてきた私にとって、現実はもっともっと、匂いと阿鼻叫喚があるだけすざまじい様子なのだ。
そして、介護職も、家族も、心身共に壊れていく。

眠れない。
大声に耐えきれない。
匂いに耐えられない。
罵声を浴びせられる。
暴力を振るわれる。
私は何も悪いことをしていないのに、なぜ、こんな目に合わなくてはならないのか。
お金がない。
稼ぎに行けない。
介護職への差別は容赦ない。
私は、面会に来た女性に、「勉強していないとこんな仕事しかつけないんですよね。」と、言われたことがある。
利用者さんに、「こんな仕事して、ご家族は何も言わないの。」といわれたことがある。
介護職は職業として下に見られている。
だから給料は少ない。

家族だけでなんとかしようとするのではなく、福祉に頼れというのは正論である。
しかし、何かあったときには、すべては「家族」に戻ってくる。
最後の砦は、「家族」なのだ。
この国では、介護や子育ては家族にお任せなのである。

施設に入所せず、自宅で、地域で、最後まで暮らすというのは、理想論だ。
そのような暮らしをするためには、沢山の数の福祉職、医療職が必要となる。
しかし、現実には、専門の介護職は不足し、なりてはいない。

そういうことだ。
障害のある長女はもうすぐ51歳になる。
私は今年76歳になる。

私は斯波宗典を裁けない。
私の心の中にも、斯波がいる。


葉真中顕
42人を殺害した、献身的な介護士斯波の物語

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