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日本のサポーター史の入口

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東京五輪を前にスタートした日本のサポーターは、どのように歩んできたのか、日本のサポーター史の入口をご紹介します。
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賛否に燃えるサポーターのゴミ拾い ルーツは1985年10月26日 韓国に負けたくない想い…

FIFAワールドカップでの日本サポーターのゴミ拾いは4年ごとの恒例行事となっている。例え…

1993年6月の「2-0は危険なスコア」。あの伝説のルーツを探る。

日本政府は2020年5月14日に、新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を、東京都や大阪府などを…

日本のサポーター史3大暴動事件簿

いつもは明るく楽しい雰囲気のスタジアムが、険悪なムードになることがある。険悪・・・くらい…

サポーターは時代と社会を映す鏡。80年代前半のイングランドの応援から見える変化。

スタジアムではサポーターによる様々な信じられない事件が起きる。果たして、サポーターは野蛮…

Jリーグ開幕戦の応援を27年後のTV放送とツイートで振り返る。

#J開幕戦bs1 という#タグをつけたツイートがTwitterを飛び交った。東京で2回目の五輪が開催さ…

FC東京を何と呼ぶか?サポーターキャリアやFC東京サポーターかそれ以外のサポーターで…

FC東京はJリーグクラブでは数少ない「愛称」を命名していないクラブだ。それゆえに、様々な呼…

迷彩ユニフォームの人気は浮上するか?日本代表史上最悪のユニフォームと流血スタジアムの記憶

「日本晴れ(ニッポンバレ)」をコンセプトした迷彩柄の日本代表ユニフォームのサポーターからの評判が悪い。日本サッカー協会の田嶋会長は「スタジアムで着ている人もいて、売り上げもかなりいいと聞いている。若者受けする感じで、カジュアルにも着れそうですね」と話していることから、スタジアムで応援するサポーターよりも、渋谷に代表される街でテレビ中継を楽しむ若い世代を意識したデザインだと思われる。 日本代表のユニフォームといえば青だ。サムライ・ブルー・・・しかし、赤い日本代表ユニフォームの

平成のはじめの「サポーター道」は令和の始まりまでに、どのように変わったか。

元号が平成から令和に変わった。平成はサッカー界にとっても大きな時代の転換期だった。無縁だ…

Jリーグはゲームシャツのペアルックで。

1993年にJリーグがスタートし、四半世紀の歴史を積み重ねた。今から25年前・1993年のサポータ…

北海道のローカル番組だった「水曜どうでしょう」を全国区に引き上げたのはJリーグサ…

Jリーグサポーターのネットワーク力が、一つのローカル番組を全国人気に引き上げた。サイコロ…

Jリーグ開幕1993年、サッカーは、どれほどトレンディだったのか。「気まぐれコンセプ…

Jリーグは1993年5月15日に開幕。あっという間に日本中の話題を独占し、一大ブームを生み出した…

Jリーグ25年間でサポーター最大の事件である「フリューゲルスの本当の悲劇」とは何だ…

横浜フリューゲルスは1862年(文久2年)創業の名門ゼネコン佐藤工業と全日空の合弁によっ…

日本語は変化する。「個サポ」とは誰?

「日本語が乱れる」といわれることがあるが、それは「乱れ」ではなく「変化」だといわれる。例…

サポーターが怒りを爆発させた五大誤審騒動。その怒りとは何だったのか。

「あの誤審は凄かった」「あの誤審でサポーターが荒れたね」と行った思い出話は、サポーターの宴会では必ず盛り上がる鉄板ネタだ。誤審騒動すらも、サポーターライフを充実させるアイテムにしてしまうほど、サポーターの世界は懐が深い。 とはいえ・・・日本の審判は世界で高く評価されているが、国内では評価は低く、調査によると37%のサポーターは「自分の応援するクラブは誤審で損をする事が多い」と思い込んでおり、70%のサポーターは「Jリーグには他の審判と比較して誤審の多い特定の審判員が存在する