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Jリーグ25年間でサポーター最大の事件である「フリューゲルスの本当の悲劇」とは何だったのか。

横浜フリューゲルスは1862年(文久2年)創業の名門ゼネコン佐藤工業と全日空の合弁によって設立された。バブル崩壊で経営環境が悪化した佐藤工業が撤退を決断し、全日空が単独でのクラブ運営を断念したことが横浜マリノスへの吸収合併に繋がった。

実は、横浜フリューゲルスは横浜と九州(特別活動地域)を活動拠点とした、地域密着色の薄い、どちらかというと不人気のクラブだった。吸収合併のニュースが報じられた週末のホームゲームでも、約7万人を収容できる横浜国際競技場に1万4234人の観客しか集めることができなかった。しかし一方で、クラブの不人気にもかかわらず、クラブの存続はサポーターにとって大きな問題だった。Jリーグ設立の目的の一つに「単独企業の支配下からのスポーツの独立」が含まれていたからだ。

サポーターによるクラブ存続アクション「青い翼運動」は応援するクラブの壁を越えて広がっていった。

存続の署名活動がスタート。署名して横浜フリューゲルス存続に賛同された方に「青色のリボン」を渡し、存続の意思表示としてリボンを身に着けてもらう。この署名活動は横浜フリューゲルスの試合会場だけではなく、横浜駅前(24名の選手が参加したケースもある)、横浜フリューゲルスとは無関係の試合会場でも行われた。「横浜フリューゲルスを存続させる会」が立ち上がり、署名人数は50万人(「横浜フリューゲルスを存続させる会」発表)に達した。また1口1万円の「フリューゲルス再建基金」は6722万円を集めた。しかし、熱意は実らなかった。これまで、清水エスパルス、鳥栖フューチャーズらを救済してきたサポーターによる存続運動だったが、横浜フリューゲルスを救うことはできなかった。横浜フリューゲルスは1999年元日に、天皇杯優勝で歴史の幕を閉じる。

横浜フリューゲルスの物語は、ここまでで美談として語られることが多い。しかし、フリューゲルスの本当の悲劇は、ここから先の物語だ。

企業の論理に左右されないプロチームをつくりたい」という想いは新しいJリーグクラブを産み出す。そのクラブが横浜FCだ。横浜FCは市民がチームを支える市民スポーツクラブを標榜。FCバルセロナなど海外のクラブを参考に「ソシオ」という会員制度を立ち上げて、クラブ運営を支援する資金源とした。初代社長には横浜フリューゲルスのサポーターだった辻野臣保さんが就任した。1999年に、地域リーグではなくJ2の下のカテゴリーであるJFLからスタートした横浜FCは強力な戦力で順風満帆にスタートしたかに見えたが、運営方針をめぐって対立が発生。怪文書まがいの誹謗中傷がネット上を飛び交った。その一部は取締役が発信源であった。2001年には横浜FCが「ソシオ」に代る新しいチームの後援組織「横浜FCクラブメンバー」を創設することを発表。その後、ソシオの名称やソシオの名簿の所有者を巡って対立。訴訟騒ぎまで起きた。こうして「サポーター運営による市民スポーツクラブ」は、わずか2年間で空中分解した。

美談の後の悲劇は秘密のベールの陰に。真実が明らかになることはなかった。

存続運動に関する情報や記録と比べると1999年末以降の横浜FCの空中分解期に関する記録も証言も極めて少ない。当時の辻野社長、奥寺GM、宮崎常務、田部強化部長、それに立ち上げ当時のクラブ運営をサポートした企業関係者・・・誰もが多くを語らない。

悲劇は「サポーター運営による市民スポーツクラブ」が幻想だったという結論になったこと。

サポーターの描くクラブの理想像は崩壊した。内部の足の引っ張り合いが外に伝わり「サポーター運営による市民スポーツクラブは成立し得ない」という合意形成がJリーグ全体で行われた。こうして、後に残ったのは、クラブのエンブレムに残る「青色のリボン」のデザイン、クラブ運営には使われなかった「フリューゲルス再建基金」、そして、正規の昇格プロセスを経ずにJリーグに存在している横浜FCというクラブの歴史。さらには、横浜FCの代表取締役会長兼社長である小野寺裕司氏はユニフォームの胸にロゴが入っている株式会社LEOCの代表取締役会長兼社長でもあるという、存続の署名活動が行われていた当時には全く想像できなかったクラブの姿だ。

横浜フリューゲルスの吸収合併から横浜FC「ソシオ」制度の廃止までの経緯は、サポーターにとって残念な出来事として記憶されている。

地域と共生するスポーツクラブの存在のあり方をどのようにしていくべきなのかを、多くのサポーターや関係者が考える機会となった。同時期の1999年には、同じく名門ゼネコンのフジタ工業がベルマーレ平塚から撤退。新会社・湘南ベルマーレに営業権が円滑に譲渡されクラブは存続することができたのも、横浜フリューゲルスの吸収合併という先行事例があったからこそだ。














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