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日本のサポーター史の入口

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東京五輪を前にスタートした日本のサポーターは、どのように歩んできたのか、日本のサポーター史の入口をご紹介します。
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#サッカー

1993年6月の「2-0は危険なスコア」。あの伝説のルーツを探る。

日本政府は2020年5月14日に、新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を、東京都や大阪府などを…

日本のサポーター史3大暴動事件簿

いつもは明るく楽しい雰囲気のスタジアムが、険悪なムードになることがある。険悪・・・くらい…

サポーターは時代と社会を映す鏡。80年代前半のイングランドの応援から見える変化。

スタジアムではサポーターによる様々な信じられない事件が起きる。果たして、サポーターは野蛮…

Jリーグ開幕戦の応援を27年後のTV放送とツイートで振り返る。

#J開幕戦bs1 という#タグをつけたツイートがTwitterを飛び交った。東京で2回目の五輪が開催さ…

FC東京を何と呼ぶか?サポーターキャリアやFC東京サポーターかそれ以外のサポーターで…

FC東京はJリーグクラブでは数少ない「愛称」を命名していないクラブだ。それゆえに、様々な呼…

迷彩ユニフォームの人気は浮上するか?日本代表史上最悪のユニフォームと流血スタジア…

「日本晴れ(ニッポンバレ)」をコンセプトした迷彩柄の日本代表ユニフォームのサポーターから…

平成のはじめの「サポーター道」は令和の始まりまでに、どのように変わったか。

元号が平成から令和に変わった。平成はサッカー界にとっても大きな時代の転換期だった。無縁だったワールドカップの常連国となり、プロサッカー・Jリーグが立ち上がり、大きく発展。平成元年には日本女子サッカーリーグがスタートし2011年(平成23年)に世界の頂点に立つまでに至った。 さて、サポーターはどうだろう。1993年(平成5年)にJリーグが大ブームとなり、サポーターという新しい応援概念が日本に導入された。サッカーによって、それまでの「応援団」や「ファン」とは全く違う応援スタイル

北海道のローカル番組だった「水曜どうでしょう」を全国区に引き上げたのはJリーグサ…

Jリーグサポーターのネットワーク力が、一つのローカル番組を全国人気に引き上げた。サイコロ…

Jリーグ開幕1993年、サッカーは、どれほどトレンディだったのか。「気まぐれコンセプ…

Jリーグは1993年5月15日に開幕。あっという間に日本中の話題を独占し、一大ブームを生み出した…

Jリーグ25年間でサポーター最大の事件である「フリューゲルスの本当の悲劇」とは何だ…

横浜フリューゲルスは1862年(文久2年)創業の名門ゼネコン佐藤工業と全日空の合弁によっ…

日本語は変化する。「個サポ」とは誰?

「日本語が乱れる」といわれることがあるが、それは「乱れ」ではなく「変化」だといわれる。例…

サポーターが怒りを爆発させた五大誤審騒動。その怒りとは何だったのか。

「あの誤審は凄かった」「あの誤審でサポーターが荒れたね」と行った思い出話は、サポーターの…

長く肩身の狭い思いをした女性サポーター。男性からの偏見は2011年に解消に向かった。

Jリーグ開幕の頃から21世紀に入っても、一部のサポーターの中には「ゴール裏は男の場所」とい…

サポーター文化遺産を定め、記憶と記録を残したい。

Jリーグが開幕して四半世紀が経ちました。サポーターは様々な経験をし、クラブ、スポンサー、行政、関係者は多くの取り組みをして来ました。その記録は各所に残されています。昨今の情報社会の発展で、その多くを検索して閲覧することが出来ていました。しかし、多種多様な情報がネット上に氾濫することにより検索は難易度を高め、最近では1990年代の情報をネットブラウザーから閲覧することは困難となっています。 「サポーター文化遺産」の制定にご協力ください!そこで、Jリーグ25年間の歩みを「サポー